発達障害グレーゾーン50代「仕事を辞めた」
仕事はしなくちゃ生活できないし
特に嫌いと言うわけでもない
でも、合わない仕事は
コテンパンに合わない
それは
一般事務
という
世の中では1番普通に存在する仕事でした。
私は商店での一般事務だったので
お客さんからの電話を取る
注文を聞く、伝票を書く、
計算をする、レジでお会計をする
…
言葉にすれば
全部簡単なことかも知れません
私も、そこへ行くまでは
がんばればできると思っていました。
でも、やっぱり
できませんでした
電話は聞き取れない
メモを書いているうちの会話は聞き逃すし
思い込みの間違い
注文漏れやミス
伝票の書き間違い、計算間違い
などなど
お金に関しては
人一倍気を配っていたにも関わらず
レジの清算したら合わなかったり
お金をいただく時に
ミスをしないように
枚数をお客さんの目の前で数えて
受け皿に小銭も用意して再確認
徹底してやっていたんだけど…
レジは私とあとベテラン2人が使っているから
私ではないかも知れない、でも、
日常からミスを連発している私が
第一容疑者になってしまってるみたい。
自分としてもたくさんのお客さんを
相手にしているから、
レシート確認して
記憶を辿っても思い出せない…
あとのベテラン2人と社長に
「これからは気をつけてくださいね」
と言われ続けた
あ、そっか、私がやったのかも知れない。
何といっても
言い返す術もないから
清算が合わない日が続くと、
「またやってる」「反省してない」
みたいな雰囲気になっていた
居心地悪かったな…
清算の時は、いつも胃がチクチクした
でも私のミスだったら仕方ない
人に注意されることは
誰だって嫌だし
避けたいことだと思う。
それを避けるために
勤務時間はいつも
神経を張り詰めて行動していた。
帰ってからは疲れ切って何もできず
ひたすら寝た。
周りの人から見て
注意を払えば難なくできること
普通はできること
それがわたしにはとても難しいことでもあった。
どうして普通にできないのか
スピード勝負の、忙しい仕事だったということも
あったかもしれない
普通に仕事をこなせない自分を
分かって理解しているつもりだったけれど
受け入れながらも
やはり、やらかしてしまう自分と
他人の評価には
打ち勝つことができなかった
ある時ふと思ったこと
「ここでわたしは、あと10年勤められるのか」
周りの印象を変えて
率先して仕事に邁進できるのか
…正直、1秒でも早く
ここから逃げたい
それがわたしの答えであり
結論だった
今でも、
これは甘えなのか
と落ち込むこともある
でも、やっぱり
その場所で自分の居場所は
いまだに探せない
辛い、苦しい、泣きたい、逃げたい
なら
ごめんなさい
甘えます。
これからもわたしは
わたしのまま、
ずっと生きていかないといけないのだから
改めて
自分の居場所を探します。
探さないといけない。
休職から2週間
わたしは社長に退職を伝えた。