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終わらぬ線香花火
昔、夏の自由研究で、線香花火を題材にしたことがある。その時に、線香花火は四姉妹だと知った。まず点火してから次第に大きくなっていく火の玉、「蕾」。次に力強く火花を散らす「牡丹」。そして牡丹よりもさらに激しく輝き、四方八方に火花を広げる「松葉」。最後に松葉の輝きを一つ一つ落としていく「散り菊」。国産の線香花火特有のこの姉妹は、僕の幼かった心にも響いたことをよく覚えている。研究所は、おばあちゃんの家。花火ではしゃいだあとに風鈴の鳴る縁側で、おばあちゃんに塩をかけたすいかを食べさせてもらった。そして、中学生になった僕は、再びおばあちゃんの家に泊まりに来ていた。お母さんが、「そろそろ帰ろっか」といってお墓参りを終える。僕は、暗い畦道を足を踏み外さないようにゆっくりと歩く。そうしている内にふと、この道の行き先が、夏の終わりに思えた。浮き立つような感覚を抱いていると、向こうから四姉妹が来るのが見えた。誰もどこかにいってしまわないようにぎゅっと手を繋いでいる。それでいて、楽しそうに縮こまったり跳ねたりしている。そんな彼女たちを見ていると、なぜか胸が苦しくなって、涙がとめどなく溢れ出した。そして、すれ違う。彼女たちとはもう会うことはない。なぜかはわからないが、そう強く思った。
狐につままれたような感覚が消えないまま、家に着いた。お風呂に入ってからもこれが現実なのか夢なのかははっきりしなかった。居間で過ごしていると、おじいちゃんが、「線香花火、やるか。好きだったろ」と言って、僕を縁側の外に連れ出した。線香花火を手にして、改めて思う。こんな細い枝のようなものから、あんなにも胸を打つ煌めきが生まれるのか。そんなことを密かに考えながら、点火した。すくすくと蕾が育つ。生命力をも感じさせる火種は、やがて力強く弾けはじめ、牡丹の花を咲かせる。さらにその命を燃やし尽くさんとする勢いで松の葉を散らし、その一枚一枚が、菊のようにゆっくりと垂れていく。昔の記憶と目の前の花火を照らし合わせ、一つ一つの火花の名前を思い出す。儚いはずの感動が、永遠にも思えた。その瞬間、淡い幻覚が頭の中でフラッシュバックする。彼女たちとはもう会うことはないだろう。それは間違いない。それでも、彼女たちは世界に存在する。そもそも出会えたのはきっと、この世に途中下車するタイミングがたまたま同じだったのだろう。そうして、僕たちの前に線香花火として現象した。要するに、運が良かったのだ。例え目的地が違っても、進む方向が違っても、僕たちは同じ永い道を歩んでいる。だから、もういいのだ。いいよね。おばあちゃん。そんな妄想を垂れていると、「すいか、食べるか。種取っといたぞ」おじいちゃんから呼ばれた。「どうしたあ。ないとるんか」見透かされた恥ずかしさは、昔食べたのよりもしょっぱいすいかの塩気で吹き飛んだ。