ノベル『うぐいす島』
「すみません」
「何?」
「二人乗り往復券と間違えたんですよ」
「一人分、返金ね」
若い女が差し出す。彼女の硬貨には新たな元号は刻まれていない。まだ元年も最初の月だから。爽やかな香水が発汗滲んで香ばしい。麝香の蠱惑もほんのりと。愛の換金、その対価や如何に。
女は戸惑う。わたしが返金するなんて。やっぱり、わたしって、返金女じゃないの?返却、返品・・。
女はアンニュイな眼差しで男を見詰めた。都会から持ち帰ったあざとい小さな頬笑み。冷静さを取り繕う。媚びるわけでもない。怖じけずくわけでもない。
確かにメガバンクの行員でも、上場企業のオフィスレディでもなかった。女は大学病院の看護士だった。国立大学の医学部を卒業した学業頗る優秀な看護士だった。ナイチンゲールのような看護士に成りたかった。医学部を卒業して付属の大学病院に勤務した。看護を究めたい、看護で人間に奉仕したい。名誉も金銭もいらない。人間愛を極めたい。医学のパーフェクトを目指した。
ところが寡黙な医師と密やかな不倫をまるでプリンをスプーンで一口ずつ味わうように嚥下堪能した。性の滴に溺れた。ナースとドクターの性犯罪である。
不倫のプリンは美味だ。秘匿の隠匿。性的関係の暗部と恥部を共犯めいた連携で維持管理する。院内だからこそ隠然と楽しむ。
あぁ強欲傲然たるプリンぷりん。肉欲を満たす肉食系の華麗なるこの定番デザートを召し上がれ。
医師の妻は財閥の一人娘だった。しかも女の親友である。不倫女とは同じ孤児院の出身だった。運命の分かれ道。養女となり財閥の令嬢として育った。
身分の差がすべからく憧れから嫉み、やがて憎悪に変わる。入れ替わりの定番劇。成り代わりの舞台裏。略奪の方途はシンプルだ。女のエロスである。得意技の十八番だ。
寡黙な医師は妻を差し置き、夜勤の看護士と院内性行為に耽る。人間の時間感覚は周期性を帯びる。繰り返すほどに狂う。継続することでその愛は格段に深まりそして常軌は逸した。ますます医療の侵襲によってふたりの愛を昇天させたのである。治癒の為の心的外傷すら併発させながら。医療医学の現場では不確実定性の挟間の瀬戸際波打ち際。
夫の裏切りを察知した妻は即座に探偵を雇った。尾行盗聴盗撮。まずは事実を把握する。事態を観察する。そして妻の疑念疑惑が確証された。
女は未練もなく辞表提出。失意どころか希望溢れる偽りの凱旋帰郷を果たした。事件は隠蔽された。男は失踪した。妻はそのまま。全てを放置した。離婚もなければ絶交もない。親友と夫を失った。女を追いかけてもよかった。
妻は思い返す。悪夢だったのよ。本当は不倫もなかったの。その顛末、逆算の清算は元通りだから、現状追認の現状そのまま、なんだわ。
まさに事態全体の完全なる隠蔽である。二重思考の為せるワザ。女のキャリアはそのまま。自然退職へ。一身上の都合により・・。看護士はいつでも復帰可能だ。
あぁ忘却の彼方へ。望郷の海へ。あぁ故郷の海である。郷愁と哀愁。
少し休もうかなぁ。海を眺めながら・・。
また新たな恋を探そう。
あれ?この人、彼に似ている。寡黙でとんま?
