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《奈川八幡》~郡上八幡の踊り唄が伝播(長野県松本市奈川)
奈川は野麦峠の麓。温泉やソバで知られています。かつては南安曇郡奈川村でしたが、平成の大合併により松本市となりました。かつては野麦街道等が整備され、交通の要所でもあった奈川には、さまざまな人々が行き交い、信州以外の珍しい文化も伝播してきました。
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この奈川にはいくつかの民謡が残されたものの中に、《八幡》という踊り唄があります。
唄の背景
かわさき踊りの流行
江戸時代、奈川は尾張藩に属し、木曽福島代官・山村氏の支配下でした。「尾州岡船」という観察を受けた中馬(ちゅうま)に従事することが多かったそうです。ただし、山間地である奈川は馬よりも牛による運送業が盛んであったといいます。現在の奈川は、松本市街地から奈川渡ダムのあるあたりから入っていくイメージですが、このルートはかつての飛騨街道としては「山道」で、松本城下からは木曽藪原(木曽郡木祖村)から入っていくのが「本道」でした。また、奈川はかつて西筑摩郡奈川村でしたので、文化圏、生活圏としても木曽であったといえます。
この《八幡》とは、「郡上の八幡」、つまり岐阜県郡上市八幡町のことです。
元唄は、
〽︎[音頭]
郡上の八幡 出てくる時は
エサーヨーイ雨も降らぬに 袖絞る
[付け]
袖絞るイ
雨も降らぬに 袖絞る
という歌詞となっています。つまり、この冒頭の「郡上の八幡」という出だしの詞を楽曲名としたものです。
郡上市八幡町は水と踊りの町として知られる、八幡城の城下町です。ここで7月中旬から9月にかけて歌い踊られる「郡上おどり」があります。これは《かわさき》《三百》《春駒》等、10演目からなる踊りです。
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《郡上おどり》のなかでも、特に代表的なものが《かわさき》です。現行の八幡町の《かわさき》は以下のような歌詞です。
〽︎[音頭]
郡上のナァー八幡 出て行く時は
(ハァソンレンセ)
雨も降らぬに 袖絞る
[付け]
袖絞るノー 袖絞る
(ハァソンレンセ)
雨も降らぬに 袖絞る
この「かわさき」とは伊勢神宮の参詣客で賑わった三重県伊勢市の河崎のこと。伊勢の台所と呼ばれた河崎は、勢田川沿いの河岸に栄えた場所で、船で
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伊勢参りに来る人々が乗り降りする場所でした。
この地で伊勢の御用材を曳くときの木遣り唄がお座敷で歌われるようになると「河崎音頭」となります。これが「伊勢音頭」の母体で全国に広がっていくのですが、それが郡上入りしたものです。
郡上の《かわさき》が伝播したか
郡上八幡でもっとも有名となった現行の「かわさき」は、その原曲となった《古調かわさき》が今でも歌い踊られていますが、大正時代に三味線や鳴物が付けられたものです。一般的には《郡上節》というと、この《かわさき》をさすほど、郡上八幡を代表する楽曲となりました。
人気のあった郡上八幡の踊り唄の「かわさき」は、各地に広まります。長野県内でも木曽郡王滝村では《王滝八幡》(木曽郡王滝村)があります。山梨県では《奈良田八幡》(南巨摩郡早川町奈良田)まで伝わっています。
ところで、郡上八幡から伝わった《かわさき》は、そのまま伝わったのかといえば、似ている点と似ていない点があります。
似ている点としては、歌詞です。ほぼそのままの歌詞が伝わっています。しかし、おもしろいのは、あらためて歌詞を読むと、本家の郡上八幡では、
〽︎郡上八幡 出て行く時は
雨も降らぬに 袖絞る
ところが奈川では、
〽︎郡上八幡 出て来る時は
雨も降らぬに 袖絞る
というように「出て行く」から「出て来る」となっています。これは郡上八幡と他所の地との位置感覚から歌い変えたものでしょうか。ちなみに王滝村でも「出て来る」で歌われています。
一方、旋律やリフレイン、ハヤシ詞等はあまり似ていないように思います。旋律の音階は、郡上の《かわさき》は都節音階でしっとりとした雰囲気ですが、奈川では民謡音階で、周辺の盆踊り唄と共通した感じがします。また、音頭の歌が終わったあとの返し方は、郡上では最終の第4句を2回繰り返してから、下の句を再びつなぎますが、奈川では第4句の繰り返しは1回で、下の句につなぎます。この返し方は奈川の《えささ踊り》や《かやぶき》等の盆踊り唄と共通です。
音楽的特徴
拍子
2拍子系
音組織/音域
民謡音階/1オクターブ
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歌詞の構造
7775調の甚句系の詞型です。リフレインをはさんで音頭が歌い切ると、踊り手による返しの付けが続きます。
〽︎[音頭]
郡上の八幡 出てくる時は
エサーヨーイ雨も降らぬに 袖絞る
[付け]
袖絞るイ
雨も降らぬに 袖絞る
演奏形態
歌
付け
以下には、《奈川八幡》の楽譜を掲載しました。
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