三重 答志島
三重県にある答志島は、江戸から伊勢参りの途中で、寄った島で遊びの島だったんです、歓楽街で まぁ昔の旅なんてのは、男達で行く事が多かったので、伊勢参りの楽しみのひとつだったらしいです、ただ、伊勢街道からちょっと離れているので「遠き島」と呼ばれていたそうです
寛通5年の2月に、大寒波が来たそうです、
風も強く、海も荒れて2、3日渡船も出せず
雪に埋もれていたそうです
やっと渡船が出たのはそれから五日後
遠き島に着くと、港には、足跡ひとつ無い一面の雪雪雪
いつもは、客引きにあふれる港に人っ子ひとりいない、「どうしたんだろう?」と繁華街まで雪をかき分け行ってみると、元々高い山が無い答志島なので暴風がまともに当たり、風と雪で押し潰された店が何件も
ようやく立っている店に入ると、女郎達は、ほとんど、寒さで死んでしまっていたそうです
それから、この島は、凍った死の島とかいて凍死島と呼ばれたそうです、残った島民は、人が来なくなった歓楽街を捨てて細々と漁業を営む町になったそうです
それから320年後1963年、昭和38年、いわゆる38豪雪の時 昔の不幸を教訓として雪に万全の準備をして、誰ひとりの死者も出さなかったそうです、その時に凍死島なんて不幸な名前は、よくないと、漢字を変え「答えを志す島」となったそうです!
という、話しを作ってみました