囲碁史記 第18回 安井家の人材
この頃の安井家の人々について見ていこう。
渋川春海
渋川春海は初代の江戸幕府天文方として貞享暦を作成した人物である。元の名を安井算哲(二世)。一世安井算哲の実子であり、当初父の名を継いで囲碁方として幕府に仕えていた。父が没したとき算哲はまだ十三歳であり、安井家は父の養子となっていた門人の安井算知が継いでいる。家元の安井家や算知についてはこれまで述べたとおりである。
算哲は幼少から学芸百般に才能を発揮し、碁を算知に学び、江戸においては池田昌意から数学と暦法、京都では山崎闇斎に神道、岡野井玄貞に天文学と暦法、土御門泰福に暦法と陰陽道を学ぶ。二十一歳の頃には学者として諸国に知れ渡り、徳川光圀、保科正之、柳沢吉保らの寵遇を受ける。また、御城碁では三世本因坊道悦や四世本因坊道策と対戦している。特に道策と打った初手天元の局は有名である。
貞享暦の採用により、算哲は碁方から天文方へ移り、新規召し抱え二百五十石と碁方より遥かに多い禄を受けている。名を渋川春海に改め、渋川家は代々天文方として続いていき、安井家は算知の系統が碁方として栄えていった。
渋川春海の墓は品川の東海寺にある。
囲碁の安井算哲としではなく、天文方の渋川春海として、代々の渋川家当主の墓石とともに並んでいる。
墓所には正徳五年(一七一五)に春海が亡くなった際に造られた墓と、その左隣に同じ戒名「本虚院透雲紹徹居士」と掘られた墓石が見られる。
左隣の墓石は側面に「贈従四位 渋川助左衛門源春海」と刻まれている事から、明治四〇年(一九〇七)に改暦の功績により従四位が贈位された際に建立された墓碑であると思われる。
なお、墓石に刻まれている「助左衛門」は春海の通称であり、源姓となっているのは安井氏が清和天皇の流れを汲む源氏の畠山氏の末裔であるためである。
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