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プリキュアの論文を書きました。


プリキュアの論文を書いたので載せたいと思います。すごく長いです!おそらく画像の貼り付けが反映されていないので、【図○○】となっているものの図がない状態です。また誤字脱字が多く見づらいですがご了承ください💧
↓↓↓↓↓↓
『プリキュア』からみる現代社会の抑圧
2023年12月18日

目次

序論
第 1 章 概要
1-1.『プリキュア』シリーズの起源と概要
1-2.『Yes!プリキュア 5』『Yes!プリキュア 5GoGo!』のあらすじ

第2章 女性視聴者が共感する『プリキュア』
2-1.変身からみるメイク表象とプリキュアシリーズにおける変遷
2-2.オープニングおよびエンディングからみるプリキュアのアプローチ変遷
2-3.視聴者の受け取り方
2-4.女帝デスパライアの老いへの恐怖
2-5.育児の強制

第 3 章 男性の苦悩
3-1.王子であるココとナッツの可愛さと強さ
 3-1-1.可哀想な王子、ココの可愛さ
 3-1-2.ココとナッツの強さ
3-2.ブラック企業の表象である敵組織「ナイトメア」
3-3.敵であるのに絶大な人気を誇るブンビーというキャラクター
3-4.居場所を失う恐怖
3-5.敵キャラクターは完全なる悪なのか?

第 4 章 のぞみとプリキュアによる希望の提起
4-1.プリキュア 5 のリーダー
4-2.仲間に希望を与えるのぞみ
 4-2-1.他者の可能性を諦めない
 4-2-2.立ち向かう心
4-3. 敵キャラクターの浄化と消滅は救いか?
4-4.「けって〜い!」という口癖
結論
参考資料
対象作品

