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《中山豆たたき》~豆をたたく音をイメージした踊り唄(長野県松本市中山)

松本市南東部に位置する中山は鉢伏山(1929m)の西麓。江戸時代には埴原村・和泉村・神田村の三村からなっていました。近世初頭は松本藩に属していましたが、1600年代には諏訪高島藩領となったという歴史があります。
古くからの歴史も深く、古墳や縄文期の遺跡も多く残されています。

中山古墳群方面の遠景

松本市有数の桜の名所弘法山から中山旧和泉村へ抜ける中山丘陵にはいくつもの古墳が発見されており、中山の有志が蒐集したものを収めた中山考古館があり、昭和61年(1986年)には松本市立考古博物館として開館しました。また、奈良~平安期、古代の牧場の跡である埴原牧(はいばらまき)跡もよく知られるなど、史跡が多い地区です。
この中山には《扇甚句》《豆たたき》《ささら踊り》の3曲の踊り唄が残されています。


唄の背景

農村の生活を垣間見る素朴な踊り唄
農村の楽しみであった盆踊り。中山には古い神社や寺院もありますので、そうした社寺の境内で楽しく踊られたものでしょう。

臨済宗の古刹、金峯山保福寺

中山で歌われてきた踊り唄のなかでは、賑やかな踊りに合うような速めのテンポで歌われています。「豆たたき」とは踊りのなかで手を打つ手拍子の音が、秋の収穫時の豆をたたく音を連想させるための楽曲名であるといいます。町田によると、かつての農村では藁ぞうりを履いていましたが、踊りのときには小鈴をつけて、足を蹴って踊ったものだそうです[町田1965:69]。

豆(大豆)の畑

実際にはささらも使われています。中山にはこの唄の他に、ささらをもって踊る「ささら踊り」がありますし、少し南の内田地区にも同型の盆踊り唄の伝承があります。単調な踊りのなかでも小鈴や足を蹴る音、ささらの音を立てて、賑やかに仕立てたものと思われます。

南から運ばれた甚句
この唄は7775調の詞型であり、甚句形式の唄といえます。特徴的な点としては上の句と下の句の間に「ヨイソレ」の唄バヤシが入ることです。
「ヨイソレ」というと、中山では歌われませんが内田の「ささら踊り」の上の句第1句目のあとに入る例があります。また、もう少し範囲を広げると、諏訪地方で歌われる「エーヨー節」の唄バヤシにもあります。同系の唄は上伊那地方にも見られますが、こちらでは楽曲名としても「ヨイソレ」と呼ばれます。
これらの唄は第3句目と第4句目の間に「エーヨー」という句が挿入されるのも特徴的です。中山の《豆たたき》では第3句目と第4句目の間に「エーヨー」ではなく「ソレー」という句が入り、形式的には似ていなくはない気がします。中山が諏訪高島藩領であったこととは直接関係はないかもしれませんが、諏訪の唄が流れてきた可能性もあるかもしれませんが、メロディラインを比較するとやや距離を感じさせます。

一方、次のような歌詞が伝承されています。
〽︎ハァー月は傾く 夜はしんしんと
 館々にソレー 鳥の声

〽︎ハァー男伊達なら あの大川の
 水の流れをソレー 止めてみよ

これらの歌詞は木曽谷の甚句等に類歌がありますので、木曽方面から持ち込まれた可能性もあるかもしれません。
いずれにしても信州でも南の方から流行してきたものではないでしょうか。


音楽的特徴

拍子
2拍子系

音組織/音域
民謡音階/1オクターブ

中山豆たたきの音域:1オクターブ

歌詞の構造 
基本的な詞型は7775調。
(  )内はハヤシ詞。第3句目の後に「ソレー」が入ります。
〽︎ハァー揃うた揃うたよ 踊り子が揃うた
(ア ヨイソレー)
 稲の出穂よりソレー まだ揃うた

演奏形態

ハヤシ詞
三味線
太鼓
ささら
※尺八を入れる場合もある

下記には《中山豆たたき》の楽譜を掲載しました。

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