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弓を持るということ

はじまりはじまり。

一定の熱量を持って弓道を生涯競技にしようと志すとは、親友を迎えに初めて弓道場に足を踏み入れた自分は想像もしていなかっただろう。中学校時代は野球に励み、自分の才能のなさを薄々感じながらも楽しく活動していた。高校では新しいことを始めたくて、テニスやバドミントンに手を出した。実際、高校入学前には近隣の高校のバドミントン部に体験入部に訪れたり、入学してからもバドミントン部の練習を見学しに体育館に足を運んでいた。

部活動見学の初日だったかな、親友と一緒に帰るために、親友に電話した。
「今弓道部見学してるから迎えに来て〜。」
そんないつもの彼の声をきっかけに、駐輪場の隣だから仕方ないと思い、僕は弓道場に足を運んだのである。

弓道場に足を踏み入れた瞬間、僕の人生は変わった。と言えるほどドラマチックな印象を弓道に持ったわけではない。結局、先輩方が熱心に勧誘してくださり、中学からの同級生も2人、そのほかに幼稚園からの幼馴染が(奇跡的に)一緒に入部することになったので弓道部でいっか、といったなんとも受動的な理由で入部することになった。そんなこんなで僕の弓道人生が始まったのである。

弓道沼に肩まで浸かったきっかけ

熱量のかけらもない理由で入部した僕だったが、いくつか弓道にどっぷりのめり込んでいく要因やきっかけがあった。


まず大きかった要因は、インターハイが1年後、地元で開催されるということ。これは僕にとって重要なモチベーションの源となった。特別なインターハイが1年後に控えていることは入部した直後から認識していた。

また、弓道の競技性がすごく自分に合っていた。対人競技ではなく対物競技であるということが性に合っていたのだ。結果の全ての責任は自分しか取れないということ。他者に依存しない競技性というものが、内省しがちな自分にとって、まさにぴったりの競技だった。

そして何よりも、所作や体配を重んじる文化である。結果はもちろんだが、それを追い求めるだけでは、きっとここまで熱中しなかったと思う。所作に関して鮮明に覚えている瞬間がある。入部して2ヶ月ほど経った頃に、東北各地のインターハイ出場校の錬成会が僕の高校の弓道場で催され、見学をしていた。雨の日、道場の後ろから見学したときにその瞬間は訪れた。行射が終わった際に後ろずさりする時の、無駄のない足捌きに心が踊ったのである。本当に一瞬で、ありきたりな瞬間だったけれど、その瞬間は鮮明に心に残っている。強く、美しく、しなやかに。そのような言葉がぴったりの,
誰かの記憶に残る選手になりたいと思ったのである。

結果から話すと、入部から1年後の夏は、僕らにとって特別な夏となった。県大会団体優勝カップとインターハイへの切符を添えた、群青色の夏。僕は夏休みから高校留学があったので東北大会で引退、インターハイの切符はチームメートに譲った。これで高校弓道はおしまい。短くて濃い、高校の内外で多くの出会いがあった1年半だった。

アメリカで弓を再開

僕は高校卒業後はシアトルの短大へ進学したので、弓道できる機会に恵まれなかった。気がついたら部活を引退してから5年が経っていた。
転機となったのは現在通っている大学への編入。もともとシアトルに弓道会があることは知っていたが、短大がバスで2時間半のところだったため流石に所属できなかった。それが編入をきっかけに電車で40分と近くなったので、弓道会に連絡した次第である。
週一回の、正規の28メートルの距離が取れない体育館での練習。弓をまた引けるという環境にはそれで十分だった。ちなみに最近は大学のアーチェリークラブでも和弓を引いていいということが発覚したので大学でも弓を引ける環境ができた。すごく嬉しい。

アメリカで弓を持る覚悟

さて、この記事を書こうと思ったきっかけが、7月17日から20日までの北南米の弓道会を対象にした国際弓道セミナーと審査会である。今回は受審ではなくボランティアという形で携わった。開催地であったカナダからはもちろん、アメリカ全土、メキシコ、さらにはチリやアルゼンチンから、合計で150名ほどの参加者が一堂に集った。
日本からいらした範士の先生方と責任者であるバンクーバー弓道会のマネージャーの間を取り持ち、会場設営やスケジュールに関することを通訳した。

異国の地でこれほどまでに同じ志を持った弓道に取り組む人たちがいて、昇段に向けてそれぞれの場所で努力していると感じた時、僕は胸が熱くなった。ちゃんとした弓道場を持っている弓道会は少ない。28メートルの距離を確保できない不便な環境下で、熱量を持って弓を持ることに感激した。ただの一片のボランティアなのに。

特に高段位の方々。それぞれ生活があって、弓道場も弓具店も十分にない環境で生涯競技として弓道に向き合うということは相当な覚悟が必要であると感じた。今まで場所がないからという理由で弓から離れていた自分にとっては、その覚悟が滲み出る射に胸を刺された。肌の色も、人種も、道の入り口も関係なく、同じ道を歩む同士が、先輩方がこんなにも熱意を持って取り組んでいる姿を目の当たりにできてよかった。たくさんのロールモデルができた、そんな1週間だった。弓道を生涯競技にしようと志した1週間だった。

これからの将来、さまざまなキャリアプランへの道があって、もしかしたら弓を引くことができなくなるかもしれない。それでも細く長く、人生を通して弓に取り組んでいく所存である。


そんな僕の心の拠り所の一つ、弓道という領域のお話でした。