序論
女児向けアニメである『プリキュア』シリーズは誰もが 1 度は見たことがある、もしく は聞いたことがあるのではないだろうか。『プリキュア』という存在を全く知らない、聞 いたことが無いという人は珍しいくらいで、2004 年の初代『プリキュア』作品『ふたりは プリキュア』以来、⻑年に渡り、毎週テレビアニメが放映されている。また玩具売り場に は、多くの変身アイテムが売り出され、『プリキュア』作品の人気が伺える。
そして、そのメイン視聴者層とされる女児は、『プリキュア』は実在すると思っている 場合もあるかもしれない。子供達にとって『プリキュア』は憧れであり、なりたいと思わ せてくれる存在であり、とても身近なアニメシリーズだ。それは初代から変わらず、初放 映から約 20 年経った現在も『プリキュア』シリーズは進化し、放映を続けている。可愛く 描かれるキャラクターには惹かれるものがあり、その少女達が変身によって強化され、戦 う姿には多くの女児が憧れを持つ。⻑年に渡り視聴者の心を離さず、人気な理由としては これだけでも十分だろう。
実体験として筆者が幼い頃に憧れたプリキュアは、可愛い衣装に変身し力で悪を懲らし めるものだった。この分かりやすい可愛さと強さに夢中にさせられた。しかし、筆者自身 が大人になるにつれ、登場キャラクターが持つ未熟さによって葛藤する少女達の姿や、組 織に属していながらも不安を抱えつつ戦う敵キャラクターといった複雑な要素も認められ るようになり、そういった社会全体が持つ辛い現実を、少なくとも物語世界では払拭して くれているプリキュアの存在に、以前よりも憧れるようになっていた。
このように『プリキュア』には、様々な年齢層および状況にある視聴者が共感しうる、 多様な問題提起とその解決が見出されるのではないだろうか。『プリキュア』の物語には、 私達が生き抜く厳しい社会を示唆する表現があり、それが現実とリンクするとともに、プ リキュア達を通じて物語内で、その現実問題が解決するからこそ、⻑年放映が続いている と思われる。本論では、『プリキュア』の物語が内包するこれら問題とその解決を探っていく。ただし、特にこれらの諸点が明確に表れている『Yes!プリキュア 5』『Yes!プリ キュア 5GoGo!』を中心に論じていくこととする。両作品では、登場キャラクターが将来 の夢に悩んだり、ブラック企業を連想させる敵組織があったりと、現実社会での悩みと連 結しやすいモチーフが多々登場している。また、これらの作品は歴代シリーズでも特に根強い人気を持つとともに、第 2 章で検討するように、『プリキュア』シリーズにおいて転 換点に位置する作品でもある。これらの作品を分析対象とし、我々が生きる社会状況と比 較検討することで、『プリキュア』の物語は一体何を視聴者に提供しているのか、検討していく。
まず、第 1 章では本論で中心に取り上げる『Yes!プリキュア 5』『Yes!プリキュア 5GoGo!』の解説をする。第 2 章では女性目線での共感できるポイントや、メイクの文化 的機能からみる変身やオープニングについて論じる。第 3 章では男性の妖精や敵キャラク ターに描かれる苦悩が、現代社会の男性が感じる苦悩と通じていることを論じる。最後に 第 4 章にて、『Yes!プリキュア 5』『Yes!プリキュア 5GoGo!』の主人公、夢原のぞみ /キュアドリームが、登場キャラクターや視聴者にもたらす希望について解説する。
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第1章 概要
1-1.『プリキュア』シリーズの起源と概要
『プリキュア』とは、2004 年『ふたりはプリキュア』から放送が開始されたアニメシリ ーズであり、今でも幅広い層に人気の作品だ。タイトルの由来は、「プリティー (PRETTY=かわいい)+キュア(CURE=癒す・治す)」とされ、主に中学生くらいの 女の子がプリキュアに変身し、敵に立ち向かうストーリーである。基本的に、1 年ごとに 物語が完結し、それぞれにテーマやモチーフが決められている。最近では、ジェンダーな どの社会問題に切り込むストーリーがネットニュースで話題になることも多い。
「プリキュアの生みの親」と呼ばれ、第 1 作目である『ふたりはプリキュア』など様々 な『プリキュア』シリーズをプロデューサーとして手掛けた鷲尾天は、このシリーズを生 み出したきっかけとして、社会において女性が活躍する機会が少ないことや、当時放映さ れていたアニメも女性キャラクターが男性キャラクターに助けられる様子ばかりだったと 振り返った上で、以下のように述べる。
そんな社会通念を変えるべく、鷲尾氏は「プリキュア」の企画を任された際、「女の 子だって暴れたい」とのキャッチコピーを付けた。「女性だって、自分たちで困難を 解決できる」との思いを込めたという。 「女の子たちが、りりしく自分の脚で立つさまを表現したかった。『プリキュア』の 登場キャラクターが、魔法のステッキなどを持たずに“徒手空拳”で敵と戦う設定なの はそのためだ」(鷲尾氏)1
こうしたプロデューサーの意向のもと、当時としては珍しいであろう、少女達が拳や足技 で戦う『ふたりはプリキュア』が誕生し、大人気作品となった。筆者が幼い頃も夢中にな って視聴しており、幼稚園や小学校に通っていた当時は、大半の女児が『プリキュア』を 視聴し、イラストが描かれたペンケースや変身アイテムやキャラクターのストラップを付 けていた印象がある。『プリキュア』シリーズは今作で通算 20 作品目を迎えるが、その人 気は留まるどころか加速するばかりである。
1-2.『Yes!プリキュア 5』『Yes!プリキュア 5GoGo!』のあらすじ
『Yes!プリキュア 5』は 2007 年 2 月 4 日 - 2008 年 1 月 27 日に放送されたプリキュア シリーズ第 4 作目である。その続編である『Yes!プリキュア 5GoGo!』は 2008 年 2 月 3 日から 2009 年 1 月 25 日に放送された第 5 作目であり、2 作合わせて「5 シリーズ」と言 われる場合がある。本論はこの 5 シリーズを中心に取り上げることから、まずは『Yes!プ リキュア 5』のあらすじを解説する。
1 「『女の子はこうあるべき』を変えたアニメ『プリキュア』制作現場を支えるクラウ ド」, ITmedia ビジネスオンライン,2018 年 7 月 18 日, https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1807/18/news001.html(2023.07.01 閲覧).
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『Yes!プリキュア 5』公式ホームページのストーリー概要は以下となっている2。
夢原のぞみは、サンクルミエール学園に通う中学2年生。ある日、図書館で不思議 な本「ドリームコレット」を見つけたのぞみは、“パルミエ王国”からやってきたコ コと出会います。
ココは、邪悪な組織“ナイトメア”に滅ぼされてしまった故郷を蘇らせる為、どんな 願いも1つだけ叶える力を持つ「ドリームコレット」を探し続けていたのです!た だ、願いを叶える為には「ピンキー」を55匹探さなければなりません。しかも 「ドリームコレット」を狙う“ナイトメア”と戦いながら...。
ココを助けることに決めたのぞみは、「ピンキーキャッチュ」でプリキュアに変 身!!4人の仲間と共に、プリキュア初の「チームアクション」でよこしまな野望 に立ち向かう!!
本シリーズの冒頭は、以下のように始まっている。主人公である夢原のぞみが、ある日 の通学途中に、光る蝶を見つけ、それに導かれるように追いかけていると、素敵な男性と 出会う【図1】。
【図1】
その後、何故かのぞみの通うサンクルミエール学園内で図書館へ向かう彼を見つけた為、 追ってみると、のぞみは偶然光る本を見つける。しかし彼もその本を探していたらしく、 取り合いになり、彼がその拍子で倒れてしまう。それと同時に彼が小動物のような妖精に 変わり、自分はパルミエ王国の王子、ココだと名乗る【図2】。
【図2】
ココは、邪悪な組織「ナイトメア」に滅ぼされてしまった故郷を蘇らせる為、どんな願 いも 1 つだけ叶える力を持つ「ドリームコレット」というものを探し続けていたのだとの
2 東映アニメーション,『Yes!プリキュア 5』.ストーリー, https://www.toei-anim.co.jp/tv/yes_precure5/story/index.html(2023.07.01 閲覧).
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ぞみに説明する。その最中に突如、紳士風の男が現れてしまい、ドリームコレットを奪 おうと 2 人を襲ってくる。しかし、ココの夢を馬鹿にする敵の姿に怒ったのぞみは立ち 向かい、ココを助けようと決める。その決意によるものなのか、のぞみの前に今朝見か けた光る蝶がやってくる。その蝶がのぞみの手首に止まり、腕時計のような形をした変 身アイテム「ピンキーキャッチュ」に変わる。その変身アイテムによって、のぞみは希 望のプリキュア、「キュアドリーム」に変身して敵を倒す。
その後、同じ学園に通う幼なじみの夏木りん、後輩の春日野うらら、生徒会⻑の水無 月かれん、図書委員の秋元こまちもプリキュアとして仲間になり、ココと同じくパルミ エ王国から来たナッツとミルクという妖精も登場し、「ナイトメア」に立ち向かってい くストーリーになっている。のぞみはキュアドリーム、りんはキュアルージュ、うらら はキュアレモネード、こまちはキュアミント、かれんはキュアアクアに変身し、5 人で プリキュア 5 として活躍していくのだ。
そして、『Yes!プリキュア 5』最終話の翌週から、続編である『Yes!プリキュア
5GoGo!』が放送開始された。こちらも公式ホームページのストーリー概要は以下とな
3 っている 。
ナイトイトメアが消滅し、平和な日常を送っていたのぞみたち5人。 ある日、のぞ みの元に一人の少年が現れ、謎の手紙を渡される。
『キュアローズガーデンで待っています...』手 紙の主「フローラ」は不思議なメッ セージを残して消えていった。手紙はローズパクトに変わり、突然そこに新 たな刺 客が現れた!手紙を渡した少年は巨大な鳥のような姿になり、のぞみを乗せて飛び 立ち、間一髪を逃れる。
新たな危機をココとナッツが再びのぞみたちの世界に駆けつけ、5人は新しい変身 アイテム、キュアモで新たな プリキュアに変身!
5人は謎を解き明かすべく、キュアローズガーデンを目指す!
『Yes!プリキュア 5GoGo!』からミルクが、美々野くるみという、のぞみ達と同じ中 学 2 年生の女の子になり、⻘いバラの戦士「ミルキィローズ」という新しい戦士として追 加された。また、パルミエ王国の運び屋であり、鳥の姿をした妖精、シロップとその大親 友であり、シロップの運び屋の手伝いをしているメルポが加わる。さらにプリキュア 5 の 衣装も若干変化し、前作よりパワーアップしたプリキュア 5 が新たな敵、エターナルに立 ち向かう姿が描かれていくストーリーである。
3 東映アニメーション,『Yes!プリキュア 5GoGo!』,ストーリー, https://www.toei-anim.co.jp/tv/precure5_gogo/story/index.html(2023.07.01 閲覧).
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第2章 女性視聴者が共感する『プリキュア』
『プリキュア』シリーズは歴代作品全ての主人公が中学生の少女である。少女の目線で描 かれる『プリキュア』は、女児向けアニメとカテゴライズされ、現在放送中のシリーズま で多くの女児が視聴している。⻑年に渡り、まだ何者でもない少女達がプリキュアになっ て敵に立ち向かう強さを描くことで、視聴者に勇気を与えていると思われる。
