これまでの日常から新しい日常へ再設定する:コロナ以降を生き抜く為に
コロナウイルスの蔓延によってこれまで当たり前にあったものがどんどん崩れ去っている。
こうした状況に必要なのは、まずこの事態を生き延びることである。
その為には、これまで日常から別の新しい日常を再設定する必要があると考えている。この記事では、その必要性の定義に留まっており、具体的なアイディアを提案できてはいない。しかし、そのアイディアの源泉になり得るものをいくつのフィクションの物語の中に見いだしつつあるのでそれも合わせて紹介する。新しい日常が再設定され、できるだけ多くの人が生き残ることを願ってこの記事を書く。
コロナのもたらすもの
まず始めに、コロナがもたらした危機は具体的にどういった事態なのか定義したいと思う。コロナウイルスはもちろん、人を死にいたらしめるウイルスであるので、「生存の危機」をまずあげることができる。コロナウイルスのもたらす事態はそれにとどまらず、資本主義の生産システムを機能不全に陥れている。つまり「経済の危機」である。更にウイルスの感染を抑止するために、国家が個人の権利を侵犯する事態「自由の危機」でもある。またそういった複合的な危機を隔離された部屋で不安に過ごさなければならない「メンタルの危機」でもある。
コロナがもたらすものとは、生存の、経済の、自由の、メンタルの危機なのである。
こうした複合化し、複雑化した問題を解決するのは極めて難しい。特定の危機を優先的に解決しようとしたときに別の危機が強化されてしまうような事態が起こるからだ。
その為、何が正しくて、どうすべきであったかに関しては、全てが終息してからでないとわからないのである。また、どの程度のスパンで評価するか、どこを重要視するかでまたその評価もかわってくるだろう。
であるこらこそ、完璧な対応策を構築が不可能でも、今可能な最善と思える策を実行していくべきだと私は思う。
日常について
日常とはどういったものだろうか?
それは昨日と同じ日々が明日も明後日もやってくることを前提としている。そうした安定したリズムとルールのようなものである。日常は、何らかの危機が起こった時にあっさりと崩れさり、消滅してしまったかのように見える。実際はそうではなく、混乱が一定のレベルまで収まるにつれて、別の新しい日常が再設定され継続していくのである。
なぜここまで日常は強いのか?
それは、人間がそうして新しい事態が延々と続く状態に対応しきれないからである。新しい事態が延々と続いたとしても、それを受け止められるリズムとルールがあれば安定して現実と向きあい生活ができる。
つまりは、今後コロナがもたらす事態をベースにした日常が再設定されてくるというわけである。今は、これまでの日常とコロナ以降の新しい日常と切り替える時期にあるのだ。
その為にも、新しい日常がどういったものになるべきかある程度準備しておく必要がある。
新しい日常を構築するためのアイディア
コロナ以降の新しい日常を構築するか?
その為のアイディアは、フィクションの物語の中でキャラクターたちが選択した対応策がヒントになる。実際に現実の中でその対応策が上手く機能するか今の段階ではわからない。
しかし、艱難の状況の中で彼らが導きだし答えは、同様に困難状況に直面している我々に生きる為のヒントを与えれくれるだろう。
ヒントとしての物語
ここで紹介する物語は比較的最近のものでなおかつ、ネットフリックス、Amazonプライムビデオなどで見やすいもの限定して紹介する。
「少女終末旅行」
文明が崩壊し、自然すら再生する可能性のない完全なる絶滅を迎えようとする世界で「何かあるかもしれない」上の階層を目指して旅を続ける二人の少女の物語である。彼女たちは絶望的な状況にあるにも関わらず普通に当たり前に生きている。つまり、絶望の世界の日常を生きているのだ。それをもっとも象徴するセリフに「絶望と仲良くなる」がある。
我々はそれがどんなことで、どういった効果を持つものなのか今こそ考えるべきである。
https://watch.amazon.co.jp/detail?asin=B076C4KPVY&territory=JP&ref_=share_ios_season&r=web
「物語シリーズ セカンドシーズン 傾物語」
傾物語は、物語シリーズの中でも異質な立ち位置にある作品で番外編に近い内容となっている。物語の中で主人公たちは絶望的な状況に置かれる。その絶望的な状況のなかでどういった「意志」を持ったのかその「意志」こそが今現実にある状況へのヒントになりえる。「意志」とはそれが達成可能かとは別のベクトルで存在する。そう言った「意志」を持つこととはどういったことか?
その意志についてを考えるのに役立つ。
https://watch.amazon.co.jp/detail?asin=B074MQWYT5&territory=JP&ref_=share_ios_season&r=web
「この世界の片隅に」
最後に紹介する「この世界の片隅に」を太平洋戦争下の呉での日常を描いた作品である。
この作品から参考にするべきことは、過度な順応性が招く帰結についてである。
日常は現状を一旦肯定し、安定するシステムである。今ある状況を全面的に、受動的に受け入れること。その危険性について教えてくる。
https://watch.amazon.co.jp/detail?asin=B084WTD8YR&territory=JP&ref_=share_ios_movie&r=web
終わりに
冒頭で書いた通り、この記事では具体的な方法は示されていない。そこには、意図的な戦略がある。
我々が生き抜かなければならないコロナ以降の世界では、不確定な状況下で自分自身で選択し、決定する態度を求められる。明確な答えがない。そういった状況の中で必要なのは常に検討していく態度なのだ。こうした態度がコロナ以降の新しい日常を構成するシステムの基盤にするべきである。
そのため、この記事もまた「問い」と「ヒント」を提示するのに留めている。
我々に今必要なのは、井戸ではなく、井戸を掘る為の知恵なのである。