歯車が狂う瞬間(代理センター制度の悪)
日向坂46小坂菜緒はなぜ倒れたのかについて考えていきます。
"小坂菜緒"、デビューシングルから4作連続でセンターを務めた日向坂46のエース。
改名からデビュー、グループの命運を握る最も大事な期間を彼女は任せられた。
そしてグループは快進撃を見せた。彼女は見事に大役を務め上げたが2021年6月活動を休止した。
そんな彼女に変化を感じたのは2020年12月ごろ、この時を境に彼女のメッセージは激減した。そして迎えた"ひなくり2020"、このライブで彼女は底を見せた。立っているのがやっとのパフォーマンス、それまで彼女はグループの先頭に立ち続けたが、そのような表情を見せることはなかった。すぐに休業させるべきだと思った。しかし、実際に休業したのはその半年後となった。写真集や延期されたヒノマルソウルのプロモーションが控えていたからである。
外から見て変化を感じたのは2020年12月だが実際に変わったのは2020年2月ごろだろう。
全ての元凶はヒノマルソウルの撮影が悪天候で延期され、2020年2月に開催されたDASADAライブに欠席したことが始まりだと考える。急遽欠席となり空いたセンターの位置には代理でメンバーが入ることになった。ここで問題となる楽曲が"青春の馬"だ。この曲は、"JOYFUL LOVE"、"約束の卵"と並ぶグループの中で最も強度の高い楽曲の一つだ。第一弾ドキュメンタリー映画ではメンバーがこの曲こそ日向坂が進むべきとまで言わしめた楽曲。そんな大事な楽曲の初披露がDASADAライブとなった。"小坂菜緒"はその場にいなかった。"金村美玖"が本家の前に立ってしまった。小坂色に染め上げる前に金村が染め上げてしまった。これは本当にきつい。他の曲はファンの前で何度も彼女がセンターに立ち、自分色に曲を染め上げることができたため代理センターが立っても彼女の色が褪せることはない。しかし、"青春の馬"のパブリックイメージは"金村美玖"となってしまった。奇しくもこの初披露は長期休業していた"濱岸ひより"の復帰と重なった。代理センター金村が濱岸の手を引くシーンはあまりにもエモーショナルな瞬間だった。
歯車が狂う瞬間だ、それからコロナ禍に突入しファンの前で青春の馬を披露することはできなかった。上書きする機会すら与えられなかった。もし青春の馬が駄曲だったら、もしパブリックイメージを上書きできる機会があったら歴史は違っていたかもしれない。
代理センターを賞賛する行為はオリジナルメンバーを傷つける。その悪意なき刃をむけていることを私たちは忘れてはならない。
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