北海道民謡~ソーラン節
この歌は、北海道でも西部の日本海沿岸、特に積丹半島を中心とした地域で歌われてきた民謡です。本来はニシン漁の折の仕事唄でしたが、やがて酒席の歌として、またステージ民謡として大変よく知られるようになりました。
■曲の背景
ヤン衆が歌ったニシン漁での仕事唄「鰊場音頭」
北海道での春告魚はニシンです。春になると産卵のためにニシンの大群がやってきて、雄の放精により海が白くなる「群来(くき)」の頃、ニシン漁のための季節労働者であるヤン衆が全国から集まったのだそうです。北前船による交易が盛んであったのは江戸期から明治期。北海道からの移出品は海産物が多く、特にニシンは「ニシン粕」という肥料に加工され、これが西日本では大量に消費されたのだそうです。しかし、ニシンが姿を消すのは昭和30年代(1955~)の前半以降で、すっかり幻の魚となってしまいました。
かつて盛んであったニシン漁の作業ではいくつかの歌が歌われました。木遣りのような無拍節のもの、独特な掛声、動作に合わせて作業の動作に合わせて歌うもの等が含まれ、これを総称して鰊場音頭と呼ばれます。
地域にもより曲名や順番にちがいもあるようですが、主に、船漕ぎ音頭 網起こし音頭 沖揚げ音頭 子叩き音頭 等を作業に合わせて歌われることが多いです。
・船漕ぎ音頭
沖に出て行く時には、手漕ぎの船で進みます。6~8丁の櫂に一人ずつ付きますが、この船漕ぎのリズムを整えるため歌われたものが「船漕ぎ音頭」です。音頭取りのソロ(波声)と櫂を漕ぐ人々が付けていく斉唱(下声)による音頭一同型式の歌です。
・網起こし音頭
沖合に仕掛けられた網にニシンが追い込まれることを、ニシンが乗るというそうですが、この時、網を起こしにかかる最も重要な作業の時に歌われたものが「網起こし音頭」です。
・沖揚げ音頭
網起こし作業で、枠網に積み込まれたニシンを沖からタモ網で、ニシン運搬用の汲船に汲み揚げるときの歌が「沖揚げ音頭」です。この時の掛声が「ソーランソーラン」で、「沖揚げ音頭」が調子もよく、やがて「ソーラン節」としてピックアップされ広く知られるようになります。
・子叩き音頭
沖合での漁が終わり、陸揚げすると網にはニシンの大量の卵が付きます。これを落とさないと、カズノコが乾燥して網の目の水切れが悪くなるのだそうです。そのため網を広げて棒で叩いてカズノコを叩き落とすのですが、この作業で歌われていたのが「子叩き音頭」です。「イヤサカサッサ」のハヤシ詞で知られ「イヤサカ音頭」として、歌われています。もとは青森県あたりの《鯵ヶ沢甚句》のような盆踊り唄であったようだといい、これを子叩きの作業に歌ったもののようです。
これらの歌は地域によって歌い方に差異があったり、楽曲としては順番が違ったりします。また鰊場作業の歌として鰊場音頭と呼ぶ以外に、これら全体を沖揚げ音頭と総称する地域もあります。
沖揚げ音頭からソーラン節へ
このように「ソーラン節」は、上記の通り「鰊場音頭」の中の「沖揚げ音頭」をさすようになりました。この「沖揚げ音頭」のもとは、青森県上北地方で船の荷物の積み替えを行う時に歌った「荷揚げ木遣り」であるといわれています。北海道のニシン漁では、南部地方(青森県東部から岩手県)のハタハタ漁で使う建て網漁法を持ち込んだものといわれていますので、鰊場の仕事唄は青森県あたりの歌が持ち込まれたもののようです。
沖揚げ作業で使われるタモ網は、長めの柄が付いた袋状の網で、直径1mほどもあるそうです。ニシンでいっぱいの網を揚げる作業は大変力の入る作業で、タモ網を引き揚げる補佐として、アンバイ棒という二股の棒で突き上げますが、それだけでなく船べりをこの棒で叩いて「ソーランソーラン」の掛声に打楽器のような役割を果たしていました。
歌詞はさまざまなものがあります。特に、沖揚げ作業はかなりきついもので、集中力と眠気覚まし、景気を上げるためにさまざまな楽しい歌詞、面白い歌詞、ときには猥雑な歌詞で歌って、盛り上げたものだそうです。
この歌を広く広めたのが、北海道民謡界の今井篁山(1902~1983)でした。昭和10年(1935)頃に、ニシン漁の「沖揚げ音頭」に三味線の手を付けて歌えるようにしたところ、作業での歌から酒席での歌になっていき、「北海そうらん節」としてレコードへの吹込みも行われました。
一方、江差追分の名人、初代浜田喜一(1917~1985)も、この歌を得意としました。竹内によると、昭和30年代の1957年頃、冒頭の「ヤーレン」に小節をつけて伸ばしたり、5回の「ソーラン」の3回目のリズムを変化させ「ソラン」にしたりするなどの工夫をして人気を博しました。