男は再度、発券販売機へコインを投入する。今度は一人乗り往復券を買おうという。もちろん、それでは意味がない。しかし男は券を買った。
たった一人で島へ渡る。一人きり。女優やアイドルやグラビアタレントと船に乗るわけではない。ただの一人。
ただ言えることは男は思考と一緒だ。小説思考と一緒に旅する。次作新作の雄々しき小説の思考群を愛でよ。思考だって旅する。旅しない思考など意味すらない。
確かに無人島だから片道切符はあり得ず、この発着場で往復切符を購入しなければならない。
乗船が始まった。改札口に返金の女がいた。買った券を渡す。半券もぎではない。全券回収である。
「えぇ、どうしてまた切符、買ったの?」
「あぁ一人だから・・」
再度、「一人分のお金」を女は返金する。呆れた風でもなく、ただただ暇を海風に靡かせる。
女は思う。これも縁だね。
「はい」
「あぁすみません」
***
祭りが終わった海は平穏を取り戻して、眩しげな日差しもなく陰り気味な曇天が重たい。何万人もの観光客が押し寄せた。島から観光船がこの狭隘な内界の海に何回も出航出漁を繰り出した。数週間に及ぶ一大観光事業だ。漁法を観覧させひとときの漁獲を売りさばく。さも自然の恵みに恩顧を感じろとばかりに。それでも盛大な祭典、厳粛な商業である。網に掛かる鮮魚は全て養殖の素晴らしさ。天然に引けを取らないどころか人工人為の勝利は歴然だ。海の農業。海の幸に人の幸もあれ。
男は年二回五月と十月に墓参りで帰省する。その都度、小さな旅に出る。
今回も常宿を気取る駅前のホテルに滞在する。実家には看護師の弟と年老いた実母が住む。広大な敷地に平屋の家屋だ。男の居場所はない。長きに渉り実家を顧みなかった。
この地方都市の主要駅は新幹線のぞみ号が発着する。市の人口は増加した。業績悪化で統廃合を繰り返す中層零細企業の特定部署のように焼け太り。隣の市でも一島一市であった島が長い歴史を終えて全国的に有名な市に組み込まれた。島民たちの誇りはこの名称変更で大いに損なわれた筈だ。こうして官僚システムの無機質な合理化によって歴史ある地名がその由緒ある由来も経緯も無視されて合併統合されるのだ。多くの過疎の島や高地僻地の住民が参入された。しかしながら税収の拡大は比例しない。反って行政支出は増える。ふるさと納税の爆発的な拡大に期すしかない。
ホテルから港行きのバスに乗る。ゆっくり海に向かう。約十数分のバスの旅だ。国道に出ずに昔、軽便鉄道が敷かれた道路を走る。一級河川を渡りそのまま山間の裾野に沿ってバスは南下する。
閑散としてはいても車内には今どきガイドブックではなく、携帯端末の矮小の窓を覗く着飾った中年の女ふたり、そのすぐ後ろに陣取った老人が五月蠅い。
「ちゃんと行きますかのぉ?」
席に座ったままワンマンバスの運転手に向かって大声で話す。
「大丈夫です」
運転手のヘッドに装着されたマイクレシーバーがその音声を増幅させ車内の旅情を一方的に掻き立てた。
男は別に気にするでもなく窓外を眺める。珍しくもなんともない。ありふれた老人だ。こんな閑散としたがら空きの車内に女子高生でもいたらなぁ。いるわけない。少し暑い。座席斜め上の送風口を目聡く調整してダイレクトに風が吹き付けるように。まるでマウスピースにブレスをしっかり吹き込むように。あの日の彼女もしっかり唇にマウスピースを咥えて頬まで膨らませて。セーラー服の白いリボンが揺れた。
瀬戸内海の孤島へ渡ろうという。古代中世からの景勝地だ。昨今ますます地域振興も活況を呈す。世界遺産を目指して官民が一体となって。
ますます瀬戸内海に潤沢な資本が集まるだろう。間近に迫る東京オリンピックが終われば誰も予想できない大不況が訪れるだろう。まるでブラックスワンが飛来するかの如く。
でも不吉な惨事があるならあるで。巨大な真っ黒の白鳥が飛んで来るならこっちだって。だからこそ目指せ、博打解禁だぞ。欲に塗れた憐れ悲惨な奴隷どもが身も心も捧げちゃう射幸の彼方だ。全能感溢れる莫大な利益は他者からの美味しくも確実な収奪だつ。
