Mr. Miniature Knife 坂内パイセンを偲んで…
2019年に亡くなった坂内パイセン、ナイフ界隈では言わずと知れたレジェンドだ。JKGナイフショーでも大賞、ベストイン賞等の大きな賞を受賞しているが、やはりハイライトはアトランタBlade Showにおいて、参戦1年目から
6年連続ベスト・ミニチュアナイフ賞を受賞したことが大きな経歴だ。
上記の画像は形見分けとして坂内パイセンのご遺族からいただいた作りかけのミニチュアナイフやパーツの数々。
これらがもう完成されることはないと思うとちょっと切ない…
坂内パイセンからはフォールディングナイフを作るためのノウハウをたくさん教えていただいた。
私の作るナイフの30%は坂内パイセンのノウハウで出来ていると言っても過言ではないだろう。
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坂内パイセンがアトランタBlade Showに参戦するきっかけ…
…実は、坂内パイセンがBlade Showに参戦する前の数年間、私が坂内パイセンのミニチュアナイフをアトランタへ持っていきテーブルで売っていたのだ。毎年購入してくれる常連さんも増え、年々売り上げは右肩上がり。
最終的には一度のショーで$1500くらいの売り上げはあったと思う。
ある時、ミニチュアナイフを購入しようとやって来た常連さんが
「このミニチュアナイフ、コンペにはエントリーしないのか?」と尋ねてきた。
「これは私ではなく兄弟子の坂内パイセンが作ったものなのさ」と言うと、
「Oh〜! そりゃ残念。来年はそのナイフメーカーを連れてこい! 確実に
賞が獲れるぞ!」…
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…ここで当時のBlade Showのコンペのレギュレーションをご説明しよう。
出展メーカーなら誰でもエントリーできる。言い換えれば出展していないとエントリーできない。(ここ重要)
1年以内に製作したナイフに限るとか、法令に違反していないとか、こまごましたルールもあるが、そこそこ大らかだ。
エントリー方法は…
審査会場(小会議室)にテーブルがたくさん並べられていて、そこに各カテゴリーの札が立ててある。
例えばフォールディングナイフやフィクスドブレード、アートナイフ等だ。
実際はかなり細かく別れていて、タクティカルやファイター、コラボ、ミニチュア、ファクトリー等、たぶん十以上のカテゴリーがあったと思う。
そのテーブルの上にナイフと名刺を置いてくるだけである。
(セキュリティは強面のオジサンがしっかり警備しているので安心!)
ナイフメーカーは自身の好きなカテゴリーを選択してエントリーできる…
その年々によって競合するナイフのレベルは変わるので、あるカテゴリーのレベルが高そうだと思えば、別のカテゴリーでエントリーできる。
例えば、アートナイフっぽいフィクスドブレードを作ってきたとしよう。
今年のアートナイフはレベルが高そうだと思ったら、競合の少なそうなフィクスドブレードにエントリーするとか…
…なので、締切時間ギリギリまでエントリー先を決められないナイフメーカーもいる!
たしかナイフショー初日の14:00くらいか?に締め切られて、夕方に審査結果が発表される。
審査員は毎年変更される…
その時々の有力なナイフディーラーだったりコレクターだったり、ナイフ界隈の有識者だったりが審査員として選出される…
その理由は、おそらく審査にはどうしても審査員の好みが大きく反映されてしまうので、その偏りをできるだけ排除することと、新しいトレンドを作り出すことだと思われる。
審査員こぼれ話…
ある年、ショー初日の午前中に私のテーブルにお客さんがやって来た。
テーブルにある1本のナイフを買いたいとのことで喜んで販売した。
しかしそのナイフはコンペ・エントリー用のスペシャルな1本で、
私はコンペにエントリーしたいので納品は午後でも良いかと尋ねた。
購入者は「No」と言う。なぜなら彼はその年のコンペ審査員だったのだ。
…実は審査員はコンペにエントリーされたナイフを購入することはできないのだ。おそらく、公平性を保つと同時に不正な審査をさせないためのルールなのだろう。
アメリカ人はおおらかな面もあるが、フェアな行動に重きをおく人が多い。
…私は泣く泣くコンペにエントリーするのを諦めた。ビジネス優先です!
ナイフメーカーこぼれ話…
Blade Showである若手カスタムナイフメーカー(鍛造系)の青年と知り合った。彼は当時まだ20代前半で、早くフルタイムのメーカーになりたいのだが、まだまだチカラ不足でなかなか稼げない。今はパートタイムでやっていると言う。しかし、このBlade Showのコンペで賞を獲れれば名前も売れるだろうし、それを機会にフルタイムになると言う夢を語ってくれた。
…たしかにコンペで賞を獲れば、その後、Blade Magazineで大々的に紹介されるので米国内ではなかなかの影響力があるのはたしかだが…
…世の中、そんなに簡単ではないよ!とは言えなかった…
彼は、ショーの出展費は高いが、出展しないとコンペにエントリーできないからね!と言う。諸々の費用を極力抑えようと遠くの州から車でアトランタまで来て、期間中は車中泊だと言う。友人のメーカーが泊まっているホテルでシャワーを使わせてもらってるらしい。
若者よ、そこまでして頑張っていたのか!…
フレ〜、フレ〜、青年! 私はエールを送ると共にビールおごりました。
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話を坂内パイセンに戻そう…
帰国後、私は坂内パイセンを説得した。
「出展すればコンペにエントリーできるので、絶対に賞が取れますよ!
ぜひアメリカへ行きましょう! 冥土の土産になりますよ〜!」
当時、坂内パイセンはすでに70歳手前くらいだったと思う。
「slowくんがそこまで言うなら、行ってみようか…」
その後の活躍は皆さん知っての通りだ…
これから世界に羽ばたこうとする若手ナイフメーカーの皆さん、
坂内パイセンに続いて、ぜひチャレンジしてみてください!!!
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ところで、長らくご愛読いただいた「たがやさんみを探す旅」ですが、
誠に勝手ながら、新たな可能性を模索して別のSNSに移籍することになりました。もちろん、たがやさんみを探す旅は継続いたします。
これまで応援していただいた読者の皆さんに心から感謝いたします。
これからもより一層たがやさんみを探す旅に注力し、新たなたがやさんみを探し続ける所存です。
またどこかでお会いできることもあるかもしれません。
その時までご機嫌よう!