《小室節》~浅間に響く名旋律(長野県小諸市)
長野県の東部、浅間山の裾野に広がる佐久平…その北部にあるのが小諸市です。小諸は古くは「小室(こむろ)」と呼ばれていたといい、浅間山を見渡すこの地で《小室節》が歌われていた《小室節》は、
〽︎小諸出て見よ 浅間のエー山にヨー
今朝もナー 三筋のヨー エー煙立つヨー
という歌詞とともに、雄大な浅間山の裾野に広がるような美しいメロディとなっています。
この唄は、ステージ民謡としての《小諸馬子唄》とは異なるものですが、小諸市の楽器店社長、長尾真道(おさび まみち)の研究と尽力により、広く知られるところとなりました。
唄の背景
《小室節》の研究
《小室節》のまとまった研究書としては大きく2つが忘れられません。
長尾真道「追分節の源流正調小室(諸)節集成」 1976年
村杉 弘「小室(諸)節考」1993年
長尾真道(1899-1975)は、小諸市の楽器店社長でしたが《小室節》研究と保存、普及につとめました。
村杉弘(1927-2017)は、信州大学教育学部名誉教授。教育学部において、日本の伝統音楽を音楽の授業にいかせるために、学生に対し信州の伝統音楽についての講義を古くから行ってこられました。
これらの研究によれば、《小室節》の元は、古くから馬の飼育されていた御牧ケ原から、朝廷に馬を献上する貢馬(くめ)の道唄であったといいます。それが小諸の祗園社祭礼での「神賑わい唄」になったといい、それが《小室節》の母胎であるそうです。かつては《小室節》は、文献や近松門左衛門の「丹波与作待夜小室節」といった古典作品などにも顔を出すことから、広く知られていたようです。
ただし、この《小室節》と小諸の《小室節》とは同一ではないともいわれます。
また、《小室節》とモンゴル民謡が似ているという観点から、これらの関係について紹介されています。特に、モンゴル民謡のオルティンドーの中の《小さい葺色(しゅういろ)の馬》という唄に似ているという小泉文夫(1927- 1983)による研究がよく知られ、「遙かなる詩・シルクロード」(1978)というレコードが東宝レコードより出され、その解説に紹介されたのは有名です。
北佐久郡地方には、渡来人の遺跡があるのだそうですが、東北アジア系騎馬民族の渡来という観点から、望郷の思いで歌ったものではないかという説もあります。また、村杉教授は浅間山修験道と《小室節》との関係について、また御牧ケ原周辺の稲荷信仰と関わりがあること等からの考察をされています。いずれにしても、古代のロマンや地域の信仰との関りを感じさせます。
ただし、日本音階とモンゴルの音階について、音楽学者、小島美子(1929-)は、モンゴルと日本の音楽の歴史的な位置づけから、結論はまだだと言われており、確証は薄いとされています。これからの音楽学者による研究が待たれます。
旧調小諸馬子唄から正調小室節の確立
長尾真道の尽力によって、その後、小諸市御影の博労(ばくろう)であった高野金吾(1892-1961)の唄をもとにして採譜、編曲し、昭和20年代後半に《正調小室節》として整理しました。
高野金吾の唄は、当地域で歌われていた馬子唄、馬方節のようなもので、現在の《小諸馬子唄》とは別の、いわば《旧調小諸馬子唄》といえると思います。高野が歌ってきた楽曲名が何であったかも未確認ですが、おそらく小諸の馬子の唄という意味で《小諸節》としておきます。
馬子唄・馬方節の特徴
全国に広まった「追分節」は北佐久郡軽井沢町、中山道の宿場「追分宿」で発生したもので、中山道を往来する馬子、馬方の唄がお座敷唄となったといわれています。追分宿では古くからの「追分節」の母体は分かりにくいのが現況ですが、周辺の馬子唄としては《坂本馬子唄》(群馬県安中市坂本)なども《坂本節》等と称して歌われていたようです。《坂本馬子唄》は坂本の唄という意味で《坂本節》と呼ばれていたことからも分かるように、小諸でも小諸の唄という意味で《小諸節》として古くから歌われていたことが想像されます。
これらの馬子唄は、歌の冒頭部は低めに出て、一気に高音域へ向かうメロディラインが特徴的です。
また、下の句でも最高音で声を張るダイナミックな歌唱が求められます。こうした特徴から《坂本馬子唄(坂本節)》や《旧調小諸馬子唄(小諸節)》のような唄が周辺で歌われていたものと推測されます。
正調小室節の普及
長尾真道により確立した《正調小室節》は、その後長尾の尽力により、小諸を中心として広がっていきます。高野の《小諸節》を、小室時代からの古い唄として《小室節》としたものと思われます。
昭和44年(1969年)
キングレコードより原田直之師により《正調小室(諸)節》《正調信濃追分》レコード発売となりました。
昭和45年(1970年)
小室節愛好会発足、のちに昭和56年(1981年)、小室節愛好会を小室節保存会に改組され、今日に至るまで活動が続きます。初代会長に荻原雅、副会長に長尾真道が就任しました。また、免許規定を制定して、長尾真道が初代家元となるなど、組織として整備されていきます。
昭和54年(1979年)
第1回正調小室節全国大会開催。
昭和60年(1985年)
尺八譜を飯吉正山師により作譜、完成。飯吉正山(1925-2015)師は新潟県上越市の尺八演奏家、指導者。「北越の尺八王」と称された尺八界の大御所。邦楽ジャーナルから「飯吉正山の民謡尺八集」(都山譜)発行、その中巻に《正調小室(諸)節》が掲載されています。
《小室節》の古い歌詞は確かに文献からは分かるのですが、その旋律については分かりませんし、小島美子氏の言われるように、古い時代に現在耳にできる「民謡音階」のメロディが祭礼の折に歌われていたのかは今後の研究成果を待ちたいと思います。ただし、高野金吾の歌う「博労節」の旋律が母体であるということは、明らかに馬方節・馬子唄ですし、小諸の博労節が直接追分宿で歌われて「追分節の源流」になったと結論付けるのはまだ研究の余地がありそうです。
また、馬子唄としての《小諸馬子唄》とこの《小室節》について、さまざまな本などでこれらの唄が同一視されたり、混同されたりしていることが多いのも信州人からすると大変煩わしいです。歌詞が似ていたり、メロディラインの似ているところもありますが、そもそもちがう楽曲であり、別に考える必要があります。
しかし、長尾真道の尽力により、小諸の民謡が全国に認知されるようになったことの功績は大きいと思われます。名旋律ですので、今後も広く愛好されることと思います。
音楽的特徴
拍子
無拍節
音組織/音域
民謡音階 1オクターブと4度
歌詞の構造
7775調
※語調の関係から、基本の7775調の詞以外に添え詞(カタカナ部分)が加わる。掛け声は( )内。
〽︎(ハイ ハイ)
小諸 出て見よ
浅間の エー山にヨー
(ハイ ハイハイ)
今朝もナァー 三筋のヨー
エー煙立つヨー
(ハイ ハイハイ)
演奏形態
歌
尺八
馬鈴
掛け声
下記には《小室節》の楽譜を掲載しました。
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