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烏天狗クーロン
2024年1月23日 08:04
察元の出自 本因坊家で六世知伯、七世秀伯、八世伯元と三代にわたり当主が二十代、六段で早世したため、活力を失った囲碁界は低迷し、暗黒の時代とも呼ばれてきたが、道知以来の名人碁所に就任した九世本因坊察元の登場により低迷期に終止符が打たれる。そのため察元は「棋道中興の祖」とも称されている。 察元は享保十八年(一七三三)、武蔵国葛飾郡平須賀村(現在の埼玉県幸手市平須賀)の間宮又左衛門の次男として生まれ
2024年1月25日 07:47
本因坊察元が登場する前後の囲碁界を見ていく。察元の登場により囲碁界は低迷期を抜け出し、家元の碁打ち、現代風に言えばプロ棋士たちばかりではなく、在野の碁打ち、つまりアマチュアにおいても盛り上がりを見せていった時代である。この時期、多くの素人碁打ちが登場し「素人名鑑」というものまで出された。また賭け碁打ちで名を残す人物たちが多く登場している他、御城碁においても家元の高段者のみでなく素人の参加もあっ