あぁ誉れの先駆を切ろう。総合リゾートの多彩な色彩を五感全部で感じて欲しい。もちろん酒池肉林のオンパレードだ。話題騒然たる全裸狂騒が巻き起こす前代未聞の大勝負だ。一か八かの生死を賭ける。お金も色も全て賭博ばくじゃぁないか。
だからこそ中央資本に先超されないようにさっさと整備完了させるべく。国際金融資本が虎視眈々かのIR。ちょいと先駆けとばかりにこんな寂れた海沿いにしっかり稼げる観光スポットが欲しい。
あぁマリンマリン、カジノカジノ。折角の海も海、その多島、群島があちこち点在する。アイランドそして愛楽土の島々・・。
島々に禁断のボタニカルの花咲く。自業自得の功利主義だ。決して人間扱いせず温情もなく。
財閥当主が無人島を購入した。保有するリゾートホテルのスペシャルなオプションとして無人島ビーチBQQを企画する。無人島ならではの破廉恥もオープン。変態もやりたい放題。秘密の海岸。肉欲の漁色が喧しい。濃厚な潮風と深遠な血潮が混ざり合う。波の谷間と胸元の渓谷。柑橘果実が弾けて白濁のおっぱいジュースのミックスエモーション。甘くて切ない島での出来事。怒濤のエレジー。
遙か昔からこの無人島は無法地帯の仮初めダンジョンだった。秘密の洞窟。秘密の山林。秘密の滝。莫大の財宝が埋蔵され、数多の美女が監禁された。悪辣精悍な海賊の好奇垂涎の戦利品があちこちに隠匿されている。全くの手つかず。その在処を求めて幾千里。あぁ遙々来たぜ瀬戸内海ぃ〜。
かの大戦末期、本土空襲が激化して遂にここ瀬戸内地方にも敵機襲来、戦略爆撃機の大群が連日飛来した。あぁ制空権も奪われて戦況悪化も極まれり。海ゆかば・・。
アクシデントが起きる。爆撃機が故障墜落した。辛くも脱出した米軍の戦闘員がこの島に漂着する。捕獲されて島の洞窟に連行された。捕虜虐待だ。むち打ち。連打殴打。白人の大柄な金髪青年である。瞳はブルー。この海の色と同じ。白人の薄情な色彩の肌もいたぶって紅色に染め上げて。拷問激しく。捕虜の白人青年は命乞い。絶叫も絶望の悲しい声音だ。まるで何百のウグイスがさえずるような。壮絶なさえずり。青年はちょっぴりゲイ。隆々たる体躯の漁師に網で締め上げられて・・。
無人島の主は海賊の末裔だ。自分の海に浮かぶ全ての漂流物はこの男のものだ。もちろんこの生け贄は敵国軍人である。それにしても美しい。それにしても美味しそう。海の幸・・天空からの贈り物。
この美しくて美味しい戦利品は、わしのもの。この綺麗な男は、わしのもの。海軍になんかわたさん。この敵国人は、わしのものじゃけぇのぉ。
敗戦国の戦争末期は悲惨がエスカレートする。ボロ勝ちの先勝国は冷酷無比の軍事作戦を恣意的且つ嗜虐的に加速遂行する。空から爆撃、日本特有の木造家屋を焼き尽くすナパーム弾による空襲である。
無差別殺戮を繰り返す外的心症を緩和すべく空襲予報のビラを予め投下した。戦中プロパガンダは実のところ味方の為の心理作戦だ。如何に気軽に殺人遂行できるようその兵士の内的葛藤を除去するか。怒りと正義を植え付けるべく。ビラは天空に舞う。虚無の諦観と一緒に。
***
鶯の囀る季節だ。男の実家は丘の上にある。雀や鳶、鳩が飛来する。鶯もやって来る。繁殖の発情。繁栄の飛翔。女子高校の部活の喧噪も丘を伝って囁く潮騒の如き儚さ。ブルマーもなく短パンで疾走するバレー部の部員たち。丘の傾斜面を活用する弓道部の静謐と正鵠を射る求道の誓い。
男は上京までの十代をこの家で生活した。都内の大学を卒業後、専門商社に入社、働きながら小説を書き続けた。企業買収されて、早期退職した。しばらくして自費出版した。二作目は商業出版した。
こうして作家となった。まだ有名な文芸誌の連載は持っていない。締切が嫌いだ。批難する編集者を避けた。全て書き下ろしたい。躍動の執筆生活を送りたい。
年二回、墓参りで帰省する。盆や彼岸は避ける。地方の人混みが嫌いだ。東京駅から新幹線を利用する。帰省シーズンは絶対避ける。京都に向かう外国人観光客からも逃げたい。
