《奈川臼挽節》~乗鞍山麓の里で歌われた夜なべの仕事唄(長野県松本市奈川)
奈川は野麦峠の麓。温泉やソバで知られています。かつては南安曇郡奈川村でしたが、平成の大合併により松本市となりました。かつては野麦街道等が整備され、奈川は交通の要所でした。
この奈川名物のソバなどを臼で挽いた時の仕事の唄が《臼挽節》です。
唄の背景
現在の奈川は、松本市街地から奈川渡ダムのあるあたりから入っていくイメージですが、このルートはかつての飛騨街道としては「山道」で、松本城下からは木曽藪原(木曽郡木祖村)から入っていくのが「本道」でした。また、奈川はかつて西筑摩郡奈川村でしたので、文化圏、生活圏としても木曽であったといえます。
また、奈川は標高1,200mを越える高冷地であり、戦前まではソバが主要作物として栽培されていました。また、温かなつゆにそばを温めて食べる「とうじそば」という食文化があり、交通の要所でもあった奈川では、ふるまいの料理として供されていたといいます。
収穫したソバを粉にするには、かつては石臼で挽く作業がありました。翌日に食べる分のソバを、前の晩などに挽いたものだそうです。
横山によると、この地ではトチノキの大木を五尺(約150cn)に切り、丸木舟のように刳り上げた台に石臼を置き、向き合って2人で挽木を回すのだそうです[横山 1986:317]。
この作業の時に《臼挽節》が歌われました。
〽︎臼の軽さよ 相手のよさよーイ
相手変わるなノオ 明日の夜も
[付け]
相手のよさよーイ
相手変わるなノオ 明日の夜も
この作業は家ごとではなく、隣り近所で日ごとに場所を変えて行いました。作業としては女性が行ったようですが、男性たちも「お手伝い」として顔を出して、若者たちの交流の場ともなったそうです。こうした光景を考えると、上記の歌詞は、気の合った人のことを思いながら歌ったことがよく分かります。
乗鞍山麓の山村で歌われてきた仕事唄
この唄は、7775調の詞型によるもので、簡易な旋律です。作業をしながら歌われたもので、しかも若者たちが集まって歌ったもののため、ふっと口ずさめるようなものでした。特に、下の句第3句目と第4句目の間に「ノオ」というリフレインが入りますが、これは踊り唄などで調子を整えるために添えられる詞と同様と考えられますので、おそらく踊り唄のような流行り唄や酒盛り唄のようなものが、臼挽き作業の唄として、歌われるようになったものと思われます。
町田によれば、三河・尾張(現愛知県)の「粉挽唄」「粉摺唄」が同系であると指摘されています[町田 1965:32]。奈川近隣では、大野川(現松本市安曇大野川)や稲核(現松本市安曇稲核)でも歌われていました。同じような作業の仕事唄が広まっていったということは興味深いです。
音楽的特徴
拍子
2拍子系
音組織/音域
民謡音階/1オクターブと2度
歌詞の構造
7775調の甚句系の詞型です。素唄を歌うと、その他の人々による返しの付けが続きます。なお、「返し」を付けずに歌い切る場合もあります。
〽︎臼の軽さよ 相手のよさよーイ
相手変わるなノオ 明日の夜も
[付け]
相手のよさよーイ
相手変わるなノオ 明日の夜も
演奏形態
歌
付け
以下には、《奈川臼挽節》の楽譜を掲載しました。
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