小室文書について、英国のロースクールで学んだ経験から考察してみました

先日、ハリー&メーガンのインタビューについての文章を書いたら、砂漠の様に人影のない私のNoteにしては多くの方に読んでいただきました。やっぱりロイヤルゴシップ、みなさん好きなんですね。私も好きです(笑)。


そういう訳で、今回、長い沈黙を破って小室圭さんが文書を出したそうなので早速読んでみました。

この文書に関して、「アメリカのロースクールで書いた論文のよう」「弁護士間ではこれでOKなのかもしれないけれど、一般的にはNG」などの感想が出ているようです。

私はイギリスのロースクールで法律を学びました。小室さんが勉強したアメリカとは法律も違うし弁護士間の慣習も違うかもしれません。しかし「アメリカと日本」よりは「アメリカとイギリス」の方が共通点がありそうな気がします。そこで私の知ってる限りで、この文書は法律家(または卵)の書く弁論としてどうなのか、という事を主眼に置いて読んでみました。

結論から言えば、イギリスのロースクールならば、この様な文章では試験は通りません。

私も弁護士なり損ないの身、偉そうなことを言うつもりは毛頭ありませんが、この文書がなぜ法律的に説得力が無いのか、論文としてどこがダメなのかを検証していきたいと思います。いや思い切り偉そうやん自分(笑)。まあ学校の成績は悪くはなかったのですよ。


1.論点は「贈与」か「借金」か

元婚約者の方に出してもらったお金は「贈与」なのか「借金」なのか。長い文書の論点はこれにつきます。小室さんが一番言いたい事は「贈与」であったという主張でしょう。元婚約者(以下Aさん)が「返してもらうつもりはなかった」と口頭で仰った発言が小室さんが「返済義務なし」と信じる最大の根拠なようです。文書では5(3)の項ですね。とくにこの「5」の項目はこの文書の中でも山場であるらしく、「詳しくは「5」で説明しています」などと他の箇所でも何度も繰り返されています。

しかし

これ、証拠として弱い。弱すぎる

理由をご説明します。

もちろん口約束も「契約」「合意」などと見なされ法的に有効になる場合もあります。ただ「場合」もあるというだけで、もちろん全ての口約束が有効になるわけがありません。だって考えても見て下さい。話の流れで何となく発言した事の責任をここまで執拗に問われるのだったら、怖くて誰も何も言えなくない世の中になります。

例えば「月末に奢るよ」と友達に言われたとして、来月になっても再来月になっても奢ってくれなかったとしたら、その人を契約不履行で訴えたり、飲食分に相当する金銭を要求しますか?ありえません。

先に言ったように口頭での発言が法的な効力や責任を生み出す事もありますが、そのためには個々のケースのたくさんの材料を多角的に精査する必要があります。銀行口座のお金の動き、交わされた文書、そして今回の小室文書の様な「あの時あー言ったこー言った」の記録も勿論考慮されます。通常、このような資料だけで電話帳何冊もの厚さになります。逆に言えば、Aさんが「返さなくていい」よ仰ったのはそうした中の一つの物証(Evidence)に過ぎないわけで、その一言だけを決定的証拠(Proof)とする事はできません。

もしAさんの発言を小室さんが決定的証拠だと信じていたとしても、それを主張する場合には必ずそれを裏付ける法律や判例を提示する事が必須です。ここが(少なくともイギリスでは)、弁論で最も重要な部分です。バックアップする法律が何も提示されていない文書は、ロースクールの論文として赤点以下でしょう。「あの時奢ると言った」→「君は僕に奢る義務責任がある」と単純にゴネるのと同次元です。要するに小室さんの文書は証拠としても弱いだけでなく、それをバックアップする法的根拠が1つも書かれていない事が最大の難点です。「自分はこう思った」という極めて主観的な主張では無く、客観的な法の裏付けが必要なのです。



2.「金銭の返還」を「婚約破棄の損害賠償」で清算できるのか

返済義務なしと主張する第二の根拠は既に「清算済み」であるという主張なようです。これも、 5(3)(4)に書かれています。

それによると母親の佳代さんはAさんに一方的に婚約破棄されたそうです。佳代さんが損害賠償を申し立てても良いが、それをしなかったので、金銭を返還する事で相殺される、という理屈であるらしいです。これは単に「返さなくていいって言ったんだから返す義務はない」よりは法律っぽい感じもしますが、やはり弁護士の弁論としては使えません。当然の事ながら貸付金の返還と損害賠償は別個の事柄なので、分けて考えるべきだからです。小室さんは勝手に「清算されたと解釈しています」としていますが、いや、そこは勝手に解釈できません。

また、ここで自ら「金銭の返還」をしない事で清算できると言っているので、金銭の返還が前提となっている事が分かります。という事は「お金は贈与だった」であるという主張と矛盾が生じます。本人も「返さなければいけないのでは?」と少しでも思っているなら、もし裁判になった場合はその小室さん本人の思いも考慮されるため、小室さんにとって不利な論理を自ら展開している様な気もします。ここら辺も、ちょっと詰めが甘いです