しかし女児向けアニメとすることによって、女性という役割による苦悩を強調してしま っている場合や、そもそも『プリキュア』作品で描かれる少女達の奮闘が女性的な役割を 視聴者に刷り込んでいるのではないかと感じてしまう場合もありうる。その為、本章では、 まず女性視点から『プリキュア』を通して共感できるポイント、そして作品を通してみえ る女性の強制されてしまう役割や苦悩を論じ、その上で『プリキュア』がいかにして女児、 そして女性視聴者に受け入れられていくのかを考察していく。
2-1.変身からみるメイク表象とプリキュアシリーズにおける変遷
まず、『プリキュア』シリーズの見どころは、少女達が変身するということではないだ ろうか。プリキュアとして戦う事を決意するきっかけは登場キャラクターによってそれぞ れだが、強い想いによって変身が行われる。そしてプリキュアになる少女達は、最初は驚 きながらも変身というものを受け入れるのだ。『プリキュア』シリーズにとって変身は重 要であり、例外はあるが、ほぼ全話で変身シーンが流れ、変身=プリキュアになるという ことと定義される。
しかし、変身とは一体何なのか。『Yes!プリキュア 5』『Yes!プリキュア 5GoG o!』の主人公、夢原のぞみも変身時は「キュアドリーム」と名乗るが、決して人格が交 代しているわけではなく、同一人物である。自分自身ではあるものの、力が強くなり見た 目も変わっている。このようなことは実際には起こるわけがなく有り得ないことだが、変 身という出来事を物語に登場する少女達だけでなく、視聴者達までもが受け入れている。
自分でありながら装飾品によって姿を変えるという点では、アニメにおける変身は我々 にとってのお洒落と類似していると言えるだろう。『プリキュア』では、その点がさらに 分かりやすく表現され、服装はフリルやリボンの装飾によって豪華になる。髪は急激に伸 び、綺麗にセットされるという変化がみられる。つまり『プリキュア』作品の変身の役割 とは、我々が重要な場面でメイクをするのと同じく、さらに綺麗になり魅力を高めること で自らを鼓舞し、それが敵と戦闘するための準備段階であると考えられるのだ。
そして、これには恐らく日常生活でのメイクやお洒落が関係しており、主に女性視聴者 はメイクによって疑似的な変身をしているためだと考える。未だに女性のメイクはマナー とされ、強制されてしまっている場面も多いが、近年ではメイクは楽しむものという風潮 もあり、可愛いらしいデザインパッケージやメイクブランドと人気作品のコラボ、カラー の豊富さ等、メイクというものをポジティブに捉えられるような品物が多く存在してい る。例えば、化粧文化について研究された書籍『化粧の日本史 美意識の移りかわり』で著 者の山村博美氏は、近年の日本におけるメイクの変遷について以下のように述べている。
ものがあふれかえる豊かな社会の到来は、人々の価値観を大きく変えた。誰もが同じ ものを持つ「大量生産・大量消費」の時代は終わり、自分の好みに合わせて欲しいも
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のを選ぶ、「多様化・個性化」への希求がはじまったのである。化粧についても同じ
ことがいえた。昭和四十年代を、大きな流行を皆で追う化粧の「大象化」の時代とす
れば、五十年代から昭和末期は、基本的な化粧知識が一般女性にいきわたり、次のス
テップとして、細分化したファッションやライフスタイルに合わせて、個人が自分ら
しいメイクを選ぶ「個性化」重視の時代だった。消費者ニーズの多様化をうけて、化
粧品も大量生産から多品種少量生産へとシフトした結果、化粧品のブランド数やメイ
ク品の色数は、どんどん増えていった。昭和五十七年(一九八二)頃からは、いろんな
メイクを楽しみたい女性のために、色やアイテムを自由に組み合わせるユニット式の
メイクパレットや、ミニサイズの口紅など、これまでにないコンセプトの商品が次々
4 と登場している。
多様化や個性化を楽しむ女性のためへのアプローチが時代と共に進んでいることが伺え る。近年では男性もメイクをすることは珍しくはなく、マナーというしがらみを超えて日 常生活に受け入れられつつある。
また、メイクをする場面はそれぞれであり、主に人と会う時、出かける時にある程度メ イクをするという人がほとんどである。しかし、好きなアーティストのライブに行く、気 になる相手とデートに行く等、自分自身にとって重要な場面では、かなり力を入れてメイ クをし、お洒落な格好をするのではないだろうか。お洒落の定義は人それぞれかもしれな いが、洋服のデザインはシンプルなものから個性的なものまで、ヘアカラーやヘアメイク も落ち着いたものから奇抜なものまで様々であり、メイクと同様に楽しむものとされ、日 常生活でのお洒落と特別な日のお洒落の使い分けがなされている。
そしてそれは、現代のメイク表象のみならず、古代から続く人類にとってのメイクとい う観点からも、同様に捉えられることが伺える。例えば沖縄・久高島のイザイホーとい う、
。その後、髪を結い上げ、美しい髪飾りを付けて聖 地からこちら側の世界へ戻ってくるが、そのメイクアップされた髪は、異界の力を身に受
けて人格が変わり巫女になったことを象徴している5。つまり、ここでは大切な儀礼の準備 として、髪型を整えるということが重要視されているということである。また、普通の女 性から巫女へと人格転生するプロセスは、普通の中学生くらいの女児が、ココやナッツな どの属する妖精たちの世界、現実の人間の世界とは異なる異世界へと交わるべく変身する 『プリキュア』と類似してもいる。古くから伝わる儀礼においても、現代のヘアメイクと 同様に、メイクによって異世界と通ずる力を手に入れる、またはその力を発揮するために 髪型を変え整えるという考えがあったということだ。
また、メイクには、異世界へと交わる準備としての意味づけがあったばかりでなく、自 らをそのような異世界の力から防衛する機能もあると思われてきた。山村氏は「古代人に とって、赤は死者の魂をしずめ、その再生を願うなどの味を持つ神聖な色でもあった。そ れと同時に、顔を赤く彩色することは、生きている人間にとって魔除けの意味があったと
4 山村博美『化粧の日本史 美意識の移りかわり』吉川弘文館, 2016 年, 192-193 頁.
5 畠山篤「久高島イザイホーの神歌の分類」,『口承文藝研究』,第 25 号, 2002 年, 89-103 頁.
久高島で生まれ育った 30 歳以上の既婚女性が神女となるための就任儀礼において
は、特に儀式二日目に歌われる神歌「髪垂れ遊びのティルル」では、禊を済ませた女性が
垂れ髪を整える様が歌い込まれている
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いわれている」と述べている6。このことからも、メイクは悪いものを避けて自らを保護 し、守る側面が古代からあったのだと捉えられる。そしてこれについても、変身すると強 力な攻撃を受けたとしても血を流したり、全治数ヶ月の大怪我をしたりすることもなく戦 闘を続けることができる『プリキュア』の非現実的な戦闘能力と類似していると思われ る。すなわち、メイクとそれに伴うお洒落は、自分の力を発揮する準備をする側面や自分 を守る側面があることは前近代から脈々と受け継がれてきた考えであったということだ。
さらに、敗戦後の経済的苦境にあってメイクをする暇もない状況でも、女性たちがお洒 落に関心を寄せ続けたことについて、『日本の化粧史 美意識の移りかわり』では次のよう に述べられている。
『スタイル』は、作家の宇野千代が編集・発行にたずさわった雑誌として知られてい る。昭和二十一年三月号から復刊して、最新流行のファッションを紹介したが、これ が驚異的な売れゆきをみせたという。晴れ着や家財を切り売りして食料と交換するタ ケノコ生活が続くさなかに、このような雑誌が売れ、美容院に行列ができたのは、そ れだけ女性たちがおしゃれに餓え、耐乏生活のなかにひとときの夢を求めていたから にほかならない。7
メイクやファッション、ヘアスタイルを追求することは、敗戦後の多くの女性にとって、 ひと時の希望として捉えられていたということだ。お洒落をして綺麗な姿に変わっていく ことが、敗戦後というまだ暗く、貧しい社会で生きる女性たちの楽しみであり、自らの気 持ちも『プリキュア』のように変身し、希望を持とうとしていたのかもしれない。
そして、こうした歴史の中からみえるメイクに対する見方も加わえることで、一層私達 は、プリキュアの変身をありえないと思いつつ肯定的に受け入れられる心理を理解するこ とが可能となる。
ちなみに、近年のプリキュアシリーズでは、変身シーンでメイクの要素が一層強調され るようになり、変身によるメイクアップの側面が前景化されつつある。
例えば『スマイルプリキュア!』では、変身時に「スマイルパクト」というアイテムを 使用するが、そのアイテムから光るパフが登場し、手首や足にパフを当てることで服装が 変わる。そして仕上げに顔にパフを当てることで少女の頬が赤くなり、変身が完成する。 また、『トロピカル〜ジュ!プリキュア』ではキャッチコピーが「メイクでチェンジ!ム テキのやる気!」とされ、主人公の夏海まなつが、勇気が湧いてくるものとして持ち歩い ていたリップを無くしてしまい、それを偶然拾った人魚のローラ・ラメールと出会う。変 身シーンでは、「リップ」、「チーク」、「ドレス」、「ネイル」等の単語を発しながら 変身が徐々に完成していく形になっており、メイクアップとして変身を行っていることが 伺える。このシリーズからアニメ内にお洒落なコスメショップとして「Pretty Holic」が登 場し、実際の玩具売り場等でも、アニメに登場するコスメアイテムが販売された。
実際、歴代シリーズを振り返ってみると、2009 年放送『フレッシュプリキュア!』から 変身シーンのアプローチが変化したようにみえる。アニメ研究者の須川亜紀子は、その著 書『少女と魔法 ガールズヒーローはいかに受容されたのか』の第 5 章にて、この『フレッ シュプリキュア!』の変身シーンについて取り挙げている。以前のシリーズの変身シーン
6 山村『化粧の日本史 美意識の移りかわり』, 12 -13 頁. 7 山村『化粧の日本史 美意識の移りかわり』, 165 頁.
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では、「画面に向かって、もしくは画面に対して斜めを向いたプリキュアたちが光に包ま れつつドレスアップ、メイクアップを施されるのが通常であった」と須川氏は述べた上 で、『フレッシュプリキュア!』では変身シーン内にオーディエンスに背を向ける場面が あり、これにより視聴者は彼女たちと同じ視点を獲得することが出来たのではないかと分 析する8。この変身スタイルの変化には、これまでのプリキュアシリーズのプロデューサー が新たに変更されたことが理由の一つとして挙げられるかもしれない。しかし、オーディ エンスに背を向けていたということ以外にも、これまでのシリーズでは強い意志を持った ような、覚悟を決めたような表情で行われた変身シーンが、『フレッシュプリキュア!』 以降では、プリキュアたちがカメラ目線を送るショットが増加しており、まるで視聴者に 向けられたかのように見える笑顔、つまり可愛さの演出が施されている。このことから明 らかに視聴者と同じ視点、そしてプリキュア自身が視聴者に向けて、自分たちと同様のメ イクアップをすることを促す様子が伺える。
カメラ目線でのウィンクや笑顔、それらを通じて視聴者に伝えられる華やかさ、という 明らかなアプローチの変化は、メイクに対するマナー、やらなければならないという使命 をポジティブに変換するという意図がこめられていると考えられる。そしてアニメに登場 する少女自身も、変身をポジティブなものに変換し楽しんでいるように演出されているの ではないだろうか。