男は思う。実家の裏の竹藪で鳴いている鶯を次作のメタファーにしよう。書きあぐねる作家の脳髄を振るわせた。思いが巡れば記憶のレファランスが開いてイメージが出て来る。懐かしさよりも愛おしさ。
鳴き声が泣き声となって、この俺のノスタルジーを揺さぶったんだね。甘美な音の記憶を喚起するエロスってもんがあるんだな。
男はふと思い立ち何気なく無人島へ向かう。想念は先行する。男も島山の麓の林の中へ入って行く。バードウォッチングというより美声に誘われて、音楽に惑わされて。
俺の鶯はどこにいるのかなぁ。思い出を誘き寄せる鶯の音楽をもっと間近で聴きたい。あぁ先輩の息遣い。先輩の喘ぎ声。先輩の楽器の音。うぅサンクチュリア。ガールの犇めく悲鳴と嘆息。鳥になって逃げたい。鳥になって島から飛び去りたい。性と愛。島の牢獄に囚われた娘たちの顛末を思う。
男は東京在住の小説家である。作風に一貫性も世界観もない。エロもグロもゲロさえも、売れるなら稼げるのなら何だって書く。文学を通じた人間成長とか、文学によって培われた読解力を活用して社会に有為な人材を育成するとかの欺瞞に与しない。
本当の小説とは何か。人間の現実、その等身大の願望を体現すること。真実の文学は知的でも文化的でもない表現の圧倒的なイメージだと思う。しかも言語の抽象性の限界も喝破する。記号の無謬。抽象と具象。観念と体験。小説の想像力は空想性や妄想性の為せるワザだ。エロスのイメージがなければ何もできない。記憶と思考。鶯のさえずりが記憶を揺さぶる。島の悲劇と青春の栄光と挫折。
無人島には過去に何回も訪れた。島と我がノスタルジー。男は帰省する度に極度の郷愁に陥る。小説の着想、そのディテールの収集も兼ねながら。イマジネーションの多層化とリズムそしてメロディへ。小説を形成構築する切っ掛け。無人島の物語。
鶯の鳴き声が大きくなっていく。まるでサックスの音響だよ。いや先輩の・・いやもっと波動・・。反響するハーモニックなコラボレーション。青春の音楽が猥雑さを増す。ハイトーンヴォイスを凌駕する共振のメカニズム。エロスが溢れ出る。音楽を奏でながら。叫び、泣き喚く。
剥き出しの島の山間の窪み。鶯の群棲を見る。
高校二年の夏、クラブの先輩と一緒にこの島に来た。クラブ活動は吹奏楽部だ。サックスを吹いた。先輩はアルト、後輩はテナー。女子部員が多い文化部の吹奏楽部。通称ブラバン。大人数の楽団だ。団結と規律。先輩と後輩、現役生とOB・OGそしてカリスマの元顧問と現役顧問の亀裂。
先輩は同じ瀬戸内海の孤島に住む。日本人離れした背丈だ。髪も茶色い。祖先は異国からの・・。
制服とサックス。男と同じ歳に生まれたが二月の早生まれ。学年は一年上、よって先輩だ。同じ先輩に副部長の女子がいた。
惹かれ合う。アルトとバスクラ。管体のU字カーブの共通性。サックスはクラリネットの派生系だから。バスクラを発案したアドルフ・サックスはサイズの違う音域のサックスを創案した。
だから惹かれるのかなぁ。楽器によって少女の性向も性行もバイアスが掛かる。総譜の配置に楽器特有の役割分担があるように。
ダブルな恋が燃え上がる。
「なぁ達成くん、島で練習しょぅ。あの子と河原で練習したんじゃろ?どんな練習したん?ぜんぜんテナー、うもうなってないがぁ。なぁ達成くん。うちビキニ買ってきたんよ。ぶちいやらしいんじゃけぇ。達成くん好きじゃぁ思うけど。誰もおらん島に行こぉ。サックスと海パン持って来て。なに?行きとうないゆーて?なんなん。いけんよ、パートリーダーのうちの命令じゃけぇ。絶対よ。でもおかしいがぁ。どんなことしたん?どんな練習したん。言いなさいよ」
後輩達成は真っ青呆然。もの凄く恥ずかしい。赤面どころじゃない。黒ずんで青い。強ばって立てないほど緊張した。あぁおどおどする。
***
船はまだ動かない。乗船中だ。出航までしばらく時間がある。桟橋もない、護岸テトラポッタもない。閑散の海に浮かぶ連絡船だ。
