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ランスロット→(アーサー)←グウィネヴィア

2004年版『キング・アーサー』、14年前に見て不満だったランスロットとグウィネヴィアの関係。(英語の感想見るとみんなそう思っていた様子。)
妄想で補完できることに気づき、あまりにモヤモヤしたので文章化してみたところ、ディレクターズカット版にはランスロット/グウィネヴィア二人きりのシーンがあると知り視聴。

うむ。
これは、ランスロット/グウィネヴィアよりも

アーサー←→グウィネヴィアの補強ですね。

ディレクターズカット版、セリフの差分はこちらのpdfがわかりやすい。

ロマンス(?)のいくつかのシーンに加え、合戦シーンも増、映像がクリアになっていて、脇役含め円卓の騎士たちの個性的な戦い振りがより記憶に残ります。
(敵将に臨むマッツ・ミケルセン:トリスタンの笑顔とか!写真はハンニバルコンビ↓)

そして際立つのがアーサーの人間味。

自分が信じてきたものが幻想だったと知り、彼が見せる苛立ちや怖れ。そこが劇場版ではグウィネヴィアのハニートラップに引っかかる隙になっていたのが、こちらでは彼女がアーサーに情熱的に反応してしまう魅力になってて、二人のロマンスに説得力を与えている。

いやー仕方ないよね、こういう人ほっとけないよね。

そして、グウィネヴィアを惹きつけるアーサーの魅力の裏面=理想を追う強さは、ランスロットが時に反発しながらもそれがアーサーの良さだと認めている部分でもある。
(そして、ランスロットの前ではアーサーは弱音を吐かない。)

しかし、やはりどう解釈したらいいのかわからない点もある。

グウィネヴィアからランスロットに二度も声をかけた理由。

英語圏の批評文やWikipediaも見てみたけど「三角関係のシーンがある」と書いてあるのみ。
アーサー王物語のエッセンスしか取り入れてないストーリーなので、まさかグウィネヴィアがランスロットに一目惚れした設定が生きてるとも思えない。(Ioan Gruffudd ランスロットはイケメンだけど。)
差分のセリフだけ読んだときは「騎士たちのリーダーだけじゃなくNo.2にも気がある振りして自陣に引き込もうとしたんだ?」と思ったけど、アーサーとのシーンが分厚くなった分、グウィネヴィアもかなり衝動的に動いているように見える。

そこで妄想。

彼女がランスロットに「美しい国でしょ?私には天国だよ」と話しかけたのは、直前、アーサーが自らの故郷への愛着に同意しなかったことへの不満から。
もう一つの二人きりの会話(野営地で休んでいるランスロットのところにわざわざ行って「あなたの故郷はどんなだった?」と質問する)は、意外に自分に対して反応のいいランスロットへの思いつきのリクルート(ここはのぞきの後なのでやはり色仕掛け想定かな)。

どちらも彼女の部族の指導者、マーリンの指示や打算というよりは、彼女自身の信念や“自由意志”からの気ままな行動に見える。

ランスロットはもともと仲間の彼女を寝取りたいタイプだし、グウィネヴィアに話しかけられて「俺?」と思いがけない顔をしたりとまんざらでもない。
「天国ならあんたが連れてってくれ(意味深)」とか、水浴びのぞいたり、「多くの誰かの息子を殺してきたのに自分の息子を持つ権利なんてない」と本音を語ったり。
「家族も信仰もなくて、何か信じてるものないの?」と訊かれ「自分ならあんたを助けず死なせていた(=信じるものを持っているのはアーサーだ:妄想解釈)」と答えグウィネヴィアに背を向けようとする。

問題は、この後この二人がどうしたか。

順当に考えると、背を向けられたグウィネヴィアはその場を去る、だけど、翌朝から急に二人の距離が縮まっているのはなぜだ?

この後、アーサーについて話をしたのでは?
グウィネヴィアは「アーサーはブリテン島に残るべき」とランスロットに語り、ランスロットは「アーサーが残ることはない」と彼女の希望を一蹴。
そしてそこから始まる、半分同胞のグウィネヴィア VS 15年連れ添った副官、どっちがアーサーを理解しているか合戦

夜更けに連れ立つアーサーとグウィネヴィアを見たときのランスロットの複雑な表情は「ウォードの娘が何を言ってもアーサーはブリテン島には残らないのに、あいつはわかってないな、まあアーサーはあの娘を気に入っているけど」という顔。

そして朝、血迷ったローマ人を射殺したグウィネヴィアにランスロットが上から目線のコメントをする。
その直前、アーサーはマーリンの話と自分は騎士たちとローマに帰るつもりなのをランスロットに話しているはず。
(アーサーと円卓の騎士の間に秘密はないし、ウォードの土地で彼らがもう襲ってはこないだろうというのは戦略上割と重要。)

グウィネヴィアとしてはアーサーへの愛着と同じくらいランスロットに対抗心を燃やし、ランスロットはアーサーが自分たちと離れるなどとは思いもしない(人助けで自分たちを危険にさらすアーサーにずっと苛立ってるけど)。彼は「仲間の恋人」好きなので二人の距離が近づいていることも嬉しいし、グウィネヴィアが弓使いでともに戦えるのも嬉しい。
アーサーを介する二人のこの絆、やはり萌えポイント。

ところで、グウィネヴィアがランスロットの名前を会話の中で呼んでるので、どのくらい彼らは一緒にいるのか気になった。グウィネヴィアの回復ぶり、サクソンの行軍を考えると、グウィネヴィア救出からここまで5日くらい?

その後、劇場版と大きく違う二人のシーンは次の3点。

(1)仲間を亡くし自分の幻想にも気づいたアーサーを慰めようとするグウィネヴィア、それを目で追うランスロット
(アーサーの取り合い合戦)

(2)サクソン迎撃を決めたアーサーの説得に失敗したランスロットが直後にグウィネヴィアと視線を交わすシーンの削除
(「おい、お前アーサーに何した!?」のランスロットの睨みは残っている)

(3)戦場で窮地のグウィネヴィアを助けに行くのにランスロットがアーサーを気にせずまっすぐ向かうこと
(劇場版はアーサーの状況を確認して迷ってから向かう。遠慮か、アーサーとグウィネヴィアどっちを守るべきかの逡巡。)

この逡巡がなくなったということは、ランスロットにとってグウィネヴィアは「アーサーの恋人だから守りに行った」という可能性が否定され、ランスロットにとって大事な相手(必ずしも恋愛や性的なものに限られず)ということになる。

アーサー/グウィネヴィアとは質が違う、ランスロット/グウィネヴィアの絆。
元のアーサー王物語の不倫関係より萌えが深いです。

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