悔しいを探せ!『日記:2024.2.26』
24年間生きてきて、初めて向上心を知った日。
初めて、自分は出来ない人間だなと悔やんだ。こんなことが出来ないようじゃ何も出来ないぞ、と必要以上に自分を責めた。
だが1年前よりは確実に出来ているものが増えた。1年前に出来ないと思っていたことが出来るようになっている。でも1年経ってまた出来ないものが増える。
これが向上心という感情に近付く1歩なのかと学んだ1日であった。
成長出来た自分は、努力と思いながら1年過ごしていなかったから「努力の結果」ではなく「なんか出来るようになったな」のような見えないハードルを適当に越えたような感覚だった。
私が唯一努力したと思える中学受験も、塾の先生から課せられた教材のページ数だけこなしただけだった。だから何も努力をしている気がしなかったし、母に聞けば、知識が増えたことや問題を解けたことを楽しそうにしていた、と話していた。
そんな時に向上心なんて生まれるわけも無かった。目標設定が上手く、私が届く範囲の高校に進学しただけだ、とも思ったりした。
私はいつでも他者評価は低い。
だから今回が初めてだった。
自分はもっともっと成長しなくては、と、自分の未知の部分に対して悔しい気持ちを持つようになった。
それから私は、「悔しい」とは何かを考え始めた。
人生において、悔しいとは何なのだろう。
悔しいという感情を生み出した事がなかった。ひとりっ子なので、何かしらの取り合いが生活に組み込まれることも無いし、運動や勉強など、順位が付けられるものに興味が無かった。
何があっても「まあいいか」と思いながら生活していたし、怒られる家庭でも無かった。
楽しくやれる方に、ただただ進んでいるだけだった。
でもそんなものかと捉えているだけで、努力をするのが面倒なだけで、悔しい!と思ったことは割とあるのではないか。
だから敢えて、悔しい!と思った出来事を書き出してみようと思う。
・バスを待っている時に謎に横入りされた
・次来たら買おうと思っていた物が売り切れていた
・好きな歌手のチケットが転売されていた
・数秒前に思い付いたことなのに、メモしなくても覚えていられるかなと思ったら忘れた
書き出してみたら、あまり悔しくない。やっぱり私の身体には「悔しい」が組み込まれていないみたいだった。
コンクールで私以外の誰かの作品が受賞作品に載っていた時も「まあ私の出来が悪かったんだろうな」と思うし、自信があったものは「見る目無いなー」と思う。
悔しいが欠けていると、向上心に繋がることが少ない。コンクールしか手が無い私にとっては、もっと頑張らねばと思うには自分自身での鼓舞が必要になる。
悔しい!
常に心に刻んで、自分の作品の向上を目指そう。