名前のない場所
ホイットニー山の寄り道から帰り、フォレスター・パスへむかうトレイルを歩いていた僕たちは、とつぜん、開けた場所にでた。
雪をたたえたシエラの山々を背景に、池があった。鏡のような水面が、空を映していた。
ティンとスーザン、それからホリィが、水際まで歩いていった。僕は突っ立ったまま、その景色に見入っていた。前日に見たホイットニー山からの景色に比べてしまえば、際立った眺望があるわけではなかったが、晴れた空の下に、静けさが満ちていた。
祝福されているような、平和で、透きとおった世界が目の前にあった。なんて綺麗なんだろうと、涙があふれてきた。
僕は自分がどんな場所にいるのかを、はじめてわかったような気がした。
まるではじめて、シエラの山や空や水が自分の前に現れたようだった。
仲間たちの後姿を写真に撮って、池のほとりに立った。岸の近くに突き出した岩が小さな島になっていて、そこまで行けそうだったから、僕は靴を脱いで水に入った。冷たく、澄んだ水だった。水深は浅く、ショートパンツの裾をほんの少し濡らすぐらいで、島にたどり着いた。
島に立つ。ティンたちがこっちを眺めている。水の上から、シエラの山を見つめた。ああ、美しいところだな、と思うが、こういうことをやるといつもと違うようで、落ち着かない気分にもなる。僕は景色を目に焼き付けて、また岸へ戻った。
こんな場所でキャンプできたら最高だけど、まだ陽は高い。みんな考えていることは一緒だ。せめて少しの間、バックパックをおろして、池のほとりで休んだ。
スーザンが、部屋にひきこもっているひとが増えていることについて話した。あと、結婚年齢のこと。
自分がどんなことを喋ったかあまり覚えていないが、自分は社会に出ることが怖かったとか、そんなことを言ったかもしれない。
その恐怖はずっとある。一面からみれば、いまトレイルにいることは、期限付きの逃避だということもできる。
それでも、街をはなれて旅をすることに、さしせまった必要を感じていた。でも、スーザンやみんなは、どうしてPCTを歩いているんだろう。
たくましく旅をしているこの仲間たちも、何か足りないようなものを求めて、ここにきたのかもしれない。でもそれを聞くことは結局なかった。
顔見知りのハイカーが連れだってやってきて、挨拶して僕らは先へ進むことにした。
振り返れば、僕たちと同じように腰を下ろし休んでいる姿がみえた。彼らは幸せそうで、立ち去っていく僕も満ち足りた気分だった。
最近読んだ紀行文のなかで、「ただそれだけで美しいものは神様にしかつくれないだろう。」という文章を読んだ。それは、あの池のほとりの景色にぴったりな気がする。
呼び名がある場所なのかはわからない。きっと名前はあるんだろう。
でも名前のない場所のままのほうが、僕にとってはしっくりするし、それでいい。