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ガンジス川のほとりで、世界観は変わるのか?
ガンジス川にはとても有名な火葬場がある
その火葬場で荼毘に付せられるということは
とても名誉なことらしい
火葬場近くの壁に座り、遺族らと一緒とその光景を見させていただいた
見れば見るほど、その儀式がどのように始まりどのように終わるのかが気になって仕方がない
ゆっくりと彼らと一緒に
時を過ごさせていただきました
竹でできたタンカの様なものに乗せられ
運ばれていらっしゃいます
(また別の方ですが、街中もそのタンカで通っているところもお見かけしました)
オレンジ色の布に包まり
お花なども飾られとても華やかにみえます
このオレンジ色。
ディズニーの「リメンバー・ミー」ご存じですか?
あれもマリーゴールド
ヒンドゥー教では生命や永遠、健康の象徴のようです
タンカに乗せらたまま、ガンジス川でお清めが始まります
(実際にはガンジス川の中に全身をザブッとさっと浸かっていたように見えました)
火葬の準備が整うとタンカから数人がかりで下ろしてもらい薪の上に寝そべります
その上にまた薪をくべ、太い薪をドンと置き、喪主(一般的にはご子息のよう)がギー(油)をかけ、見守ります
全体が灰になるのには3、4時間はかかるのではないでしょうか
男性は胸の骨が、女性は腰の骨が一番固いようで
その部分はどうしても残るそうです
その一部を喪主の方がガンジス川に枝2本を使い投げ入れます
火を消すべく、ガンジス川の水を決まった回数掛け、その掛けるために使っていた水壺を薪の上に後ろ向きで投げ入れます
「もうこの世との縁は切れました」
という意味があるそうです
儀式が終わると、火葬横のガンジス川で沐浴をします
葬儀終了から決まった日数、毎日沐浴をする決まりがあった気がしますが、
この期間については記憶が定かではなく…
すみません
薪については一人につきだいたい決まった量が何キロってあるようです
火葬する場所も気になっていたのですが、
見ている限り他の方が荼毘に付せられた場所の上に薪を積み…という感じでした。
なので、個人的には最終的にはどの方がどの方なのか分からなくなるのかな?と思ってみたり…
目の前だんだんと形が無くなっていく光景を目の当たりにし
死生観が…というより
目の前の現実が、
ノンフィクションのようにしか考えられない自分
理科室で見たことある模型の一部が見えていたとしても
客観的にどこの部分だな。と冷静に見れている自分
この場で働く彼らは目の前の薪と火力と葛藤し
可能な限り跡形もなくするのが仕事のようで
容赦なく長い枝を駆使し、バシバシ砕いていく
それをただただ
目の前で行われている光景として処理していく私の思考
そうだ
スカイダイビングをした時もそう
セスナから勢いよく飛び出され(自分の意思では無理だったはず)
一定の距離が来るまでパラシュートを広げず地上へ急降下
息が出来なくて苦しすぎる
時が来て、
ボーンという衝撃と共にパラシュートが開き
グーンと反動で上へ
その後ゆったり空中を回遊する
このまま地上へ落ちても死なないだろうな
私の頭の中はこの思考しかなかった
今から20年以上前の記憶だが鮮明に覚えている
目下、芝生と小屋しか見当たらず
どれもミニチュア、フィギュアの様に見えて
現実世界、このまま落下したら大けがじゃすまないことを脳は認識できず
錯覚を起こしている感じだった
まさにここバラナシでみるガンジス川の光景もそう
同じ!
目の前の情景があまりにも現実世界とかけ離れすぎて
脳処理がついて行けていなかったのだと思う
ガンジス川を見て死生観が変わった!
と聞くこともある
実際に変わった方もたくさんいるだろう
しかし、
残念かどうかはまだ分からないが
私は死生観が変わるほど柔軟ではなかった
また、個人的なことだが
ここ10年以上幸いなことに会えなくなってしまった親戚、友人知人がいないことも理由のひとつかもしれない
状況によってはまた違った見え方をしていたのだろう
あなたは実際これらを目の前にした状況で
どう感じると思いますか?
彼の生涯を想像するかもしれないし
彼のとある一日をピックアップするかもしれない
彼の家族に焦点を当てるかもしれないし
彼を先で待っている人目線で見るかもしれない
どこの視点から現状を捉えそうですか?
ぜひ想像してみてください
実際インドに行ってみて
何を思って帰国し、
帰国後の体調メンタルも含めどうなのかは
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