しかし、このような変化を通じて失われたものもある。それはプリキュアたちの決意の 強さだ。確かに『フレッシュプリキュア!』以降のプリキュアたちが視聴者に提示するメ イクのポジティブな側面と、それへと視聴者を促す喚起力は高まっている。しかし、その ためにプリキュアたちは視聴者にとっての等身大、対等な存在となる。そこでは逆に、そ れまでのシリーズには認められたプリキュアたちの、視聴者の想定を超えた意志の強さは ない。そして、こうしたシリーズ内での変遷は、次節においてオープニングおよびエンデ ィングを分析していくことで、より精査することができるだろう。
2-2.オープニングおよびエンディングからみるプリキュアのアプローチ変遷
続いて、アニメのオープニングとエンディングに注目してみる。まずエンディングにつ いてだが、2004 年の『プリキュア』シリーズ第 1 作『ふたりはプリキュア』から 2008 年 『 Yes!プリキュア 5GoGo!』まではアニメーション映像によるエンディングが放映され た。しかし 2009 年放送の第 6 作目『フレッシュプリキュア!』以降は、現在放送中の 『ひろがるスカイ!プリキュア』まで、歌に合わせてプリキュア達がダンスを踊る、CG アニメーションになっている。映像内でプリキュアは視聴者を観客とする形で画面に向か って踊り、まるでアイドルのようにオーディエンスに向けて、微笑みかけたりウィンクを したりするのだ。その振り付けは子どもでも踊れるような簡単なものになっており、プリ キュアと共にダンスをするという一体感が得られる。この視聴者に向けられた歌とダンス も彼女達の物語をただ見るだけではなく、彼女達と我々の対等な繋がり、同じ立場でのコ ミュニケーションを促す役割を生み出したと捉えられる。
8 須川亜紀子,『少女と魔法 ガールズヒーローはいかに受容されたのか』, NTT 出版, 2013 年,245 頁.
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また視聴者とプリキュアの繋がりという点では、『Yes!プリキュア 5』と続編の 『Yes!プリキュア 5GoGo!』、それぞれのオープニングを比較してみてもその変化が伺え る。
まず、『Yes!プリキュア 5』のオープニングを分析してみる。前奏はなく、「1.2.3.4」 で勢い良く始まる歌詞と共に、それぞれのコスチュームの胸元の蝶のマークが 5 つ現れ、 「プリキュア(5!)」の歌詞に合わせて 5 人が登場しポーズを決めるところから始まる 【図 1】。のぞみとりん、そしてこまちとかれんは物語が始まる以前から知り合いではあ るものの、5 人全員での接点は一切なく、冒頭では学園で偶然に出会っただけであった。 しかし、物語が進んでいくに連れて、同じプリキュアの仲間として戦うことになったこと から、1 つのチームとして立ち向かって行こうと強く決心した 5 人の物語の始まりを表し ている。
【図 1】
続いて画面が切り替わり、変身アイテムとして使用されるピンキーキャッチュに姿を変 えた光る蝶を、プリキュア 5 の 5 人が各々見つめながら捕まえようとする形で追いかける 【図2】。アニメ内でこの光る蝶は、自分の夢を追い続けたい、そして何かを守りたい、 という彼女たちの強い気持ちによってどこからともなく現れ、その蝶が腕時計のような変 身アイテム、ピンキーキャッチュに姿を変えたことで、のぞみ達はプリキュアに変身する ことができる。つまり、プリキュアの姿になっている時はピンキーキャッチュを身に付け ていることから、このプリキュアの姿で光る蝶を追いかけるというシーンは、物語設定上 おかしなことであり、矛盾が生じている。しかし、この矛盾を敢えてオープニングに起用 したのは、プリキュアになることで、のぞみ達の中に存在している強い想いは消えず、さ らに今まで以上に追いかけ続けるきっかけとなることを示していると思われる。プリキュ アになったことによってのぞみが夢を見つけ、夢を追いかける大切さを再確認するこの物 語の構図そのものが表されているシーンであると言える。
【図2】
その後、本来のタイトルよりも少しモヤがかかったようなロゴタイトルが画面に映し出 され【図3】、「Yes!プリキュア 5!」の歌詞と同じタイミングでロゴタイトルに光が戻 り、背景も明るくなる【図4】。
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物語内では、敵側ナイトメアが登場しコワイナーが生み出され暴れているシーンでは、 空全体が暗くなってしまう傾向がある。しかしプリキュアがナイトメア、そしてコワイナ ーと戦い、倒すことによって、暗くなってしまった空に光が戻る。つまり、敵が現れ暗く なってしまった世界にプリキュア 5 が駆け付けることによって、それらを打ち砕き、モヤ が晴れていくパターンがあり、プリキュアの存在が光であることを示している。オープニ ングのこの明暗の演出は、困難や立ちはだかるものによって暗く見えてしまう世界、すな わち私達の生きる現実そのものを暗示してもいるようにみえる。しかしそんな現実にこ そ、プリキュア 5 が必要なのだと思わせる展開となっている。
【図 3】
【図 4】
    場面が変わり、「大きくなったら何になりたい?」という歌詞で、のぞみはバスを必死 に追いかけている【図 5】。
【図 5】
続いて「両手にいっぱいぜんぶやりたい」の歌詞では、りん、うらら、こまち、かれん の 4 人はそれぞれの夢や得意なことをやっている。りんであればサッカーをし【図 6】、 うららは舞台で女優として歌唱しており【図 7】、こまちは作品執筆【図 8】、かれんは バイオリン演奏をしている【図 9】。それに対し、冒頭ののぞみは、バスを追いかけて乗 り損ねそうになるのみであり、四人と対照的に描かれる。「大きくなったら何になりた い?」という歌詞の発する問いに答えが出ていないのぞみにとって、やりたい事や才能が ある 4 人が羨ましくもあり、輝いて見えているのではないだろうか。そして、この問い は、視聴者にも向けられるのであり、特にまだ将来の夢などが決まっていない若年層にと っては、この問いに答えられないのぞみを、自らと近しい存在として捉える契機となって いると思われる。
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【図6】     【図7】
【図8】     【図9】
そして「問題が解けないナミダは」でサンクルミエール学園の校舎が映され、画面が上 から下へとアングルが下がっていく。それに連れて校舎のすぐ側の湖付近で並んで立って いる 5 人の後ろ姿が映し出される【図 10】。ここで曲調が少し遅くなっていることや、夕 日に照らされていることから多少の不穏さが与えられる。
【図 10】
しかし、続く「ココロの消しゴムで消しちゃおう」という歌詞で、のぞみが画面の方を振 り向いて走り出し【図 11】、強い眼差しで、彼女の口癖でもある「けって〜い!」のポー ズをすると背景が突然ピンク色に変わり、画面全体が一気に明るくなる【図 12】。「メタ モルフォーゼ!」の歌詞で変身シーンと共にキュアドリームに変身する【図 13】。
のぞみは本シリーズの物語冒頭、そしてこれまでのオープニング映像も含め、りん、う らら、こまち、かれんの 4 人と比べ、遅れをとっていた。そののぞみが口癖である「けっ て〜い!」のポーズをすることで、画面全体に光が宿るのだ。これは、夢や特技の無い主 人公のぞみが前に向かって走り出すことを決めたことで、光る蝶がやって来て、変身でき たという第 1 話のエピソードを示唆するとともに、こののぞみを中心とするプリキュアた ちが世界に希望をもたらすことを象徴的に提示している。
また、【図 10】にて、のぞみだけではなく、5人全員の後ろ姿が映されたということも 興味深い。特技ややりたいことがあり、羨ましく思われるようなのぞみ以外の 4 人もそれ ぞれ悩みや不安を抱えていることが、このシーンから伺える。しかし、そういった悩みや
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不安に対し、のぞみが自分のことだけでなく、「けって〜い!」と他の誰かの背中を力強 く押すことによって、それぞれのマイナスな気持ちを払拭し、暗い世界を打ち消している とも捉えられる。
【図 11】     【図 12】
【図 13】
こうしてサビに入り、「夢見るため生まれた」と言う歌詞の最中、ピンチになりながら もキュアドリームは敵のコワイナーに立ち向かう【図 14】。ここでは画面が下から上へと 上昇するアングルになり、キュアドリームが大きな問題に立ち向かい奮闘する姿をコワイ ナーという巨大な敵を通して表される。「夢見るため生まれた」という歌詞ものぞみの夢 に対する強い気持ち、そしてココの夢を実現することで自分の夢を見つける為に第 1 話目 で誕生したキュアドリームのことを示す歌詞である。
【図 14】
続いて「(1.2.3.4.5)」の合いの手が入る。1 でキュアドリームが上に向かって翔んで いき、2 でキュアルージュがキュアドリームと同じ方向を見つめながら画面に登場し、続 いて 3 でキュアレモネード、4 でキュアミント、5 でキュアアクアが同じようにしてだん だんと増えていく。そして「翔べるよ がんばる女の子」というプリキュア 5 に変身する彼 女達のことを指す歌詞で 5 人が巨大なナイトメアに立ち向かう【図 15】。そして、それぞ れの必殺技を出し、コワイナーを倒す【図 16】。この展開は、1 人で戦うのではなく仲間 がいてこそ強くなれるということを示す。「翔べるよ がんばる女の子」という歌詞は、プ リキュア 5 に変身する 5 人の少女達全員を指すのだ。
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【図 15】     【図 16】
そして最後の「1.2.3.4」のリズムに合わせ、再びプリキュア 5 が画面正面に身体を向け 登場し、「プリキュア(5!)」の歌詞で冒頭【図 1】と全く同じポーズの 5 人の姿が登場 し、オープニングが終わる。この冒頭シーンの決めポーズが繰り返されるということは、 【図 1】を分析の際にも記載したように、プリキュア 5 が 1 つのチームとして立ち向かっ て行こうと強く決心していることを再度強調する。そしてこの 5 人の物語は、どうして自 らがプリキュアになったのかという原点を忘れずに夢を追い続けるという意思表示や再確 認として捉えることが出来る。
以上のオープニングの流れを総括するならば、冒頭ではバスを追いかけて乗り損ねそう になっていたのぞみだが、サビでは希望のプリキュア、キュアドリームになり巨大な敵に 立ち向かう。そして徐々に増えていった仲間達と力を合わせて全員で敵を倒す。つまりこ のオープニングは『Yes!プリキュア 5』のアニメ内容を総括してもいるのだ。
また、りん、うらら、こまち、かれんの 4 人とは対照的に描かれるのぞみが、走り出し て口癖の「けって〜い!」というポーズをすると画面に光が宿るのは、のぞみが決定する ことで、暗い世界が光り輝くように変化することを指す。そしてプリキュアとして戦って いると、他の 4 人がキュアドリームに同調するように同じ方向を向き、敵に立ち向かって いっていく。1 番劣っているとされているのぞみが、学園でも人気者の 4 人から、ついて いきたいと思われるリーダー的な存在、最も優位な存在に転換するのだ。つまり、抑圧さ れていたのぞみはプリキュアになることで認められ、対等な仲間、そしてプリキュアのリ ーダーとしてみんなを引っ張る存在となる。
