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深呼吸が大事な理由〜認知症の家族の日記〜2
母の人格は日に日に変わり、活発で行動的だった母は家の中でボーっと1日を過ごし、明るく笑い声が絶えなかった姿はどこにもない。ただ丸く小さくなった寂しい背中がそこにある。こんなにも母の存在次第で家の中の空気がかわるものかと思わされる。
なんとかデイに送り出す日々が続き、父の疲労が目立つようになってきた。朝、母を起こし時間をかけて支度して嫌がるオムツをはかせて、外に連れ出し騙し騙し職員さんとなんとか協力して迎えのバスに乗せる。見送ると父は自分の朝食、洗い物を片付け洗濯を回して干す。その頃私は実家に着くのだが母の支度を父に任せて、だいぶ楽な分、父の苦手な掃除や片付けをして、たまに買い物を頼まれる。父は母が元気な時は家事など一切してこなかった昭和の団塊の世代真っ只中の親父だ。そんな父が慣れない家事を全てやるだけでも疲れやストレスが溜まるはずだ。
昼ごはんを父と2人で食べて色々な話をした。これからのこと、仕事をしながら私が今後どれだけ協力できるのか、話していて辛くなることもあったが父も私も本来なら楽観的なタイプ。その父がふと溢した一言で私は行動に移した。
『昨日ついに俺は手を挙げそうになった。すんでのところで引っ込めたけど次はわからない』
母が大きい方を失敗し服も下着も便で汚してしまった日、母は気持ちが悪くて触ってしまうので壁に手を付かせたりしゃがませたりするのだが耳も悪い母はそれが聞こえないのか理解できないのか、四つん這いもわからないのだ。その時に大きな声をあげ、手を振り上げそうになったようだ。とにかく【オモラシ】は父も私も常に恐怖だった。
それからすぐにいつも行っているデイに相談して月に一回か二回はショートステイをお願いしたり、それと並行していくつかグループホームを見学、申し込みをして空きを待った。父がいつか手を挙げてしまい、父が自分を責めたり、父が犯罪者になってしまったり…とその時はなぜか母のことより父の心配が優先した。
母をデイに行かせるにも一苦労だったがショートステイもこれまた大変だった。ショートの日は父にはあらかじめ好きなように外出してもらい、私が送っていくようにした。それは一番最初にショートを利用した日、父と私で付き添ったが父と離れることがわかると母は室内ばきを放り出し父を追って泣くのだ。それはもう保育園に行きたくないって駄々をこねる幼子のように。
職員さんも苦笑いをしながらもあの手この手で気を逸らして迎え入れてくれるのだが帰りに渡されるファイルには
『午前中はだいたい泣いて過ごされていました。お昼は残さず完食されてます。お昼を食べると少し元気になり、午後は他の利用者さんとゆっくり過ごされてました。たまに思い出してお父さん、お父さんと呼び始めます。』
迎えに行くと母はだいたい泣いて待っていて職員さんが付き添ってくれていても外を見ながらおそらく父の迎えを待っている。
母の認知症発症は70代初めで力もあるし80代90代の方より体格もいい。お風呂もそりゃあ大変だ。きっと母は手がかかるタイプなんだろうなぁと思って職員さんに頭を下げると前頭側頭型認知症の方の特徴だと思って心得てますから大丈夫ですよって笑顔で言える職員さん、ほんとに頭が下がります。
そんな認知症の母と過ごす日々は試行錯誤とちょっと諦めと、深呼吸。
そしてまた新しい問題にぶち当たるのだ。