不採用⑪
ー 津田は野下びんきの将来に期待を込め、びんきを弟子にとり、「津田びんき」として活動させることに決めた。
弟子にとると、たちまちびんきはスターへの階段を駆け上がり始める。
新喜劇ではすぐに座長となり、吉本新喜劇も「吉本びん喜劇」に改名。
お笑い賞レースに出ればドンドン優勝をかっさらっていき、びんきが審査員をするB-1グランプリも誕生。
東京五輪では開会式にびんき座長としてびん喜劇を披露。すぐに「世界のびんき」として有名となる
閉会式では全選手からのびんきコールにより、びんきがステージへ再登場。
びんきの「お疲れ様でした!」の一言で東京五輪は幕を閉じた。
びんきの活躍により津田の弟子は売れるというジンクスが生まれ、津田に弟子志願者が殺到。津田もどんどんと受け入れていき、落ちていく津田自身とは対照的に、「津田はんす」や「津田シンク」を筆頭に弟子達は売れに売れていったのであった。ー
2019年3月18日のメモより。
野下びんきが話題になった時なんでしょうけど、野下びんき一本勝負はきついきつい。一通分に文字数的には満たしてますが、内容がすっからかん。
今思えばそこまで「野下びんき」という名前もそんなに面白くない。
でも東京五輪の閉会式を野下びんきの「お疲れ様でした!」で締めるのは想像すると面白い。
びんき、はんす、シンク似てるなあ。
ちなみに近江のこかじろうさんはシンクとは呼ばれてません。