つまり、オープニングのテーマは、のぞみのような自分の夢への不安を抱える者や、進 む方向が決まっていない者が感じるであろう、社会からの抑圧に対する共感を、4 人と比 べ 1 人だけバスに乗遅れそうになるシーン等からのぞみ目線で描き、その抑圧からの解放 の表象として巨大な敵、ナイトメアに仲間と力を合わせて立ち向かう姿が描かれている。 プリキュアとして戦いながら進むべき道を選ぼうと頑張るのぞみの姿を映すことで、視聴 者も勇気づけられ、この物語に希望を感じると共に、自らの生きる現実とこの物語をリン クさせることができるのではないだろうか。
プリキュアになることで、のぞみはやりたいことを見つけるために頑張るということを 自分で決め、最終的に夢も決まり、その結果なにもないという抑圧、苦しみから解放さ れ、プリキュアのリーダーという役割を果たしていくことになるという、この作品が要約 されたオープニングとなっている。
しかし、次作の『Yes!プリキュア 5GoGo!』のオープニングのアプローチは少し変化 している。続いて分析を続ける。
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初めに、『Yes!プリキュア 5GoGo!』のロゴタイトルと一緒に、画面に顔を向けたプ リキュア 5 の 5 人が画面左から右方向に流れるようにして映し出され、のぞみは中央で 「けって〜い!」のポーズをしている。【図 17】
『Yes!プリキュア 5』のオープニングで前に向かって走り出すことを決定したのぞみがプ リキュアのリーダーとして活躍していることを示す。
【図 17】
「みんなの応援が待ってる さあ進もう叫ぼう一緒に」の歌詞でキュアルージュ、キュア レモネード、キュアミント、キュアアクアの 4 人が画面左方向に向かって走りながら、正 面に向けて、つまり私たちに向けて手を振ったり目線を送り微笑んだりしている【図 18】。ここで言われる「みんなの応援」とは、視聴者達の応援ということであり、1 年間 放送された、『Yes!プリキュア 5』によって既に人気が獲得されていた今作であるため、 私たち視聴者からの応援に答えるようにアプローチをするプリキュア達が映し出される。 そして、「進もう叫ぼう一緒に」の歌詞により、さらに次の物語へ共に進んでいくとい う、プリキュアとの距離感がより近く感じられるシーンである。
【図 18】
そして「気持ちをひとつに」という歌詞で、『Yes!プリキュア 5GoGo!』から登場す るプリキュアの新たな仲間、美々野くるみの後ろ姿が映し出され、画面が彼女に近づく と、くるみの変身後、ミルキィローズの姿に変わり、こちらに微笑みかける【図 19】。す るとまた再び、「Yes!プリキュア 5GO! GO!」の歌詞でキュアドリームが登場し、正面 に向けて笑顔で決めポーズをすることでキュアドリームのコスチュームから光が放たれシ ーンが変わる【図 20】。
『Yes!プリキュア 5GoGo!』第 10 話「出た!⻘いバラの力!」にて、謎の少女戦士 として突如現れたミルキィローズであったが、その後、美々野くるみとしてサンクルミエ ール学園に転校してきた。彼女の正体は実はパルミエ王国の妖精であり、『Yes!プリキ ュア 5』の当時はココとナッツのお世話役見習いをしていたミルクであった。しかし「み んなを救う素敵なヒロインの正体は秘密」というお約束があるのだと、正体を隠してい た。やがてそのミルキィローズの正体も判明し、新たな仲間も増え、気持ちをひとつにし ていく意味が込められた歌詞と描写である。
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その後すぐにキュアドリームが現れる。先程のキュアドリーム以外のプリキュア 5 の 4 人は、左方向に走っていく姿を視聴者が追いかけているようにみえるのに対し、キュアド リームのみ正面からこちらに身体を向けている。このシーンではキュアドリームが私たち からの声援に答えるということに加え、私たちと同じ立場、あるいは同じ目線に居ること を表している。前作で、自分のやりたいことが見つけられないという悩みを持っていたの ぞみが、最後はプリキュアになって夢をみつけられたように、画面を挟んで応援している 私たちもプリキュアのような何者かになれる、そういった何者かになりたいという視聴者 の気持ちを、同じように悩みを抱えていながら進みたい道、夢を見つけたキュアドリーム が応援してくれている。つまり、キュアドリームがエネルギーを視聴者に与えているかの ような、まるで視聴者の応援に対して、閃光のエネルギーで応えるかのようなシーンにみ える。このことからキュアドリームと視聴者がより近く、そして応援し応援されるという 対等な関係になっていると捉えることができるのだ。
【図 19】
【図 20】
  続いてのぞみのコスチュームから光が放たれると場面が変わり「夢見てるつぼみはあき らめない」という歌詞で、画面左側を向きながら『Yes!プリキュア 5GoGo!』の変身ア イテムであるキュアモを見ながら歩くのぞみ、そして画面右に今作から登場の甘井シロー (シロップ)、次に前作から続けて登場のナッツ、小々田コージが現れる。そのコージが のぞみに目線を送るとのぞみが振り返って画面が変わる【図 21】。「たおれそうな時も信 じていこう」の歌詞でのぞみは画面右側に移動しているが身体は正面を向き、画面に向か って進んできている【図 22】。前作でのコージ(ココ)との出会いがのぞみのプリキュア としての物語の始まりであったこと、その出会いにより、プリキュアになって前に突き進 んでいくのぞみが示される。その左側には、りん、うらら、こまち、かれんが映し出さ れ、それぞれのイメージカラーの光る蝶がその周りを飛び回る。『Yes!プリキュア 5』の オープニングでは追いかけていたのに対し、ここでは光る蝶をひとりひとりが纏っている ようにみえる。
【図 21】     【図 22】
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この光る蝶は、自分の夢を追い続けたい、そして何かを守りたい、という彼女たちの強 い気持ちによってどこからともなく現れたと【図 2】にて解説したが、前作での戦いによ って成⻑したプリキュア 5 は、自分の夢を持つ者はその夢に向かってさらに自信をつけ、 夢が決まっていなかった者は自分のやりたいことについて考え、将来の夢を見つけること ができた。つまり、追いかけるから宿すへの描写の変化は、『Yes!プリキュア 5』にて強 い気持ちを追いかけ続けていたが、ひとつの戦いが終わったことで、強い想いをそれぞれ が宿すことができた、そして夢を追いかけ続けると決意し、物語は次のステップへ進もう とするように画面が切り替わる。
続いて「清らかなナミダひと粒」との歌詞で、『GoGo!』から登場する重要なキャラ クター、フローラが悲しげな顔で涙を流している姿で現れる【図 23】。「ほら朝露をほほ 笑みにかえて咲くのよバラは」で GoGo からの新たなモチーフ、薔薇と、薔薇園にいる 5 人の姿が描かれ、サビ前の合いの手「Yes!」でのぞみが持つ赤い薔薇に前作のモチーフ であった光る蝶が止まる【図 24】。
ここでは歌詞に合わせて、フローラの涙がおそらくのぞみが持っている薔薇の朝露に変 化している。そして「微笑みに変えて咲くのよバラは」で 5 人が描かれており、薔薇は 『GoGo!』のモチーフであることから、今作はフローラ、または他の誰かの悲しみを微 笑みに変えるプリキュア 5 の物語だということが伺える。また、【図 24】では、今作のモ チーフである薔薇に前作のモチーフである蝶が止まり、2 つのモチーフが同時に映ってい ることから、前作の経験を経て、新たな物語が始まるということが示されながら次のシー ンでサビが始まる。
【図 23】 【図 24】
サビではミルキィローズを加えた全員の変身シーンが順番に流れる。そして、「今あな たがわたしがめざす」という歌詞でのぞみたちの住む街が映し出され、画面中央にある太 陽によって光が差し込み、街全体が徐々に明るくなる【図 25】。『Yes!プリキュア 5』 のオープニング、【図 3】【図 4】でも同様の展開があったが、今回は元々暗く演出され ていたというよりも、徐々に光が差し込み、もっと街が明るくなる印象を受ける。また、 【図 3】【図 4】の背景はおそらく、のぞみ達の通うサンクルミエール学園だと思われる が、【図 25】ではのぞみ達の住む街になっており、学園を超えて、より広い世界を見渡し ているような感覚になる。ここでも『Yes!プリキュア 5』で宿した力を光に例え、今作で さらにその光が及ぶ範囲が拡大していく印象を与えられる。
【図 25】
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そして「未来があるからともに」の歌詞で、時計台にいる『GoGo!』から登場の美々 野くるみ(ミルク)と甘井シロー(シロップ)が映される【図 26】。画面が上に進む運動 によって、2 人を見下ろせる場所で、のぞみ、りん、うらら、こまち、かれん、そしてコ ージとナッツの 7 人がすぐ近くにいた事が分かる。シローが 7 人の方を振り向くと、「た どりついてみせる!」の歌詞で、シロップに向けて 7 人が笑顔を向けたり、手を振ったり している【図 27】。新たな仲間を加え、共に進んでいく事を、再度強調したシーンであ る。
また、『GoGo!』から登場しているシロップは、自分の過去の記憶を失っており、自 分の素性が分からないという不安を抱えていた。その為か、最初はのぞみ達に対してわざ と距離を置いているような態度であったが、彼女たちの気持ちの強さや優しさに触れ、 徐々に仲間としてみんなと共に過ごすようになっていく。登場時のシロップは、前作でや りたいことが見つからなかったのぞみと少し共通している部分があったのではないだろう か。のぞみが何者にもなれないのではないかと悩んでいるシーンは少ないものの、自分の 素性が分からない事と、自分の進むべき道が決まらないというのはどこか似ているように もみえる。そして【図 28】ではシロップに笑顔を向けたのぞみ達、つまりシロップ視点か らみた 7 人が映し出されている。これはのぞみ達が前作で夢を見つけ、その目標へ向かう にあたり、さらに自信をつけたように、シロップものぞみ達のような夢や目標にたどりつ くことができるのだ。というシロップへの応援と、シロップ自身の奮闘する想いが歌詞か ら読み取れる。
【図 26】
【図 28】
【図 27】
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「だってそれが永遠不滅」で新聞を読む、「ナイトメア」から「エターナル」へ転職し た敵、ブンビーの姿と新聞に取り上げられているキュアドリーム【図 29】、サンクルミエ ール学園の制服を着た学生のパソコンにキュアレモネードとキュアアクア【図 30】、学生 たちのもつスマホにキュアルージュ【図 31】、電車内の映像モニターにはキュアミントが 映し出される【図 32】。プリキュア 5 は、その活躍から徐々にメディアに取り上げられる 存在になっていき、それを一般市⺠が追ったり応援したりしている。前作のオープニング では、一般市⺠が描かれる場面は一切無く、あくまでプリキュア 5 が敵と戦い、困難に立 ち向かうのに対し、今作では新聞やパソコン等からプリキュア 5 の存在が注目のニュース として取り上げられてることが伺えるのだ。
また、【図 30】ではパソコンに付箋を貼り、調べているようにもみえる。このことから プリキュアは一般市⺠にとって、まだ謎の存在であり、研究する必要があるとされてい る。しかし、謎がありつつも【図 30】【図 31】ではサンクルミエール学園の制服を着た 女子学生達が、自分たちのパソコンでキュアレモネードやキュアアクア、携帯電話でキュ アルージュの動画や画像を開いているという点では、物語内でのプリキュアという存在は 有名で、流行りの存在である。そして、こうしたメディア上のプリキュアたちのイメージ を検索しているのは、その服装から判断するに主にのぞみ達と同世代の中学生女子たちで あり、こうした同年代若年層の女性に人気を獲得しているという設定が示されている。
