"線"で旅すること。
父からの教え
あなたは旅行をする時、どのような交通手段を好みますか?
高校を卒業する際に、父親から旅行に関して2点伝えられたことがある。
旅行先では、時間を見つけて美術館へ行きなさい。そこでしか出会えない作品があるから。
線で旅行をしなさい。位置関係、距離感、規模感がわかるようになるから。
1つ目の教えは、今の僕の興味の基礎を築いてくれたと思う。Art HistoryのクラスでGPA4.0を4.0を収めることができたのは、この言葉をきっかけにArt Historyの分野に関心を持つようになったからだ。芸術の話はまた今度、時間があればいつか記事にしたい。
2つ目の教え。高校を卒業し、国内旅行を計画していた僕に父が伝えてくれた。渡米までのおよそ6ヶ月間の間で、僕は鹿児島県の知覧へ足を運ぼうと計画していた。元々は実家のある仙台から飛行機で福岡、そこから九州新幹線で鹿児島へ行こうと漠然した計画が創案された。まぁ、これが妥当である。
しかし父は別の提言をしてくれた。「青春18切符」である。つまりは飛行機はもちろん、新幹線や特急列車を用いることなく九州の果てまで、のらりくらりと在来線で旅をするというものだ。莫大な時間がかかることは言うまでもない。でも幸い、時間はあった。およそ1万円で、在来線に限って5日間乗り放題。不思議と不安はなかった。
財源は1ヶ月のバイト代。当時の最低賃金が840円台だった仙台にしては高時給な、1200円のプロ野球場でのバイトでの収入である。全試合最大限に出勤していたため、約15万円が予算だった。今考えるとバイトか旅だけの生活だったな。
地図に線を描く
さて、父が線で旅行しなさいと言った意味が、旅行を始めてから理解した。
在来線を用いた時、仙台から東京間でどれくらいの時間がかかるか、ふと問われて想像できるだろうか。新幹線や飛行機という代替手段によって、そして発達された交通網によって、自分の距離感、日本の大きさの規模感覚が麻痺していたことを認識した。
およそ、7時間。仙台から東京間。2つの都市を結ぶ路線は、はるかに臨む山裾までつづく一面の田んぼ、今のご時世で携帯電話の電波が繋がらないような山道、一見すると公園のような誰かの古墳、まちを見下ろす峠からの景色、急にフラットな地形へと変化する関東平野の入り口。そんな普段だと気に留めないような景色が、車窓に広がっていたのだ。
中国地方では、屋根瓦の色が黒からオレンジ色の、いわゆる島根の石州瓦というものに変化していく。景色だけではなく、言葉の変化にも気づくことができる。東海道本線で静岡を越えた辺りから方言が変化していく。
鹿児島までの景色を言語化すると果てしないのでガッツリ割愛させてもらう。つまりは日本という広大な国において、その距離感を掴みながら、その過程の景色、文化圏のグラデーションを楽しみながら旅行するのも一興である、ということだ。
結局、目的地の知覧まで行って、さすがにバイトに間に合わなくなったので名古屋港から出ているフェリーで仙台へ帰った。あの夏の間、ヒッチハイク旅を含めると5回ほど大旅行をしたっけ。これらの旅行で、仙台の隅っこで育ってきた18歳の自分は、少なくとも日本国内の規模感はなんとなく体に染み付いた気がする。
ドMな旅
そんな日本の距離感を体に叩き込んだ夏から3年が経ち、さらに線を描くということをエスカレートさせた僕がいた。自転車で三重県を縦断するという旅である。コロナ禍による運動不足を解消するために始めたサイクリングが、旅の交通手段という選択肢に食い込んできたのである。日帰りの自転車旅は中学時代から経験はあるが、長期間の自転車旅は初めての経験である。
行動力お化けの僕は、実感の湧かぬままに太平洋フェリーに乗り込んで名古屋港へ向かっていた。
この旅の目的は、伊勢神宮と熊野三社の参拝である。
神社という空間が好きだ。それは自分の宗教観の影響が一切ないと言われると嘘になるが、それ以上にその空間に流れる時間軸が好きなのだ。
まあそんな話はまた今度にして、旅の話である。
三重県縦断の旅は結論から言うと人に恵まれた。線で旅するからこそ、時間がかかるからこそ、その土地の人々と触れ合う機会が多くなっていった。
「食堂あお」さんという地元の夫婦二人で営んでいる食事どころを紹介され、予約までしてくださった。食堂あおの夫婦のお二人もすごくいい人で、初めましてだったのに馴れ初め、ニュージーランドでのレストラン経営、お店を始めるまでの期間、結婚、キャリア相談、諸々の話を聞かせてもらったり相談をした。図々しさがすぎるぞ、、、。
他のお客様が帰られて自分一人になってからもずっとお話しさせてもらっていた。熊野三社参拝に来ましたって言ったら、玉置神社という神社を紹介してもらった。
呼ばれないと辿り着けない神社らしい。これもご縁なのか、呼ばれているのか、結局山奥の1000mくらい山道を一寸先も見えない霧の中、たどり着いた。神様に呼んでもらったのはいいものの、帰り道に崖から滑落しないようにだけお願いした。
また旅行したい場所はどこか、と言われたらきっとこの熊野の地は筆頭になるだろうな。
一人旅に飽きた自分
なんだか思い出話になってしまったけれど、電車だったりヒッチハイクだったり、はたまた自転車だったり、いろんな一人旅を経験してきた。
ただやっぱり、一人で旅行すると人に気を使わない分、行動がパターン化されてしまうのがネックだなと最近感じるようになった。誰かと旅行するとその人の旅に対するエッセンスが、自分にないオプションを選択させてくれる、こともある。
そんな旅も新鮮でいいものだなって、最近思っている。
それが恋人であっても、友達であっても、たとえ親であっても。自分の枠を少しだけはみ出してみる旅行に最近は惹かれてきてますっていうお話。
バイトしてお金貯めて、長期休暇に旅行したいなーーーーーーー、っていう煩悩を残しておきます。
とりあえず就活、勉強、資格試験!
そんなこんなで、またね。