《古間音頭》~古間宿に残る古い形のおけさ(長野県上水内郡信濃町)
越後から北信濃を通って追分宿(北佐久郡軽井沢町)に向かう北国街道の宿場町、古間は「酒と鎌」で知られたところです。
この地で歌われた踊り唄、酒盛り唄が《古間音頭》です。
唄の背景
古い形のおけさ節
古間では、隣の柏原(上水内郡信濃町柏原)と同様に「おけさ」と「甚句」を伝えていました。「おけさ」とは、いうまでもなく《佐渡おけさ》で知られる越後の踊り唄です。
古間の盆踊りの伝説では、慶長14年(1609)の諏訪神社の秋祭りに、京都の浪人らしい成田五郎左衛門忠昭という人物が伝えたといいます。しかし現行の《古間音頭》は《柏原おけさ》の旋律とほぼ同系統です。古間でも、
〽︎おけさ踊るなら 品よく踊れ
品がよければ 嫁に取る
という歌詞が残っているそうですので、越後の「おけさ」が源流で、柏原とともに伝わり、《古間おけさ》として歌われてきたものと思います。古間では、歌の伴奏に笛と大小の太鼓、鉦の伴奏が入ります。
「おけさ」とは、諸説ありますが、越後で「おけさ」という人物を歌ったもののようで、7775調の甚句形式の唄です。その歌詞に九州の「ハイヤ節」が流行してくると、その旋律に越後の「おけさ」の歌詞を乗せて歌ったものであるといわれます。
歌詞は、次のようなものです。
〽︎[音頭]
古間(チョイト)よいとこ(ソリャ)
団扇は要らぬヨ
[付け]
オヤ都殿御の 夏涼みヨ
[音頭]
オヤ殿御の 都ヨ
[付け]
オヤ都殿御の 夏涼みヨ
音頭取りが上の句を歌い、踊り手等が続きの下の句を歌います。続けて、音頭が返し、踊り手等が再び下の句を続けて歌います。この返し方は、信州各地に残る古い盆踊り唄に見られるものです。
一方、越後の「おけさ」と比べると、差異があります。例えば、《出雲崎おけさ》(新潟県三島郡出雲崎町)では、
〽︎(ハヨシタヨシタヨシタネ)
おけさ踊りと 磯打つ波はヨ
(ハヨシタネ ヨシタネ)
いつも心がソーレ いそいそと
(ハヨシタヨシタヨシタネ)
といったようなもので、返しはありません。また下の句第三句目の後に「ソーレ」というリフレインが入ります。「おけさ」にはこのように「ソーレ」「ヤーレ」「サーマ」といったリフレインが見られるのが特徴です。
また、繰り返しのある越後の「おけさ」は数が少ないのだそうですが、古間にはリフレインがなく、越後にはない返しが付くのが特徴といえます。
ただし、新潟県でも返しの付く「おけさ」として《津川おけさ》(新潟県東蒲原郡津川町)等が知られています。
〽︎[音頭]
おけさにダンヨー
おけさにかもなヨ(チョイチョイ)
おけさ猫の性でヤーハレー(ヤーハレー)
じゃれかかるヨ
[付け]
じゃれかかるヨ
おけさ猫の性で
ヤーハレーじゃれかかるヨ
曲の雰囲気は似た感じがします。特徴として、越後らしく「ヤーハレー」というリフレインが第3句目と第4句目の間に挿入されます。繰り返しは、音頭が一通り歌うと、付けが下の句最終句を返し、再び下の句を歌います。古間では、第3句の文字を入れ替える返し方で歌ってきていますので、当地域の盆踊りにも見られるタイプです。いずれにしても、「おけさ」としては古いタイプなのかも知れません。
こうした《古間おけさ》も一時廃れてきましたが、大正9年(1920)3月に、古間の人々によって復活、歌詞を改作し、楽曲名もこの時から《古間音頭》としました。
古間ボンダンス
古間で必ず語られるのが「フルマボンダンス」です。大正末期に野尻湖(上水内郡信濃町)に避暑に来ていた外国人たちが、古間の盆踊りを見て称賛したのだそうです。これに喜んだ古間の青年会は野尻湖畔の別荘地の「国際村」に盆踊りの案内状を出して歓待したといいます。こうして古間の盆踊りは「国際ボンダンスフェスティバル」として、国際親善に一役買ったのでしたが、戦後はまた静かな盆踊りになっていきました。
音楽的特徴
拍子
2拍子
音組織/音域
都節音階/1オクターブと2度
歌詞の構造
基本の詞型は7775調の甚句形式です。音頭取りが上の句を歌い、踊り手等が続きの下の句を歌います。続けて、音頭が第3句目の3文字と4文字を入れ替えた返しを付けます。その後に、踊り手等が再び下の句を続けて歌います。
〽︎[音頭]
古間(チョイト)よいとこ(ソリャ)
団扇は要らぬヨ
[付け]
オヤ都殿御の 夏涼みヨ
[音頭]
オヤ殿御の 都ヨ
[付け]
オヤ都殿御の 夏涼みヨ
歌い出しには「オヤ」を付けて歌うのが特徴です。ただし、一番目の歌詞のみ「オヤ」なしで「古間」と歌い出します。
演奏形態
歌(音頭)
笛
太鼓(大・小)
唄バヤシ(踊り手)
下記には《古間音頭》の楽譜を掲載しました。
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