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しゃべれども。

今日は夕飯が、和食でした。さわらの醤油煮つけに、ちょっとした味噌汁。
漬物なしでした。

最近コダックのフィルムを買いまして、
とっても安い小さな一眼レフみたいなフィルムカメラで楽しんでいます。まあ、トイカメラという類いのもので、ちょっとピンボケした世界を楽しむために、わざわざ安いトイカメラを選びました。
ピンホール機能はないので、焦点が合わないときは
もう、「ぼやけた世界」に映るわけですが、
それを楽しんでいます。

マロンはいい被写体です。ぼやけて映るけど!(笑)
ついでに動くから焦点もずれてくるけども。

まあそれもいい味を出すときもあるのです。
いずれは、ちょっとした一眼レフは手に入れようかなぁとは思うのですが
トイカメラにはまると、

意外と。そのままで良い気持ちです。

しゃべれども、気がすすまないことって多くあると思います。

人と約束をしたのに、その約束した人と約束したにも関わらず。

いきなり電話口でことわったりとかね。それは常にある日常の一コマでもあるかもしれませんね。

漫画やドラマだったら、そのあと、
暗転して、『ガーン』なんていう懐かしい効果音付きの問題提起が出てくるかとは思います。でも実際、日常を振り返っても(私のこと以外だったとしても)数多あるシチュエーションの中でそうなることって、まれだったりしますね。

「あー…そうなの?じゃ、今度はいっか」

「えっ?マジ?」

みたいな感じで、ただお暇させてもらう方も少なくないとは
思います。てか、大多数かもしれませんね。

一流の人っていう幻想があります。
一流がいたら二流も、三流もいるのかよという、掛詞もあるとは思いますが。
世の中を見渡しても、一流の人と呼ばれるタイプの人にはほとんど共通点があるようにはわたしは思いません。(ちょっと共通点らしきものはありますが、話題とは話がそれていくことなのでここでは控えさせていただきます。)

一般的な人たちが言う一流の人っていうのは、
…お金がいっぱいあって
…教養があって
…食事をきれいに食べる人。
だとはおもうのですが。これはただ単によくできた秀でた人のことを総じているだけだと思います。でもね、一流の人っていう一般的な概念を持つ人がいう人たちの中には、一癖ある
方たちだっていることを覚えていてください

ひどく忘れ物をしたり

食事風景が明らかに、穢かったり

時間に遅れるうえ、お金の使い目が粗かったり。

そういう方々だって、一流の方として
普通世間一般に扱われて、”被写体”として消費されていく。摩訶不思議な感じではあります。

わたしは思うのです。だからではなく、一流の人という幻想があるのだと。

エキスパートやエステート、また教養の持った資産家というカテゴライズは
確かにも存在するとは思います。それは彼らが天才であるが故だからです。

天才には欠けたものがつきものとよく聞きます。
私はそうは思いません。
よくできた人っていうのは
強味弱見の強弱が強く、それであるがゆえに、とことん弱い面があるだけなのだと思います。

それは天才であるが故の功労ととでもいうのでしょうか?

ただ天才もたまには、人間的な一面もあるでしょう。
それがどこに向くのか?
が、彼らの運命の数え方であって、
それって一般人と少しも冴えても変わらないのです。

私は昔音楽をしていました。ヴァイオリンがうまかったために、
天才だとか。一流になればいいとか?
日本人はよく言いましたね。


マロンの黄昏。

でもフランスのパリに行ったら違いました。
田舎風のマダムが、あんた!こんな歳で?そのスケールのヴァイオリン?
ならば、チョコレートあげるわ!!と駄菓子屋のチョコレートをくれたり・・・
天才だ!なんて掛詞をいうのは学生時代の同胞の同級生くらいでしたね。
しかも、俺だって超えてやるという枕詞付きで。

かれらはただ、正しく達観しているのです。
人を軽く評価したりカテゴライズしたり
うそのお金でできた洋服を着せた人形からでたホントのウソみたいな?
ややこしいこと抜きに。
ただ単に、楽しんでいる。それはエスプリではなくて
やさしさ。テンダネスなのです。

日本人に長年足らない、居ても立っても居られないというような
ホントのウソというのはそこだと思うのです。
嘘で塗り固めた、嘘というのは外から見ると滑稽な軽業師にしか見えません。
そういうものだと思います。でもそれも、人生の一つです。

パリでもロンドンでもそうでしたが
天才や、日本人が言う一流の人っていうのは
確かに正しく着飾っています。
しかしながら、それは「マネすること」のない彼ら独自の”サブカルチャーである範疇”のこと
であって、一般人は思い思いのお洋服を着て、思い思いの勤務形態で自分とは何かを知りながら生きています。これはどこの国でも同じなのです。

お金の巡りのことなんて語れば、
わたしはムッとすることが最近世の中の巡りに多いので汗
まあ特に社会機軸の会社の税金是正率とでもいうのでしょうか?
他にも、新しい株式投資信託とかね。ちゃんと学んだほうがいい人たちが多いように見えます。ほんとにね。

日本人はよく外国では、イギリス人に似ているといわれます。
恰好や風貌の話ではなくて

社会教養の部分の話です

イギリス人は株式の話は苦手だし(遠い昔に社会的に大失敗した所為とよく言われますね。)
チョコレート食べ過ぎるし(わたしもです)
ついでに、字が多い本や新聞をさも楽しそうにめんどくさそうに気長に読んでいる。
わたしは学生時代に機会があってイギリスの一般家庭にステイホームしていました。そこでも、よく聞いていたことはそんなこんなでした。

イタリア人はやたらと数字に強くて、サッカーにもうるさい人が多めで独特ですし、
アメリカ人は、株式を持ったらものすごい力を発揮しますし、やっぱり独特ですね

 でもなぜだか
日本人とイギリス人だけは、風貌が違うにも関わらず、共通点が多いのです。     私がいつも思う世の中のとどのつまりの不思議の一つです。

豆知識として、イギリス人も一流の人説は信じていますし、そういった方々を崇拝しちゃうタイプの人が少なからずいるのも確かです。一つだけ異なるのは、それってどうなの⁈っていう「quest」という文化があることくらいです。ケンカとか言い合いや議論じゃなくて、なぞかけで、じつはどうなの?って聞くだけのことですが彼らにとっては大事な文化であり、冷静になれる多分日常の一つなのだと思います。


日本だけにいると少し窮屈だよねっていう人もたまにはいるとはおもいますが、それも間違っていると思います。
日本はあったかいです。
それに尽きます。
(笑)

ホントに摩訶不思議なこともありますが、スコットランドにいくと。
まったく風貌が日本人にしか見えない人がたまにいるのです。驚きでした。


仲良くなってはなしをよく聞いても、いや、日本人?逆にあったことなかったね。苦笑とかいうだけで、でもよく言われる。そして君のように仲良く接することなく、下手な英語で驚かれたり、けなされたりするから、実は
バッドティングスなんだよね。と。つまりは、結構な日本人からそういわれていて、(多分大方の人が)

迷惑に思うのを通り過ぎてて、自らの風貌をアンラッキーと感じている
ってことでしょうか?
私的にはすっごくかわいかったし、かっこよかったし、独特なファッションセンスは、なんかすごくキッチュでよかったイメージでしたが。

さて。お話はここくらいにします。長々と失礼しました。

またね。


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PS.今聴いてるリバティーンズの曲。
ここまで聴いたことがあまり記憶に無かった。どうしてだ。笑

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