3.コントの様な入学祝いトリック

話は脱線しますが、以前TVで観たコントでこんなのがありました。

先輩「これすごくいいボールペンなんだよ」

後輩「わあ、いいですねえ」

先輩「そう?そんなに好きならお前にやるよ(強引に後輩に押し付ける)」

後輩「いや、そんな…悪いからお金払います」

先輩「そう?まあ、そこまで言うなら。(1万円札を受け取る)。どうだ?いいボールペンだろう。普通は1万じゃ買えないよ。」

後輩「先輩、やっぱりこんな良いもの受け取れません。お返しします」

先輩「そう?そこまで言うなら、そうしてもいいけどさ。(結果的にボールペンもお金も先輩の懐に入り先輩1万円の儲け)」

これを観たときは別に上手いトリックとも思わなかったのですが、小室文書の入学祝い金の下りを読んだ時、このコントを思い出しました。

大学入学時の小室さん「大学の入学金はバイト代で払いました。授業料の45万3千円は奨学金で支払うつもりです」

お母さま「奨学金に申し込んだのに、まだ振り込まれないの。納付日に振り込まれなかったらどうしましょう。不安だわ」

Aさん「自分で支払うなんて感心だね。そんなに不安なら僕が45万3千円都合してあげよう。入学祝と思ってくれればいいよ」

小室母子「結局、奨学金は期日までに振り込まれたので授業料を払えました。入学金はバイト代から、授業料は奨学金から支払ったので圭が誰にも頼らず自分で支払いました。Aさんからの45万3千円は入学祝なので、ありがたく頂いておきます。」

Aさん 「あれっ……?」

小室さんは「大学の入学金と授業料は自分で出した」と主張しておられます。授業料に関しては奨学金を申請したそうですが、その受給が遅れていると誤解して心配になったお母様がAさんに相談したところ「入学祝いのつもりで」授業料と同額の45万3千円が振り込まれたそうです。その後奨学金は無事に受け取る事ができ、授業料も奨学金から支払ったそうですが、「授業料」を「入学祝」として振り込んでもらったなら、授業料を納付できた時点でAさんに45万3千円は返すのがスジではないでしょうか。しかし「これは授業料として振り込まれたのではなく入学祝いだから返す義務はない」と言うのが小室さんの考え。なんだかトリックにかかったようです。[注11]

4.結論: 法律だのなんだと言う前に

「っていうか、双方の誤解があったにせよ、こんな面倒くさい事になるより400万円ポンと返しちゃえばいいのに」

これが殆どの人が持つ疑問だと思います。実際に小室さんも弁護士を雇っていらっしゃる様だしその費用も馬鹿にならないのではないでしょうか。

よく欧米は訴訟社会と言われますが、普通に考えれば誰だって人と喧嘩するより穏便に済ませたいと思うのが人情です。法的に闘うために費やす時間、金銭、労力、心理的苦痛を考えたら、何とか当事者同士で綺麗さっぱり解決したいと思うでしょう。お金で解決できる事なら尚更です。欧米でも、そんなにしょっちゅう誰も彼もが裁判起こしているワケではないのです。色々な常識や考え方がある中で、どうしても当事者同士で解決できない 場合、第三者に介入してもらい共通ルールとして定められた法律に従い白黒決めてもらうのは最終的な手段と言えます。

私はロースクールでの勉強や、友人に相談される件を考えるときは、確かにどうやったら勝てるか、法律の知識を使ったゲームの様で楽しいのですが、それを仕事にする気にはなれませんでした。

小室さんはお金を一括で返してしまったら、自分たちが借金を踏み倒そうとした人間と見なされ、名誉にかかわると思いそれが返金しない理由だそうですが、名誉やプライドに拘りすぎて問題を長引かせているのは、なんと言うか粘着質な性格を感じます。あと、文章がちょっとくどいです。

特にAさんがお金を出した側なのに、「貸付であったならその日付、金額、理由の説明」「認識の異なる点について確認、指摘」「公にはしない事を約束」などを要求し、高齢と思われるAさんが「あー、めんどくせぇ。もうどうでもいいよ。」と根負けするまで追い詰めているような印象も持ちました。(6(2)参照)

この記事は決して個人攻撃するつもりで書いたのではありません。現に小室さんはこの文書を「論文」だとは一言も言っていません。これを読んだメディアの方々の勝手なコメントを私が見て、ロースクールの論文で要求されるものとは程遠い内容だと思ったため、法律の考え方を少しだけご紹介したいと思い、書いてみました。

最後になりましたが、皆さんがお幸せになれますように。(とってつけたようですが、本当にそう思います)特に元婚約者のAさん、なんだか、優しくて流されやすい性格なのかなあという気がします。Aさんに幸あれ。





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