【図 29】     【図 30】
   【図 31】
【図 32】
 「プリキュアよ」という歌詞で画面が切り替わり、ビルが建ち並ぶ都会の夜景をバック にして、プリキュア 5 がこちら側に視線を送る【図 33】。彼女達が街を守るヒーローのよ うにみえるシーンである。先程の【図 29】〜【図 32】では、メディアに取り上げられ、 世間に追いかけられる存在のようにみえたプリキュア 5 だったが、今度はオーディエンス に視線を向け、アプローチをしている。そして、カメラワークも下から上に上がっていく アングルになり、この上昇運動がプリキュア 5 が現れたことで生じる高揚感を煽る。ま た、「だってそれが 永遠不滅 プリキュアよ」の歌詞ではほかと比較すると全体的に、画 面の切り替わりがとても早くなり、左右の動きも加わって、まるでプリキュア達が素早く 動いているように感じられる。こうして映像自体の動きを早くすることで、視聴する私た
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ちもプリキュア 5 を見逃さないように画面にいるプリキュアを追いかける為、目が離せな くなり、作品内だけでなく、視聴者にとっても応援したい存在になっていくのだ。
【図 33】
しかし、次の「大胆不敵 フル・スロットル」の歌詞では、素顔はよく見えないものの、 マントを被った謎の男がパルミエ王国を囲む 4 つの王国の国王と王女達を球体に閉じ込 め、悪巧みをしているようにみえる【図 34】。明らかに敵にみえるその男に向かっていく ように、「限界なんてない ぜったい」でボロボロになりながらもキュアドリームを先頭に プリキュア 5 が走っていく。その先には、本来はこの敵らしき男がいるはずなのだが、彼 女らの走る先、画面左側からは光が放たれており、その光が強まり、キュアドリームたち を白い光で包み込む【図 35】。
【図 34】 【図 35】
本来倒すべき敵ではなく、光の閃光に転換することは、プリキュア 5 の目的が敵を倒す ことよりも、傷ついた仲間たるココを含む国王たちを救うことに主眼があることを示して いるのではないか。そこには、この作品が提示しようとしていることが、敵の排除ではな く仲間の絆であることが示される。
そして、「YES!GO!GO!行くよ、女の子!」で、視聴者が下から見上げるようなア ングルで空が映し出され、プリキュア 5 がこちらに視線を送りながらそれぞれ天から降り 立つようにやってくる【図 36】。
【図 36】
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ここでは「行くよ、女の子」という歌詞が使われているが、前作のオープニングには今 作と同様に「翔べるよがんばる女の子」、つまりどちらも「女の子」の歌詞が書かれてい る。これらの歌詞は、女の子の視聴者、主に少女または女児を鼓舞している表現であり、 主にメイン視聴者の女児に向けて発信されているのだろう。しかし、前作では「翔べるよ がんばる女の子」に合わせ敵に立ち向かいながら翔んでいく姿のプリキュア 5【図 18?】 を写している為、ここで言われている女の子はプリキュア 5 のことであり、私たちは翔ん でいくことができるという、プリキュア 5 の自らへの鼓舞だと思われる。それに対し今作 の「行くよ、女の子」のシーンは、視聴者に視線を送り、上から下、こちら側へプリキュ アがやってくる。これは変身という現実離れした遠い存在とも思われかねないプリキュア を身近に感じさせるアプローチではないかと考えられる。つまり「行くよ、女の子」の歌 詞は、前作同様にプリキュア 5 が自らを鼓舞するものではなく、多種多様な聞き手、すな わち視聴者に向けて「行くよ」と問いかけているのではないだろうか。
そして最後に、「Yes!プリキュア 5GO!GO!」という歌詞でタイトル名を強調し、 プリキュア 5 とミルキィローズ、加えてはココ、ナッツ、シロップ、ミルクの全員が画面 に対して目線を送り決めポーズを取る【図 37】。
【図 37】
『Yes!プリキュア 5』のオープニングでも最後はプリキュア 5 が画面に向けてポーズを 決めていた。それから『Yes!プリキュア 5GoGo!』として新たな物語に進み、仲間も増 えたが、前作の困難を乗り越え、それを踏まえての新たな物語が今作なのだということが 感じられる。
『Yes!プリキュア 5』のオープニングでは、のぞみ達がプリキュアとして戦う物語の始 まりや、プリキュアとなって悪に立ち向かう姿が描かれていたが、『Yes!プリキュア 5GoGo!』では既に前編が放映済みなので、ここでは、物語は次のステップに進み、新た な仲間、ミルキィローズやシロップ達も加え、さらに豪華に演出された。前作からの成⻑ を描きつつ、これまで、そしてこれからの応援に答えるプリキュア達を映し出し、それを 踏まえて視聴者がさらに積極的に応援できるようなアプローチをしていた。つまり、この 2 つのオープニングは、視聴者との繋がりを身近に感じさせるようなアプローチの変化と 共に、今まで見守っていた少女達の成⻑、そして応援する我々の心の変化も表しているの だ。
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2-3.視聴者の受け取り方
5 シリーズのオープニングを比較することで、我々視聴者とより身近になり、プリキュア が応援する対象に変化していくことを述べた。このアプローチの変化は、私たちの応援が プリキュアに届いているようにも感じられ、まるでコミュニケーションを取っているよう である。その結果、視聴者は以前よりプリキュアを一層応援したくなり、もっと手を振っ たり、ウィンクをしたりして欲しいと、徐々にファンサービスを求めるようになっていく のだ。しかしこのように、オーディエンスに向けてのアピールをプリキュアに求めるとい うのは、アイドルとファンの関係のようでもある。こうして、抑圧に抗うプリキュアを描 くよりも我々視聴者へのアプローチが増えるということにより、視聴者は困難に立ち向か い、苦しみを乗り越えるプリキュアを応援することよりも、こちらに向けてくれる笑顔を 応援する形に変わっていく。その結果、プリキュアの物語からみえる困難は見えづらくな り、悩みを抱える少女達がそれに抗おうとする強い気持ちで変身の能力を手に入れたり、 敵に立ち向かい奮闘したりする姿を見て、少女達の変身やアプローチに可愛さを求めてし まうようになっていく。つまり視聴者は少女達の行動を受けて応援するのではなく、少女 達を応援すること自体が目的になってしまい、その結果、プリキュアを応援する対象に収 めてしまっているのではないだろうか。
近年では、バーチャルライブや出演声優のイベントを行い、多様なアプローチを踏まえ、 アニメ視聴者はイベントにも興味を持ち、足を運ぶようになっていく。それにより『プリ キュア』作品に没頭する時間も増え、アニメ視聴だけでなくイベント会場にも熱狂的なフ ァンが集まるのだろう。視聴者は、こうしたファンサービスによって、以前よりも作品へ の愛情を発信する機会が増えることから、作品のみならず、プリキュア達との距離が近く なったと感じられるかもしれない。しかし、プリキュアがオーディエンスを意識し、コミ ュニケーションが増えるほど、プリキュアに対する憧れや、プリキュアになりたいと思い、 目指す気持ちが希薄になってしまう可能性も考えられる。そこにおいて、物語を受け止め る視聴者とプリキュアとの距離感は本当に近くなったと言い切れるのだろうか。
とはいえ、筆者はプリキュアの着ぐるみグリーティングやバーチャルライブに対して以 前は興味がありつつも先述の理由から肯定的な意見を持ち合わせてはいなかった。しかし、 アニメを通して成⻑を見てきたキャラクター達が私達に向けて手を振り、キャラクターと のコミュニケーションが生まれるというのは、まるでアニメと現実がリンクし、アニメを 視聴しながら「プリキュアも頑張ってるから頑張ろう」と我々に勇気を与えてくれたキャ ラクター達が同じ世界に生き、同じ時間を共有しているようでもあった。それによって所 詮着ぐるみ、所詮映像と分かっていながらも、私達がプリキュアの奮闘を見てきたように、 プリキュア達も私達を見てくれているという感覚になるのかもしれない。やはり好きなキ ャラクターにアプローチをして欲しいという気持ちは誰もが持っており、それが馴染みの あるアニメーションからではなくとも、実際にファンサービスを受ける事は喜ばしいとい うことだろう。
また、これらの問いは前節の変身シーンの変遷において見出された『フレッシュプリキ ュア!』以降の変化、カメラ目線の目くばせを通じたメイクアップの推奨を旨とする変身 シーンの演出の変化と通じ合っている。こうした変化は、エンディングおよびオープニン グを分析することで、まさに『プリキュア 5』と『プリキュア 5GoGo!』との間での変化 としても見出されるのだ。そしてこの変化は、抑圧に抗うプリキュアたちという物語の根 本的な設定が示唆するもの、この物語が現実の私たちの社会とも影響し合いつつ示してい る暗い部分から、視聴者の視線を逸らしてしまう結果ももたらしているかもしれない。次
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節以降では、まずは日本社会において女性が置かれる立場という観点から、現実の社会問 題と『プリキュア』シリーズとの関連を考察し、次章以降は特に男性登場人物たちにフォ ーカスするかたちで、同様の問題を考えていきたい。
2-4.女帝デスパライアの老いへの恐怖
『Yes!プリキュア 5』にてナイトメアを支配、そしてパルミエ王国を滅ぼした元凶の正 体はデスパライアという女性であった。彼女の目的は、ドリームコレットの何でも願いを ひとつ叶えるという力により、永遠の命を手に入れるということだった。そして世界を絶 望に染め、自らが支配することを目的としていた。彼女はこれまでプリキュア 5 と対峙し てきたナイトメア組織のボスであり、その部下達から恐れられる程に強大な力を持ってい ることが伺える。第 39 話「恐怖!デスパライア現る」にてのぞみとココの前に登場し、そ の際にプリキュア 5 と戦う。一時はその強大な力によって 5 人を追い詰めるが、キュアド リームとココの夢を諦めない心、そしてプリキュア 5 の希望の力の大きさに驚き、ナイトメアに逃げ帰るようにして戻っていった。そもそもこのシーンでのデスパライアは本気を 出して戦っているようには見えず、あくまでプリキュアという存在がどのようなものかを 自ら視察しに来た様であった9。おそらく彼女が以前からプリキュア 5 の前に現れ必死に戦 っていたら、ナイトメアという組織をしっかり総統していたら、プリキュア 5 は負けてし まっていた可能性すらある。つまりプリキュアを倒すことも出来たのだ。
その後、第 47 話「ドリームコレットを取り戻せ!」にてデスパライアは、ナイトメアの 社員であり、直属の男性部下であるカワリーノに命じてプリキュア 5 をおびき寄せ、コロ ッセオで再度、彼女たちと対峙することとなる。そしてついにピンキーが完全に補充され たドリームコレットを奪い取り、デスパライアは自らの願いを唱え、永遠の力を手に入れ てしまった。しかし、それでも絶望しないプリキュア 5 にデスパライアはさらにコワイナ ーを使って攻撃を仕掛けるが、彼女たちは決して諦めない。希望の力で立ち向かってくる プリキュアの強さに「お前たちは怖くないのか?老いることが怖くないのか?力が衰える のが怖くないのか?」と怯えたように話す。すると、キュアドリームはデスパライアに近 づき、話を聞くために変身を解き、対話する。