光輪爽やかな女が現れた。清楚清純に輝く。時空を割く後光燦々。重装備の従者と一緒だ。女はセーラー服姿だ。現役高校生ではない。正真正銘の現役女子高生ならではの青春の焦り、思春期の未熟な傲慢、無知の驕りが、女には微塵もない。彼女の余裕、その颯爽と着こなす風情たるや。意志と意図。策略めいた何かの企み・・。
あぁ青春の意匠・・コスチュームの威厳・・制服を着た二十歳前半の元女子高生・・しかもパンプスを履く。すらりと細くて長い生足の尖端の鋭利な兇器だ。真っ赤なルージュで鮮血の如く萌え立つ。靴底が十数センチはありそうなハイ・ハイヒールの爪先立ちである。しかもスレンダーレグスのスポーティー。まるでロックシンガーが観客総立ちのステージを縦横無尽に歩き倒す否、アイドルグループが学芸会の様相を呈する素人親和の遊戯なのにあざとくも切ない哀切を醸す、みたいな立ち振る舞いのセイタカアワダチソウ・・。
船は波間に揺れる。船内は狭隘過ぎて接近し過ぎ。女子高生に模す女から放たれる蠱惑の香が潮風の塩味と混ざって甘い記憶の彼方に誘う。
青き熱き波動がステージから放たれ場内を興奮の坩堝に変えたあの日、あの夜、あの真夏、あの青春真っ盛り。船上の扇情を今ここで。
五線譜の線上から女の出で立つ船上の扇情へ。海原はダイナミックな総譜となって...。
海上の船内である。舳先なのか船尾なのか。客室にも入らず男は島を眺める。待望の島影が面前にある。ゆらゆら甲板が波打つ。波動と鼓動。女は男を見る。懐かしさが込み上げる。彼女は男をハッキリ識別する。
とっくに気づいた。我が母校の制服じゃないか。純白の清純。リボンが切ない。女学校からの清楚。沿革も嚆矢もさしおいて。麗しの高等女学校からの勢い。富国強兵、銃後の貞操。そして姦しさのまやかし。セーラー服と機関銃、快感の行方。
「ねぇ撮影するの?コスプレやるの?」
「そうよ。おじさん」
「ふぅん」
「あんた、作家でしょ?」
「俺のこと知ってるの」
「あの島、詳しいよね?」
「別に詳しくはないけど、何回か渡ったことあるけど」
「じゃぁ鶯、鳴いているの知ってるわね」
「この島も鶯がいるのかぁ。バードは詳しくないけどさ」
「いいじゃない。鶯の鳴き声、綺麗でしょ。達成さん」
「あんた、誰?」
「忘れちゃったの?わたしが誰・・」
今回帰省旅の途中、男は女と新幹線の車内で遭遇していた。ただ気がつかなかったのか、目に入らなかったのか。多目的トイレの事件とは別に。
女はコスプレイヤーであり、サックスプレイヤーでもある。
女は渕上美久・・男と同年齢の同世代(中学も高校も同じ)なのだけど、実年齢すら覆す超すプレイ?妙齢の妖艶。稚拙にあどけなく。思春期の青春すらも超すプレイ?
「ふーん。うちを忘れたん?美久じゃ」
「渕上きゃぁ?」
「うん」
「ぶち若いのぉ」
「うん。コスプレやりょうるけぇ若いんよぉ」
「なんかすごいね」
「この子・・女の子なんじゃけど、カラダ鍛えて男の子になったん」
「えぇ女の子なの?」
「御意」
「達成、撮影終わったら、デートしょぉ」
「うん。別に暇だからいいけど」
「なぁ達成、ええじゃろ?」
「御意」
船は島を目指す。陸から離れ一路海路の船旅である。しかしたったの数分間。今ここで大地震でも発生すれば津波も凄いだろう。台風は接近に時間もかかるし出航自体ない。欠航も結構。しかし地震起きればこの連絡船も沈没する。まして海賊船の襲撃ももたない。
船尾から水しぶきの航路の跡を眺める。美久のセーラーが靡く。ショートカットの毛先も靡く。ヒールの底が男に向いていた。
男は感慨ひとしおだ。願いが叶っていくなぁ。美久と出会えたと言うことは・・。
セーラー服にハイヒール・・。
サックスに制服。先輩の音が島に反響する。誰もいない島の裏側の岸だ。砂もない。岩がごろごろ。でも完全な無人、だから先輩は選んだ。島の娘らしく。
あの子は川の近くじゃけぇ橋の下の影で達成を立たせたんじゃろーなぁ。いけんでぇ。
***
「今でる船に素敵なおじさまが乗ってるの。うん。ダンディよ。まるでアルパチーノよ。うん。寡黙でとんま。まんまねぇ」
(了)