秋の彼岸に思うこと
友人が急逝しました。
noteの最初に書いた通り 月明りのように暗く孤独な道のりを照らしてくれた稀有な友人です。
これまでの記事はどれも彼女に読んでもらいたくて綴ってきました。
この後、彼女なしに続けていく意味があるのか、続けていけるのか
自問自答を繰り返していました。
「死んだら無になる」と友人は考えていましたが、私はそう思えません。
いつかは誰もが無になるのでしょうが
彼女の場合、それはまだ先のような気がします。
彼女の優しさや誠実さ明るさ可愛らしさ聡明さ勇敢さ 情熱 希望
芯が強くてちょっと頑固な一面、好きな曲の数々
それらを覚えている人たちが生きている限り、友人は無にならない。
月明りのような彼女の輝きは
変わらずに彼女を愛する人たちを照らし続けるそう思えるのです。
今後、このnoteに投稿していく記事内容も
おそらく当初とは違った趣旨になるだろうと予想しています。
私が友人と親交を結べたのはほんの短い期間でしたが
それだけにいっそう奇跡のような縁を感じます。
彼女が私の中に遺してくれたものは
例えるなら種のようなものかもしれません。
大切に育てたらどんな花が咲くのか
実がなるのか 種子はたくさんできるのか
草花なのか やがては樹になり空に枝を伸ばし葉が茂り・・・
未知数ですが、枯れることのないよう慈しんでいくつもりです。
まずは当初の予定通り、私自身の記憶を書き記していこうと思います。