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アイス・アックスのこと
部屋の押し入れの奥に、カンプの赤いアイス・アックスが眠っている。帰国していらい、雪山に行くこともないので箪笥の肥やしにしているのだが、これはシエラで立ち寄った町のアウトフィッターでもとめたものだ。
トレイルで雪に遭遇したハイカーたちは、次々にアイス・アックスを装備に加えていった。
はじめ、使い方も知らない道具に頼って行動するのはいかがなものかと思っていた僕は持たずにいたが、危なそうな峠越えが続く核心部に突入するときに、仲間たちから説得されるうちに心配になって買ったしろものである。
結果だけいえば、さいわい滑落することもなく、杖代わりのほかの用途では使わずにすんだ。
しかし、想像以上に所有欲が満たされる道具でもあって、使いもしないくせに今ではお気に入りの一品になっている。
ローン・パインの町のアウトフィッターでサコッシュを提げたアジア人を見かけたので、これは日本人だなと思って声をかけた。
ジョン・ミュアー・トレイル(JMT)を歩いている日本人ハイカーのタクさんだった。
JMTのルートはその多くがPCTのシエラ・セクションと重なっている。僕は仲間とともにシエラを北上していたので、逆方向から歩いてきたタクさんと出会えたことは幸運だった。
ローン・パインはアメリカ本土最高峰のホイットニー山の玄関口でもあり、いかにも古きアメリカの田舎といった風情の小さな町だが、小綺麗で居心地がよかった。
メインストリートの街並みの先に、雪をたたえたシエラの山々が迫っている。まさに屏風のようなその雄大な広がりは本当に美しいと思った。それでも、いよいよこれからあの中へ踏み込むぞという高揚した感覚は、不思議となかった。
加藤則芳さんが、ロングハイキングを長編の小説にたとえている。僕はそのことに完全に同意しつつ、同時に、映画にも似ているところがあると思っている。
もちろん歩いているのは自分の意志に違いないが、一度はじめてしまえば、たくさんの出来事や景色が、向こうからやってきては過ぎ去っていくような感じがする。もしくは、トレイルがおおきなひとつの流れとして自分を運んでいくと言ってもいい。
とはいえ、映画というにはあまりにも長すぎるのかもしれない。
メキシコ国境から北上してきたノース・バウンダーにとって、シエラに入ってからのトレイルの変化はすさまじい。ほんの4、5日までは水をもとめてあえいでいたのに、いまは川の渡渉に頭を悩ませているんだから。
この2週間ちかくのあいだ、ティン、スーザン、ホリィという3人の仲間と一緒に歩いていた。みんなこの先の川の状況を知りたがっていた。渡渉が無理そうなら、どうにか迂回しなければいけないし、そのための計画もたてる必要があったから、タクさんにお願いしてモーテルの部屋に来てもらって、くわしい話を聞かせてもらった。
さらに、同じタイミングでローン・パインに滞在していた日本人ハイカーの森田さんにも声をかけ、狭い部屋のなかに6人のにぎやかな会になった。
タクさんの見せてくれたJMTの写真はみんな雪で真っ白で、こんなところをどうやって歩いてきたのかと思ったが、ここで危険な峠や川の情報を得られたことは本当に大きかったと思う。
タクさんは日本の山小屋の人でもあって、雪山のことにもくわしかったから、みんな次々に質問をはじめた。
それでいつの間にか雪山講習会のようになった。アックスを持っていても、誰も使い方を知らないのだ。PCTハイカーの素人ぶりには、タクさんも驚いていた。
僕も小さなスノースパイクしか持っていなかったので、このときもっといいチェーンアイゼンを貸してもらった。雪に難渋するなかで、とても助けられた。
あとにもさきにも、アイス・アックスの使い方を習ったのはタクさんに会ったこのときだけだ。
このままじゃ雪山なんて、とうてい行けないなと思いながら、たまに埃をはらって、アックスを眺めている。
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