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恐怖の口頭プレゼン試験 (普通の主婦がイギリスで弁護士資格に挑戦した話)

ご存知の方も多いと思いますが、英国憲法(コンスティチューショナル・ロー)は不文憲法です。例えば日本なら「日本国憲法」という成文法典があるわけですが、英国にはそれに当たるものが存在しません。

もちろん、「〇〇法」というように成文化されている法規もあるのですが、その他裁判所の範例や、慣習(!)などの集合体が「英国憲法」です。要はあっちゃこっちゃにとっちらかっていて、一つの場所に纏まっていない。時を超えた魑魅魍魎とした空間の中から手探りで答を探す様な、法学生泣かせの教科です。

人類が永らえてきた長い時の中で、他者と争い事を避けたり円満に暮らすために培ってきた知恵や慣習が形を変えて法律になったと私は思っています。もちろん土地によって文化や習慣、常識が違うので、その国の歴史や習慣を感覚的に分かっていないといくつかの法律は理解が難しいところがあります。憲法というのは特に各国の独自性が強く出る分野でしょう。英国憲法は、歴史、慣習や常識が複雑に絡み合い成り立っている複雑怪奇な世界なのです。

……と思っていたのですが、肌で理解している筈の英国生まれの同級生達でさえ、「ちょーわけわかんねーっ」と苦しんでいるではありませんか。き、君たちもか。コンセプトが本当に分かりにくいのです。彼らでさえその調子ですから、勿論私もちょーが100倍つくほど意味分かりません。

一応先生が書かれた本を、大人の気遣いとして購入したのですが、難解すぎてわけ分からなかったので完全に机上のオブジェと化しました。そんな時にもっとわかりやすく書いてある本を同級生が発見しました。(その本を発見した時の喜びと言ったら!同級生も皆その本を買い、救世主だ!と喜び、メインのテキストブックはその本にとって代わり先生の著作は誰も持参しなくなりました…)

そんなこんなのうち、学期の中盤に、恐れていたコンスティチューショナル・ローの口頭プレゼンテーションの試験がありました。入学以来ほぼ全てが挑戦でしたが、その中でも最大の難関だったと言っても良いでしょう。出題された幾つかのテーマの中から一つのテーマを選び、それについて先生の前で「演説」しなければなりません。用意した原稿を読むのは勿論不可、スライドなども使用不可。視覚の助けは借りられず、全て「口頭」の言葉の力だけのプレゼンです。

非ネイティブの自分にとって、これは大変なプレッシャーでした。プレゼン時間は10分なのですが、法律について語るとなると10分って結構長い。ネイティブなら大体の筋書きを考えれば言葉が詰まったとしても、何とかその場を収められるかもしれません。しかし私にはその様な事態に陥った場合アドリブで乗り切る自信が全く無かったので一字一句までプロットを作り、記憶し、週末返上で夫相手にスピーチ練習をしました。いかにも用意された原稿を繰り返すのではなく、聞き手と目を合わせたり、身振り手振りを加えると説得力が増し加点される、という情報も事前に流れてきたのでそこら辺にも気をつけて。女優の側面も期待されます(いや期待されてない) 。猛練習の日々、夫によると最後には「髪は乱れ顔面蒼白、ゾンビの様に目だけが爛々と光っていた」とのこと。

さて試験当日です。試験会場の先生の教授部屋の前に行くと順番待ちの学生が数人待機しています。自分の番になり入室すると、先生は自分よりもゾンビ化していました……。ムッとする様な空気が籠もり、いろんな人のいろんな体臭が入り混じり、そこはかとなく異臭もします。考えてみれば朝から10分毎に数十人の学生の(未熟な)スピーチをこの小さな部屋で聞き続けるのも苦行に等しかったでしょう。他の学生に頼んでおいたらしい「ティー」がちょうど私の入室と共に届きます。やっぱりミドルクラスの大学教授はティーです。変な事に関心していると「ちょっとティーを飲む時間をもらえる?」と窪んだ眼ですがる様に仰る先生に “Of couse, please take your time.” などと何故か余裕をかまして答える私。なんだか自分よりも先生が哀れに思え、しかしそのお陰で気持ちが落ち着きました。情けは人のためならず。いやちょっと違うと思う。

猛練習の甲斐あり、プレゼンはまずまずの出来でした。途中、ちょっと手でジェスチャーを加えた時、先生の目がそれを追って光ったのも見逃しません。(何気に謎の余裕)。プレゼンが終わると、すぐに点数とフィードバックがもらえます。リサーチスキル、クリティカルスキル、口頭コミュニケーションの流暢さなどの項目が5段階で評価されます。殆どの項目は最高点のVery Goodを頂きましたが 口頭コミュニケーションだけ3番目のAverageでした。総合点は68%、思っていたよりもずっと良い得点!心の底からホッとしました。先生は「僕はイタリア語を少し話すけど、僕のイタリア語より君の英語の方がずっと流暢だったよ」と慰めて下さいましたが、いやいやMore than enough、十分でございます!

(ちなみに私は大学の卒業後にロースクールに進む事になるのですが、そこではMock court (模擬法廷)と呼ばれる、自分が弁護士役になって裁判官役の先生やもう一人の弁護士役の学生とその場でargue しなければならない地獄の様な試験がありました。それに比べたら、一方通行でプレゼンするだけのこの試験はずっと簡単だったのですが、この時は知るよしもありませんでした……。)


 


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