《奈川長持唄》~ 若衆仲間が支えた古式の祝い唄(長野県松本市奈川)
奈川は野麦峠の麓。温泉やソバで知られています。かつては南安曇郡奈川村でしたが、平成の大合併により松本市となりました。かつては野麦街道等が整備され、奈川は交通の要所でした。
この奈川には古い形の婚礼に歌われた《長持唄》があります。
唄の背景
江戸時代、奈川は尾張藩に属し、木曽福島代官・山村氏の支配下でした。「尾州岡船」という観察を受けた中馬(ちゅうま)に従事することが多かったそうです。ただし、山間地である奈川は馬よりも牛による運送業が盛んであったといいます。現在の奈川は、松本市街地から奈川渡ダムのあるあたりから入っていくイメージですが、このルートはかつての飛騨街道としては「山道」で、松本城下からは木曽藪原(木曽郡木祖村)から入っていくのが「本道」でした。また、奈川はかつて西筑摩郡奈川村でしたので、文化圏、生活圏としても木曽であったといえます。
昔の婚礼では、花嫁行列によって花婿の家に向かいます。この大切なセレモニーのときに歌われたのが《長持唄》が歌われました。
〽︎蝶よナァー花よと 育てた娘
今日はナァー他人の 手に渡すヨー
(ハァホイコラ ホイコラ)
かつての婚礼の花嫁の送迎は若衆仲間と呼ばれる青年会が務めました。奈川村誌によれば[奈川村誌編纂委員会1996:201]、結婚式の当日、花嫁、花婿双方の若衆仲間が隣家に宿を取って待機し、祝杯を上げるところから始まり、祝酒を持たせた「樽背負い(たるしょい)」という役とともにあいさつに行きます。その他の若衆は集落境に迎えに来ます。花嫁方の若衆仲間は長持を担ぎ、歌いながら集落境まで送り出しますが、この時に《長持唄》が歌われます。また、この集落境で「受け取り渡し」の式を行い、花婿方に渡されると、提灯をかざしながら、また《長持唄》が歌われ、道中を進んで行くのだそうです。
全国に広まった雲助唄
この唄は全国で歌われいた「長持唄」「箪笥長持唄」という歌が奈川でも歌われるようになったものです。この「長持唄」の源流は、竹内によれば《箱根駕籠かき唄》(神奈川県足柄下郡箱根町)であるといいます[竹内2018:357-359]。東海道の宿場で駕籠や長持の担ぎ手が交代するときなどで歌われた儀式の唄であったようです。これを覚えたのが「雲助」と呼ばれる荷物運搬に従事した人々でした。そのため、この「駕籠かき唄」は「雲助唄」として各地に広まったようです。
地方では祭礼の道中や花嫁道中などを大名行列に見立てて、この「雲助唄」を歌いました。信州でも祭礼での長持行列の出し物として「雲助唄」が歌われています。そして、奈川のような婚礼で歌われる「長持唄」も残されています。
音楽的特徴
拍子
無拍節
音組織/音域
民謡音階/1オクターブ
歌詞の構造
7775調の甚句系の詞型です。掛声は「ハァホイコラホイコラ」が入ります。歌う方によって、バリアンテがあると思います。
〽︎蝶よナァー花よと 育てた娘
今日はナァー他人の 手に渡すヨー
(ハァホイコラ ホイコラ)
演奏形態
歌
掛声
以下には、《奈川長持唄》の楽譜を掲載しました。
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