ノベル『面喰いだから』
「好きじゃぁ好きじゃぁ。津島が好きなんじゃぁー」
私はよく思い出す。年に何回なんてもんじゃぁない。何十回も。
中学二年の二学期だった。毎年教育実習があって母校に戻って教職の仕上げを卒業生の先生のたまごが行う。音楽教室ではロングヘアの実習生がピアノを弾いていた。
音大生・・中学校の音楽の教師になろうという。専攻はクラリネットか声楽かフルートだったのかもまさかアルトサックスだった?
万倉が突然ピアノの横に飛び出した。
津島が好きじゃ。津島が好きじゃ。もどかしげな叫び声。
クラス全員の視線がひとりの少女に集まる。津島ノリコ。真っ赤になって俯いた。
「応えちゃれぇ〜。万倉が好きじゃゆーとろーがぁ〜」
「そうじゃぁそうじゃぁ!」
実習生は顔面蒼白だった。担当試験官はいなかった。
津島ノリコが振り絞る。
「あたしは面喰いだからぁ」
「なんなん?」
拒まれた少年・万倉が突然ズボンもパンツも脱いだ!
ぼろん。ぼよよん〜。バコッ。ボロ。
「キャァー」
「万倉、おまみゃ〜ブチすげぇ〜の〜」
「万倉君!どーなっとるん!席戻りぃ〜」
駆けつけた音楽先生が怒鳴った。
騒然として楽しかったけど。万倉のあそこにみんなびっくりしたけど。
ねぇ面喰いって何なの?
巨大なポコチンも失恋の天真爛漫な振る舞いも全て消えてさえも。面喰いだからの言い訳がずっと私のこころに余韻となってノスタルジーを奏でている。
万倉はいわゆる特殊な生徒だった。普通は分離される彼らだったがクラスの中に何人かいた。三年のクラスにひーちゃんがいた。彼女はジジが好きだとあたり構わず言いふらした。ジジこと大西は面喰いとは言わなかったけど明らかに迷惑そうだった。分離されなかった彼らのしでかした恋騒動。特殊な中学生日記だった。
なぜ分離しなかったのか。なぜ普通のクラスにいたのか。我が故郷の教育システムがそうさせた。日教組の強い地域性もあった。広島大学教育学部卒の教員が大半だった。毎年ストライキをやっていた。その日は自習だった。小中高と毎年教員がストライキをやっていた。人権学習も原水爆反対の授業もあった。高校三年の時、ストライキの日が日直だった。日誌に「ストライキ反対」と書いたら赤ペンで膨大な反論が書かれた。
さて令和のいまだからこそ麺食い。ラーメンが好きな連中を勝手にそう言っちゃう。面喰いなやついや麺食いな奴。
でも中二のクラスメート・津島ノリコは美人でも可愛い女の子でもなかったけど。悪く言えばブスっぽかった。それにもかかわらず音楽の授業中に突然みんなの前に出てきて告白してパンツまで下ろした万倉の蛮勇さ。フルチンになって愛を叫んだグロテスクないちもつがものすごく大きかった万倉。
驚愕のインパクトたるや。その思春期な傷心・・なんであいつのはあんなにデカいんじゃ?なんであいつのあそこはあんなに膨らんどったん。どす黒い墨を頬張るタコみたいなあそこ。
可愛くない子に面喰いだからあたしは面喰いだから?
やぶれかぶれにたっしもーたんかぁ?
音大生は夢敗れて。フルチン事件のあの実習生の顛末は知らないけど。
ねぇラーメン好きな連中ってどうなの?面喰いなの?
一杯の丼の宇宙。脂と塩のコラボレーション。そして麺・・。トッピングもチャーシューや味玉メンマに焼き海苔。ほうれん草にもやし。ナルトにネギ。天ぷらもステーキもない。
カレーもそうだがラーメンは格別な何かがある。病み付き。数多くある店を巡る麺食いの旅・・。
ミュージシャンの矢野顕子が新曲「ラーメン食べたい」を歌っていたころテレビ番組の司会者となって活躍していた糸井重里の番組で「ラーメン特集」をやった。彼女も出演した。
伊勢丹好きの彼女は百貨店伊勢丹新宿本店を歌にしたこともある。大好きすぎて伊勢丹に住みたいという。百貨店の方も意気投合したのか自社のテーマソングみたいな厚遇で応えた。多分デパートの広報に矢野顕子好きのスタッフがいたのではないかしら。ごはんができたよラーメン食べたいよ伊勢丹にいきたいよ。創作のモチーフには作者の願望や欲望が楽曲に流れていて当事者であった人間のこころを揺さぶったに違いなかった。利益相反どころか随伴しちゃったのね。マイフェイバレイトを歌にして歌え。
テレビ番組で「ラーメン」をやった。その糸井重里の番組「you」で「デートでなんだラーメンかよ」そんな常識を覆す考現学めいた時代の雰囲気を感じるとかの独自の広告宣伝理論が開陳されたのもある下地が影響している。西武デパートに勤務(文化セミナー部門)していた作家の保坂和志を呼んで自分の主宰するネットメディア「ほぼ日」の十八番対談コーナーで保坂の新作小説の宣伝をしながら互いの「西武経験」を共有するシーンもあった。
ラーメン小説の文学的な可能性は飲食シーンと文芸展開の絡み合いをしっかり観察しながら物語の欲望性を腑分る手法として最有力の味覚の端緒であるラーメン・そのスープの主成分が出汁成分の旨みであり塩分とオイルが病み付きの決定的要因である話を考察洞察すれば小説の新しき領域を開拓できるのではないか。しかも麺文化は多種多様な局面展開に至っており蕎麦からうどんそしてパスタ・・鍋料理の具材でもある麺めん。麺食いと面喰いの掛け合わせがエロチシズムのコアを露見させ得るのだ。
そうなると恋愛カオスの鍋・宇宙やら世界やらでも具材として男メンはそれ相応の活躍が期待できる。性愛でも純愛でも麺というメンズ。スープは全ての具材を煎じていく。男を湯煎して抽出できる得体の知れないもの麺めん。
さてトッピングもそうだが高級素材を無尽蔵に使い切る蕩尽料理・・・侘び寂びの禅なる文化コードは所詮は食べ物のかわりに石を懐いて飢えを邪念を排除するとかの困窮過ぎる。教説に隷属するよりもあるがままの赴くがままの欲望充足を繰り返せ。
ラーメンには最高級和牛フィレステーキとキャビアでもトリュフでも松茸でもポルチーニでもいい。
ラーメン屋が営業体制を手狭なカウンターにこだわる以上はフレンチやイタリアンそして和食会席にも負けてしまう。駅前の立ち食いそばの延長線ではおぼつかない。今までは良かったが未来志向のラーメン店を目指すならば会員制の食文化全てを堪能するシーンの渦中においてラーメンを食べることを浮かび上がらせるのだ。そうなると別にラーメンに拘る意味すらない。必然のミッションではなくなり偶発的散漫散発な冗長さによって気が緩み弛緩して油断して気合いもない。そんな飲食体験でいいはずがない。
面喰い麺食え。万倉も津島も今何処。ラーメンアクションしながら彼らを偲びつつ。ラーメンの楽しみを増やせたらいいよね。