日記 9/29 犯罪都市
映画「犯罪都市」シリーズの新作が先週公開された。
わたしはぜんぜん未見のタイトルで、映画館の予告で一度目にした。韓国映画。これはなんだかおもしろそうだな~と思って、あとで調べると今回のは四作目であるらしい。まあ、一作目を試しに観てみるかとサブスクでレンタルした。
それがもう、すごくって、悪役がめっちゃ悪で、血なまぐさくて、人がそれはそれはバッタバッタ死ぬ。そこに登場するはマ・ドンソク演じるマ・ソクト刑事。体格は熊のようで強面で、別の映画ならば悪役然としているところを、ダーティな刑事を演じて魅力的だ。タイマン最強の彼を翻弄するみたいに悪役グループは悪事を続ける。しかし一人また一人とマ・ソクトによって掣肘を加えられ、残るはラスボス。舞台は空港の便所。高跳びしようとする悪役を、マ・ソクトは単身で追い詰める。
悪役が訊く。「一人か?」
マ・ソクトが答える。「独身だ」
この場面が本当に良くて、シリアスな場面でもユーモアを欠かさない主人公のかっこよさに何度もリピート再生した。ユーモアはヒーローに欠かせない魅力の一つだ。
便所内での攻防は、悪役を叩きのめす最高の余韻をもたらしてくれる。敵が凶悪であればあるほど、それが制裁されるカタルシスは半端ない。へんに敵にも悲しい過去が……、なんていういま流行りのやつはいらないんだよ。ヴィランはヴィランとして泣き言を言わず悪そのものであってほしい。「犯罪都市」にあってはどの犯人も同情の余地のない屑なので、思う存分マ・ソクトの怒りの鉄拳を味わえるのだ。
たぶん、時代劇とかと同じなのだと思う。水戸黄門。わたしが子供のころに、学校から帰ったら再放送でよくやってた。ひまなとき、ぽつりぽつりと観ていた。どんな話だったか憶えているのは一個もないけれど、きっと、理念は一緒だと思う。悪代官の因業に対して、正義の味方の水戸黄門一味が敵に剣戟、最後はご紋を見せてめでたしめでたし。必ずハッピーエンドになる。
世の中に出たら、いやなことはいっぱいある。煮え湯を飲まされる経験。長い者に巻かれなければいけない屈辱。なにをやっても打ちのめされる自分自身。ろくでもない毎日。
しかし、物語のなかだと違う。好き放題やっている悪役が、正義の名のもとにきちんと成敗される。現実ではちゃんちゃらありえない。だからこそ、フィクションに、物語に、わたしは求めているのだ。その気持ちに古いも新しいもない。水戸黄門がシリーズ終了してしまっても、同じような型の物語は出続ける。勧善懲悪をくだらない慰めだと嘲笑うのはたやすい。たやすいけれど、そこに先はない。水戸黄門が、犯罪都市が、終わってもなお現実のわたしの生活は続く。ならばせめて、観終わった後、肩で風切って歩く気分にしてくれる物語のほうが、よっぽどわたしは好きだ。わたしは「犯罪都市」が大好きだ。
続けてシリーズ二作目と三作目を観た。2は前作より狡猾な悪役で、いよいよマ・ソクトとのタイマンになった場面ではぶち殺せ! と大声を出していた。3は日本のヤクザが出てくるのですこし親近感がわいた。日本刀で暴れる悪役もかっこういい。ラスボスも1,2とは違うまともな肩書の人物で、悪役それぞれのテイストがぜんぜん違うので、観ていて飽きない。結局は主人公が勝つ。そんなことは知っている。そうじゃなきゃ困るんだよ。主人公は勝つだろうけれども、それまでの艱難辛苦、そして悪役の悪のグラデーションが大切なのだ。
シリーズ1から3まで観て、やっぱりわたしは1がいちばん好きだ。何よりも便所でのラストバトル。便所で戦う映画って名作しかないんだよね。わたしはこれ以外に、ミッションインポッシブル6しか知らないけれど。汚い場所で辺り構わず戦うシチュエーションに間違いはない。
今回の犯罪都市四作目は、サイバー犯罪をテーマにしているらしい。変化をたくさんつけてきてくれて嬉しい。まあどんなにデジタルだろうと、最後はアナログなマ・ソクトの一振りの鉄拳が物語を終わらせるのだろうけれど、結末がわかっていても楽しみでならない。「犯罪都市」は6まで構想があるらしい。まだふたつ残っている。ねぇ、映画ってのは楽しいな。ヒューマンドラマもいい。ラブストーリーもいい。不条理なミステリもいい。SFもいい。アメコミもいい。純映画とでも呼ぶべき難解なものもいい。いいけれど、私がもし、人生最後に観る映画を選ぶなら、勧善懲悪の、正しい者が悪を完膚なきまでにぶち殺す、「犯罪都市」みたいな映画がいい。