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モハヴェ砂漠

 『メイベル男爵のバックパッキング教書』という本の中で、田渕義雄はデザート・トレッキングにふれて、「“星の王子様”の舞台はどうして砂漠だったんだろう。」と書いている。「しかしデザートには何かがある。ほんとうの太陽の光、星と月と、そしてどこまでもつづく太古からの大地の広がりがある」と文章は続く。

 砂漠を歩くことには憧れがあった。PCTを歩くと決めたとき、本当は通る場所についてあまり調べていなかった。それでも砂漠のセクションがあるということは知っていて、名高いシエラよりも何よりも、僕はモハヴェ砂漠を歩くことを楽しみにしていたのだった。
 実際は、砂漠というよりは荒野といったほうがよく、町と町とをつなぐアクア・ダクトがはるかな地平線にのびている、その上がトレイルとなっている。僕は出会った仲間たちと一緒に、そこを歩いた。

 はじめは直径4メートルぐらいはあろうかという巨大な金属管の上部をむきだしにして大地を這っていたアクア・ダクトはやがて完全に地下へと潜り、埋設された灰色のコンクリートの道となって続いていた。
 荒野に敷かれた一筋の舗装路を仲間とともに歩いていることは、なんとなくオズの魔法使いの映画のシーンを思い出させる。

 夕暮れどき、大地を焦がした熱気がまだ大気に残っているのを頬に感じる。日はゆっくりと落ちていき、やがて心地よい夜が訪れる。
 ヘッドライトの光の中で、白いコンクリートが目の前に続いていた。歩けば歩くほど、光の輪のなかに区切られた視界に、果てしなくあらわれる白い道。前の方には、仲間のライトの光がちかちかと動いている。
 深夜まで歩いて、僕たちは道の上にマットを敷いてカウボーイ・キャンプをした。寝転ぶと、目の前はどこまでも広い星空だった。

 遠い町の方角の空がほんのわずか、明るんでいる。
 いまもこのトレイルの上では、たくさんのハイカーたちが影のようになって歩いているだろう。
 しかし、動物の気配や木々の葉のそよぎすらもない場所で、じっと夜空を見つめていると、いまこの惑星の上にいるのが自分たちだけだというような気もして、はてのない荒野につつまれている実感に、心が解き放たれるような喜びがこみあげた。何もない場所にいることが、嬉しかった。

 思い返してみれば、いつもの野営よりもみんな近くで寝ていたような気がする。場所はいくらでもあるのに、こんな場所では、人と人は自然と傍に集まるものなのかもしれない。
 目を閉じながら、アクア・ダクトのことを思った。
 音を聞くことも、まして汲むこともできないけれど、この地面の下に豊かな水が流れていることに不思議な心地よさを感じながら、行動開始までの束の間、眠りに落ちた。

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