ナラティブってなに?から考える現代アート入門 その1

世界的に権威あるイギリスの現代美術の賞ターナー賞の今年の受賞者が発表され31歳のヘレン・マーティンが受賞しました。それに合わせてなのかわかりませんが前年に受賞したアッセンブルの展示も12月9日に都内で始まっているようですね。

そんなターナー賞の受賞者であり、同時にアカデミー賞の作品賞の受賞監督でもある特殊なキャリアの持つアーティスト、スティーヴン・マックイーン(往年の名優とは別人)。彼はアーティストトークの中で作品制作に重要なポイントとして「作品を鑑賞したことで鑑賞者のナラティブを引き出すことができるよう作られているか」をあげていました。今回はこの「ナラティブを引き出す」とは具体的にどういったことなのか解説していきます。


(スティーブン・マックイーン)




【まずナラティブとは?】

ナラティブ【narrative】 の意味
物語。朗読による物語文学。叙述すること。話術。語り口。→ナレーター
出典:デジタル大辞泉

日本国内において、ナラティブという言葉は医療関係、あるいはゲーム関係の言葉として使われていることが多いようですね。

ナラティブとストーリーの違いを簡単にいうとナラティブは、

**個人的な経験に基づいた物語(語り)のことです。 **

作品を見たことで記憶の中にある特定の経験、あるいは出来事がよみがえってくる鑑賞経験のことです。スティーヴン・マックイーンのいっていることは「作品の問いかけで、誰でもないあなただけの答えを引き出せるように作られているか」ということなんです。




【社会の為のアートとナラティブを引き出す】

全てのアーティストが「ナラティブを引き出す」ような作品の作り方をしているかというとそういう訳でもなくて、以前の記事で説明した社会の為にアートを作っているタイプの作家がこれに該当します。

ナラティブの引き出し方についてもいくつかのバリエーションがあり、作品によって引き出す形もあればディスカッションによって直接的に引き出すやり方もあります。僕自身も過去にいくつかディスカッションイベントを企画したことがあるのですが、その目的は個々で持っているナラティブを出会わせるような試みとして企画しました。対話型鑑賞も同じような考えですね。



【バルトのストゥディウムとプンクトゥム】

フランスの哲学者ロラン・バルトは、写真を論じた著作「明るい部屋」の中で写真には、同じ教養や文化を共有している人なら誰でもが持つことのできる一般的な関心(ストゥディウム)と他人と共有することのできない極めて私的なところに突き刺さるもの(プンクトゥム)があると論じました。ここで言われているプンクトゥムとはナラティブと同型のものとして理解できます。

つまり、我々が作品を鑑賞しているとき、教養や文化などに基づいた判断基準をもとに感想(綺麗だとか構図が良いとか)を持つこと、つまりストゥディウムとしての鑑賞をすることが多いんですが、まれに他の誰でもない自分だけに突き刺さる鑑賞経験、プンクトゥム(ナラティブ)としての鑑賞をすることがあるということです。このプンクトゥム(ナラティブ)としての鑑賞は一生忘れないような強い鑑賞体験として記憶に残ります。だからこそ、それが起こるように意識して制作している訳なんです。


余談なんですが、この「ナラティブを引き出す」とリサーチ型の作品は相性が悪い部分があって、リサーチ型の歴史から掘り下げていくものであると啓蒙的になってしまう。つまり、作家の意見をインストールして鑑賞者の個人的な意見が立ち現れ辛くなるのです。その対応策として、ワリッド・ラードライアン・ガンダーサイモン・フジワラなどは意図的に明らかな嘘を混ぜ込むことで内容に疑いをかけ、啓蒙される状態から個人的な思考に移行するように仕向けています。藤井光さんも同じような意図で、最後に梯子を外すような作りにしていますね。


このように「ナラティブを引き出す」について書いてみたのですが伝わったでしょうか?
次回はナラティブな鑑賞について紹介していきます。




土曜会は今回のようなアートを分析したり、お互に持っている知識の共有、つながり作りの場として開催している会です。アーティストに限らずいろんな方が参加されてます。 次回開催は来年2月あたりを予定してます。堅苦しい感じではないのでご興味ある方は是非!

土曜会 art study meeting

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