「勉学」のパターナリスト達
大学は「学問」の場、だとかいう言葉。これは大学の存在意義に関する議論でしょっちゅう耳にしますが、これを曰う連中の大半は内容空虚で、私が最も嫌いとする人種です。
こうして勉学の素晴らしさを曰い、それを啓蒙しようとする連中ほど、自分達がその領域に辿り着いている事を周りにひけらかしたいだけの承認欲求の塊という事に気づいていないのが現状です。
本当に学問の素晴らしさを示し、意識改革を起こしたいならば、自らが模範的姿勢を示し積極的に意見発信をしたり、学問を通じて得られる事を伝えていく努力をすべき事は自明です。大学へ入学するまでの受験戦争を勝ち抜いてきた学生が勉学を手段として見てしまうのはある程度仕方がない事なのですから。
にも関わらず、世の中の哀れな「勉学」のパターナリストは自らが素晴らしい意識の持ち主である事をひけらかし、他者を見下したいだけで、自らが「意識高い系」と揶揄されるだけの存在である事に気がついていないのです。彼らのようなモンスターは徒党を組み自分達の意識の高さを見せびらかすだけなので必然的に周りから孤立していき、似たようなもの同士で互いを慰め合っているだけという状況に陥りがちです。
私が言いたい事はつまり、今日インターネットで意識の低い大学生を揶揄している連中は、自らのコミュニケーション能力の低さが故に、勉学の本質が見えていない他者を振り向かせる事が出来ず、インターネットにおいてリアルで出会った彼ら「意識の低い」大学生の悪口を書いているだけ、という事です。彼らには真の意味での学問の面白さを探求して貰いたいものですね。