その他、佐々木基晴(1926~)の演唱などが、ベーシックな「ソーラン節」として知られています。
新しいソーラン節
・タキオのソーラン節~南中ソーラン
いまや全国の学校の運動会でも踊られるようになった「ソーラン節」があります。これは、北海道出身の民謡歌手、伊藤多喜雄(1950~ )によるものです。昭和53年(1978)にリリースされた「音頭 ONDO」(伊藤多喜雄&TAKiO BAND)収録の「タキオのソーラン節」が大元です。三味線や尺八とともに現代風なアレンジの伴奏にのってソウルフルに歌い上げられる1曲です。前半は朗々と声を伸ばして歌い、後半はテンポアップし、エネルギッシュに盛り上げられます。
このバージョンは、稚内市立稚内南中学校において生徒指導上の課題を乗り越え、教職員と生徒達で作り上げたパフォーマンスが広く知られるようになりました。やがて、そのエネルギッシュな教材性から全国の教職員に知られ、ダンス教材として広まっていきました。このような経過から「南中ソーラン」と呼ばれるようになり、愛好されるようになりました。
・YOSAKOIソーラン祭り
これは、北海道大学の学生であった長谷川岳(1971~ )が、高知県高知市の「よさこい祭り」に感動し、北海道でもこうした祭りを行いたいという願いから、平成3年(1991)、学生仲間5名で実行委員会を立ち上げ、「よさこい祭り」と「ソーラン節」を融合させた「YOSAKOIソーラン祭り」として誕生したものです。
本家の「よさこい祭り」で使われるのは、伝統的な《よさこい節》ではなく、武政英策(1907~1982)によって作詞・作曲された《よさこい鳴子踊り》です。これは高知市民謡《よさこい節》に、野球の応援に使われていた鳴子(本来は鳥除けの道具)を踊りに取り入れたものです。そして、徳島市の「阿波踊り」に対抗できる熱狂的な祭りを作り上げたのでした。
さて、北海道で根付いた「YOSAKOIソーラン」では、ルールとして、手に鳴子を持って踊ることと曲にソーラン節のフレーズを入れることとされています。
■音楽的な要素
曲の分類
原曲の「沖揚げ音頭」は仕事唄
いわゆる「ソーラン節」は酒盛り唄、演奏形式の唄
演奏スタイル
※原曲の「沖揚げ音頭」
歌
掛声
※舞台芸の「ソーラン節」
歌
唄バヤシ
三味線(本調子)
鳴物(太鼓、鉦等)
笛・尺八等
拍子
2拍子
音組織/音域
民謡音階/1オクターブと4度
曲の構造/特徴
① 唄は独唱。冒頭に印象的な「ソーラン」の掛声を繰り返し、歌に入ります。「ソーラン」の回数は地域によって差異はありますが、そもそも沖揚げ作業でのタモ網でニシンがいっぱいになるまで「ソーラン」を繰り返したのが本来であったようです。
② 歌の終わりに「ヤサエーヤンサーノドッコイショ」が入ります。地域や歌う人によって「ヤサエーエレヤ」「ヤンサー」など、微妙な差異があります。
③ ステージ民謡としての演奏形式の場合は三味線・鳴物・笛等の伴奏に乗って歌われますが、本来の「沖揚げ音頭」は無伴奏です。
④ 沖揚げ音頭」の場合、木遣り部分の唄や切り音頭と呼ばれる掛声等を入れて演奏する場合があります。
⑤ 冒頭の「ヤーレン」は、今井篁山調では低く歌い出しますが、初代浜田喜一調、佐々木基晴調は高めに歌い出します。地域の「沖揚げ音頭」では「エーヤレソーラン」「エンヤーレン」と歌い出したり、アウフタクトで歌い出したりする地域もあります。
■評価例
[知識・技能]
① 船べりを漁業の道具で打つリズムに合わせた掛声を想像して、作業を明るくするような楽しい雰囲気で歌われていることに気付いている。
[思考・判断・表現]
① 2拍子の力強い拍子感を聴き取り、仕事の歌の雰囲気につながっていることとの関わりについて考えている。
② 歌パート(音頭)と掛声パート(網の沖揚げ)パートに分かれて、歌や踊りを盛り上げるような感じを聴き取り、その働きの面白さを感じ取りながら、曲全体を味わっている。
[主体的に学習に取り組む態度]
①《ソーラン節》がタモ網を引き揚げる動作とともに歌われてきたことや、辛い作業を楽しいものにしようとしていた歌であったことなどの特徴などに興味をもち、音楽活動を楽しみながら主体的・協働的に学習に取り組もうとしている。
※下記には次の6種類の採譜を掲載しました。
[今井篁山調]北海そうらん節
[初代浜田喜一調]そうらん節
[佐々木基晴調]ソーラン節
余市沖揚げ音頭
美国沖揚げ音頭
江差沖揚げ音頭
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