のぞみ:私もあなたも同じだと思う。だから話したいの。

デスパライア:同じではない!

のぞみ:でも怖かったり不安だったりするんでしょ?みんなと同じようにあなたも心
を持っているからだよ。

デスパライアは戶惑う。その影響か、のぞみの問いかけによって絶望の力が弱まり、先程 まで戦っていた周りのコワイナーが次々消えていく。それを見たデスパライアは、以下の ように話す。
9 東映アニメーション,『Yes!プリキュア 5』公式サイト,各話あらすじ, 第 39 話「恐怖!デ スパライア現る」, https://www.toei-anim.co.jp/tv/yes_precure5/episode/summary/39/ (閲覧 2023.12.17).
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デスパライア:お前はどんな時も決して諦めず、希望を持ち続けている。怖いと思っ たことはないのか?

のぞみ:怖いよ。今も怖いと思ってる。でも平気だもん!

のぞみは、この台詞とともに、デスパライアに笑いかける。 変身を解いたのぞみをみたルージュ、レモネード、ミント、アクアは、ドリームに続いて変身を解く。そんなプリキュア 5 の仲間がいるからこそ、のぞみは恐れを斥け希望を持 てるということをデスパライアは知る。
そして、「一緒に話そうよ」と言いながらのぞみは手を差し伸べた。その行動によって、 「この者達の話をもっと聞きたい」とデスパライアの気持ちに変化が見られ、仲間であっ たカワリーノの攻撃からのぞみを守り、「どうすれば希望を持てるのか知りたいのだ」と 言う。しかしその時、以前倒されたはずのナイトメアの男性社員ブラッディが奈落の底か ら現れカワリーノを闇の中へ引きずり込み、コロッセオは崩壊を始める。彼女の絶望の力 が暴走し始めたのだ。自らの力を抑えきれない事態にデスパライアは驚くが、のぞみ達に 提案をする。

デスパライア:頼みがある。お前達の力で私ごとこの世界を封印してくれ。
のぞみ:だめだよ!そんな事したらあなたが...! デスパライア:このままでは私の力が全ての世界を消してしまう。
のぞみ:でも...
デスパライア:私の最後の願いだ。頼む。
のぞみ:...わかった!
プリキュア 5 はデスパライアの最後の願いを叶えるため再度変身する。 デスパライアはココ達パルミエ王国の妖精達の前に現れ、使用してしまったドリームコ レットを渡し、「すまなかった」と謝罪した。そして自分を封印し、絶望の力を止めてく
れたプリキュア 5 に「感謝する」と述べながら微笑み、封印つまりは消滅したのだった。
デスパライアは老いに対して異常な恐怖心を持っているためか、物語終盤以外に、カワ リーノ以外と会話をするシーンはほとんどない。さらに常に仮面をつけ、部下の前にもあ まり姿を表さずに働かせていた。この仮面は、デスパライアが見た目に左右され、老いて 醜くなることを隠したいという気持ちの象徴ではないだろうか。彼女は組織のボスとして 部下を従える程に力が強く、優れていると思われるのに、その部下にすら老いていると思 われたくないのだ。しかし、なぜデスパライアはここまで老いを恐れているのかという理 由は作品内では一切描かれない。なぜ老いが怖いのか。彼女を追い詰めた老いによる辛さ とは何か。デスパライアは何でも願いが叶うというドリームコレットになぜ永遠の命とい う願いを求めたのか。これらの問いについて考えると、デスパライアは自身の顔が醜いと 感じ、悩みを抱えているのではないだろうかと捉えることが出来る。
また、たとえば精神・神経科医の白波瀬丈一郎は「美容外科を希望する人々は、一般的 な美意識をもっているが、自分は醜いと劣等感をもっており、自己評価は低い」と述べて いる。自己へのコンプレックスから永遠の美を求めてしまうという心理があることになる
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10。デスパライアの望んだ永遠の命によって若さを取り戻す姿は、現代で言えばこの美容 整形にまつわる欲望に近いものだろう。また、この引用のように、老いる劣等感やコンプ レックスを抱えてしまうと、自分の能力すらも低く評価してしまうことがなされると論じ られることは極めて多い。その為か、デスパライアはドリームコレットの力で美容整形の ような変身を遂げ、美しい姿になっても、怯え苦しむ姿が描かれた。
しかし、そんなデスパライアを見たキュアドリームの行動は、変身を解いて話を聞く、 ということだった。当然変身を解いてしまうとプリキュアとしてのパワーは失われ戦闘す ることも出来ず、攻撃されたら自らを守ることもできなくなる。それを分かっていなが ら、のぞみは普通の女の子の姿でデスパライアに近づいたのだった。のぞみが変身を解い た意味とは一体どういうことなのだろうか。そのままの意味で受け取るならば、まず戦闘 するつもりはなく話がしたいということを伝える振舞いである。しかしそれに加えて、プ リキュアになれるのぞみも普通の人間であり、成⻑し続け、いつか老いるということ、未 来に進むことが怖いと感じてしまう時もあり、同じ不安を持っているのだと身をもって示 したのだ。のぞみのその行動により、りん、うらら、こまち、かれんもデスパライアの苦 しみを理解しようと変身を解き、彼女に近づいた。おそらくこのように、プリキュア 5 が 変身を解くということがデスパライアにとって意味があったことなのだ。
プリキュアになった少女達は、何かを守りたい、助けたいという想いから敵と戦うこと を覚悟してプリキュアになっていったが、そんなプリキュア 5 の 5 人も不安を感じ自信を 無くす場面は何度かあった。特にのぞみは、この時点ではまだ将来の夢が決まっておら ず、もしかすると未来が迫ってくるという漠然とした恐怖を抱えていたかもしれない。だ からこそデスパライアの苦悩にいち早く気づいたのではないだろうか。しかし、そういっ た気持ちに打ち勝つ為に、変身したい、戦う力がほしいと自ら願いプリキュアとして戦う ことで真の強さを手に入れていったのだ。そのプリキュア 5 がデスパライアと話すために 変身を解くというのは、のぞみ達も弱い自分を払拭したいという願いによりプリキュアの 力を手に入れられたように、デスパライアも力が衰えていく恐怖に打ち勝つために永遠の 命を手に入れたいと願うことは同じことであり、その想いは肯定できるということではな いだろうか。
また、変身というメイクアップを行うプリキュアが普通の女の子、ありのままの姿を晒 すことは、デスパライアに置き換えれば彼女がずっと付けていた仮面を取るような行為で ある。デスパライアが永遠の命を授かる前までは自分でとることができなかった仮面、そ れはまるで恐怖による抑圧の象徴のようであり呪いであった。ドリームコレットの力、永 遠の命によってその仮面は崩壊し外れたものの、おそらくデスパライアの心にはまだその 呪いが消えてはいなかったのだ。キュアドリームが変身を解いてのぞみの姿を晒すこと は、のぞみなりにデスパライアと同じ目線で苦悩を共有するためだろう。それによりデス パライアは、自分が出来なかったことをのぞみが勇気を出して行ったという事実に驚きつ つも興味を持ち、対話を続けた。つまり、プリキュアが変身を解くという行為は、結果的 にデスパライアの苦悩の象徴であった仮面を外したということなのだ。決してココ達パル ミエ王国の住人を傷つけたことは許されないが、その苦悩は理解したいということをデス パライアに伝えたのであった。
10 白波瀬 丈一郎「美と思春期̶̶身体装飾および自傷という視点から」, 『こころの科 学』第 117 号, 2004 年, 14-18 頁.
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そしてデスパライアは最終的に、暴走してしまった絶望の力を抑え込む為に、プリキュ アに自らの封印を願う。この封印という形で物語から排除されるという点では、これまで の罪とその責任を引き受けざるを得なかったという悲しい結末にも思えるが、それを自ら の意思で決めることで、プリキュア 5 に倒されるのではなく、自分で未来を決めることが 出来たデスパライアは苦悩から救われたとも考えられる。そして、「私もあなたも同じだ と思う」と言ったキュアドリームに希望を持ち未来を託したのだった。しかしそれでも、 老いをいかに受け入れるかという問題は、やはり解決はしていない。この点に関しては、 他の敵キャラくターの末路も踏まえた上で、第 4 章第 3 節にて再考する。
2-5.育児の強制
近年ではジェンダー平等の考えから男性の育児休暇を取れる会社も増え、育児は女性が やるものという固定観念を払拭するための制度も作られているようだが、まだまだ完全に 払拭しきれてはおらず、やはり多くの育児は女性が主体で行われているのではないだろう か。
『Yes!プリキュア 5』『Yes!プリキュア 5GoGo!』には、お世話の側面は歴代プリキ ュアシリーズに比べると少ないようにみえるが、『Yes!プリキュア 5GoGo!』にて、妖 精の王や女王を保護するという形で、寝かせる、食べものを食べさせるという多少のお世 話の要素がある。妖精といっても王国を背負う者である為、意思疎通もしっかりでき、そ のお世話の内容は育児とは全く別物にも思える。
しかし、歴代『プリキュア』シリーズをみてみると、まるで育児の苦しみを表象してい るかのような場面が多数存在していた。育児の苦しみを表象していることについて、6 作 目 2009 年放送開始の『フレッシュプリキュア!』、15 作目 2018 年放送開始の『HUG っ と!プリキュア』、20 作目 2023 年放送開始、そして現在も放送中の『ひろがるスカイ!プリ キュア』の三作品から考えていく。
まず、『フレッシュプリキュア!』だが、この作品における育児の対象はプリキュアを 求めてタルトという妖精と共にスウィーツ王国から主人公、桃園ラブが住んでいる四つ葉 町にやってきた赤ん坊の妖精、シフォンである。タルトの性別は男性であるが、シフォン の保護者のような役割を持つ。しかし、キュアピーチに変身することができる桃園ラブに シフォンの育児を託すようになっていく。だが当然、まだ子供である女子中学生のラブが 育児を行うのは難しく困惑する。『少女と魔法 ガールズヒーローはいかに受容されたの か』では、『フレッシュプリキュア!』第 8 話「シフォン大ピンチ! ピーチの新しい 力!!」の子育ての表象について、取り挙げられた。この第 8 話では、キュアビタンとい うシフォンが飲む、人間にとってのミルクのような飲み物が切れてしまい、代用品をラブ が用意したもののシフォンは受け付けない。泣き出すシフォンにラブが落胆し、シフォン とタルトを置いたまま、元々仲間と約束していたダンスの練習に出かけてしまう。このこ とについて、須川は「新米母親が、頼る人もなく孤独のうちに子育てに奮戦し、やがて育 児放棄することの表象である」、「父親や頼るべき肉親が不在の、孤独な若い母親による 育児の困惑の表象であるといえるだろう」と指摘する11。ラブは自分の子供ではない異界 からやってきたシフォンの育児をすんなり受け入れ奮闘しつつも、上手くいかなかった。 そして育児よりも自分のやりたいこと、今やるべきことを優先するのである。しかし、シ
11 須川『少女と魔法 ガールズヒーローはいかに受容されたのか』,247 頁. 26

フォンの事が気がかりでダンスの練習に全く集中できなかったラブはダンス仲間でもあり 共にプリキュアとして戦ってもいる美希、祈里と共にキュアビタンを作り直そうと試み る。こうしてラブ達が 3 人で奮闘していたところに、敵がやってきてしまう。その戦闘中 にラブは、自分の育児に対する無力さに涙を流し、シフォンに謝る。その姿にシフォン は、ラブがキュアビタンの代わりに作ったミルクを飲み、笑顔を見せる。このことについ ても「シフォンがラブの奮闘を理解した瞬間、額が光り、新しい力(キュアスティックビー チロッド)をキュアピーチに授ける結果となっている。つまり、母子の信頼の構築が、少女 のパワーアップとして表象されているのである」と指摘した12。ラブの奮闘によって、シ フォンが成⻑した。そしてラブの変身後、キュアピーチにも新しい力が与えられ、母子共 に成⻑したという結末になっているのだ。未熟なラブが育児を克服するストーリーにな り、目の前の難しい問題に、奮闘し諦めず頑張る姿は視聴者に勇気を与える。しかし、こ の第 8 話では同じ国からやってきたタルトは、どうすればキュアビタンが作れるのかをラ ブ達に教えるのみであり、育児には加わらない。また、冒頭ではラブの奮闘メインで描か れる為、女性が孤独に育児をするという刷り込みがより強調されてしまってるようにもみ える。また、ラブの奮闘と苦悩の解決が諦めない気持ちと、シフォンがラブの頑張りに気 づき、ラブが作ったミルクを飲むという意思疎通である。しかし、まだ言葉を話すことが できないシフォンはおそらく乳児くらいだと推定することができる。世間一般の乳児に言 葉は通じることは少なく、母親の奮闘を理解すると思わせる行動をするというのも現実的 ではない。つまり、諦めず頑張るしかないという育児の限界を提示した上で、その問題を 母と子の意思疎通という現実には難しいと思われる解決方法で補う形になっているのだ。 しかし、奮闘し続けることでその意思疎通は段々と可能なものになっていくのも事実であ る。
そして、育児による母との子の意思疎通については、『プリキュア』シリーズの玩具か らも伺える。
『フレッシュプリキュア!』からは『シフォン お世話になります♪』13、15 作目 『HUG っと! プリキュア』からは『お世話たっぷり おしゃべりはぐたん』14、20 作目 『ひろがるスカイ!プリキュア』からは『だっこしておせわして プリンセスエルちゃん』15 が発売されている。モデルになっているシフォン、はぐたん、エルは全て育児が必要とさ れる妖精の赤ん坊キャラクターであり、主人公達がお世話をする、つまり親代わりをする ことになる。それを音声付きぬいぐるみとして売り出し、お世話すると言葉を話すように なるというものだ。例として、『お世話たっぷり おしゃべりはぐたん』の CM では、「は ぐたんのママになりました!」というナレーションに合わせ、小学生くらいの幼い少女 が、このはぐたんのぬいぐるみにミルクをあげるなどのお世話をする。その影響によっ
12 須川『少女と魔法 ガールズヒーローはいかに受容されたのか』,247 頁.
13 バンダイ公式サイト,「シフォン お世話になります♪ 」商品情報,https://www.bandai.co. jp/catalog/item.php?jan_cd=4543112561541000(閲覧 2023.12.17). 14バンダイ公式サイト,「 HUGっと!プリキュア お世話たっぷり おしゃべりはぐた ん」,商品情報,https://precure.channel.or.jp/hug/goods/details.php?detail=454966017603 9000(閲覧 2023.12.17).
15 バンダイ公式サイト,「だっこしておせわして プリンセスエルちゃん」,プリキュアおも ちゃウェブ, https://toy.bandai.co.jp/series/precure/item/detail/13008/(閲覧 2023.12.1 7).
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て、はぐたんは、「まま ちゅき〜♡」と喜び、お世話への返答をするのだ。つまり、アニ メでは異界からやってきた妖精の赤ん坊という設定が、ぬいぐるみを購入することで、持 ち主にとって、私だけの赤ん坊という存在になる。そして私だけの赤ん坊には私からの母 性が必要とされ、持ち主がお世話をすることによって育児のやりがいを分かりやすく表現 する仕組みになっている。シフォン、エルのぬいぐるみの CM でも同様に、幼い少女がミ ルクをあげ、遊んであげるとシフォンは「だいすきー!」と言い、エルも話す単語が増え るようになる。こうして幼い少女が育児をする CM により、女児達はそのぬいぐるみを求 める。そして自身のお世話によって赤ん坊の返答が聞けるということで、作品内では、異 界の妖精であり、その親代わりという立場であったのに、それがまるで自分の子供のよう に感じるという矛盾も生まれる。これは商品を売り出すための手段と同時に、異界の赤ん 坊も我が子のように育てましょう、困っている子供は救いましょうという子育ての助け合 いを提示と、母と子の意思疎通ができるようになったという育児のやりがいを感じさせ る。これにより、アニメ内で主人公達が奮闘する姿を描き、育児の難しさを教えつつ、泣 いたらあやす、ミルクをあげるなど、女児達が将来自分自身の子供を産んだ時の練習にも なっているのだ。
しかし、はぐたんとエルが登場する『HUG っと!プリキュア』『ひろがるスカイ!プリ キュア』ではハムスター型の妖精、ハリハム・ハリー16と鳥型の妖精、夕凪ツバサ17が登場 し、近年では男女で協力する側面も増えた。『フレッシュプリキュア!』のタルトはフェ レット型の妖精であり、人間の姿に変身できないが、ハリーとツバサは人間の姿に変身で きるのだ。ハリーのキャラクター紹介のページには、「人間体に変身するとものすごいイ ケメン(イクメン)に!」とあり、アニメ内では抱っこ紐をつけ、はぐたんの育児を進ん で行う。ツバサもエルをだっこしたり共に遊んだりするシーンが多い。このように妖精が 人間の男性に変わり、育児をするという表現が加わることで、男女で協力していく育児を 強調するようになってきている。それにより、育児を女性のみに課す固定概念の払拭への 第一歩と、男性は育児ができない訳では無いという、男性の育児能力の証明にもなってい ると思われる。しかし、奇しくも玩具の CM の方ではその変化がほとんど反映されていな い。⻑年に渡り『プリキュア』作品の玩具広告は、その玩具で遊ぶ演者に小学生程度の少 女を起用し続けている。つまり、作品内では多様化が進んでいるが、CM ではその多様化 は表現されていないのである。これはまるで、育児の疑似体験ができる玩具の販売対象を 女児とし、少女たちが喜んで育児をするように洗脳しているようだとも感じとれる。歴代 『プリキュア』シリーズのアニメ内容と玩具広告とのギャップによって、男性が育児をす るという活躍の面も目立つようになったが、「育児は女性がやるもの」という固定観念を 払拭しきれていない現状も同時に可視化され、女性が苦しめられてきた実状も連想され る。要するに、アニメ制作陣は物語とキャラクター性を通して多様性を描いたが、玩具を 販売する企業側はその描かれた多様性を重んじることなく、商品広告を打ち出したと考え られるのである。
16東映アニメーション,『HUGっと!プリキュア 』公式サイト, キャラクター,「ハリハ ム・ハリー」 , https://www.toei-anim.co.jp/tv/hugtto_precure/character/chara05.php(閲 覧 2023.12.17).
17 東映アニメーション,『ひろがるスカイ!プリキュア』公式サイト,キャラクター,「キュ アウィング / 夕凪 ツバサ 」,https://www.toei-anim.co.jp/tv/precure/character/chara4.ph p(閲覧 2023.12.17).
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