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神さまはいるのか。霊的依存からの脱却


霊的ヒエラルキーはこうやって生まれる

スピリチュアルな探究をしていくと、必ずといっていいほど霊的依存と霊的自立、という課題にぶつかります。

霊的依存状態の人は、
自分が見えない何か(神さま、教義、霊能力、高波動なものなど)に依存するだけでなく、周りの人を自分に依存させたり、自分が依存している何かに依存させようとしたりします。

そうやって集まってきた依存的な人たちの下に、また新たな依存的な人たちがつきます。
霊的ヒエラルキーはそうやって作られていきます。

本人は依存してるつもりも依存させてるつもりなく、
ただただそこに「救い」があると信じているのです。

本来、霊的な道に進む人たちというのは、人間社会のヒエラルキー(階級構造)で苦しみ、うんざりして、そのヒエラルキーから脱出したいということで、霊的探究を始めるはずです。

ところが、依存心(心の傷、愛着障害)が解消されていないまま霊的な分野に入ると、結局はまたヒエラルキーの罠にハマってしまうのです。

ヒエラルキーだけじゃない。

私たちは思考が作り出すストーリーを「現実」だと錯覚してその中で生きてる、
そのストーリー(妄想)から抜け出すことを「覚醒」「悟り」と言ったりしますが、
霊的依存状態の人は、ストーリーの設定場面を、「見える世界」から「見えない世界」にシフトしただけで、結局ストーリーの中にいることには変わりがないのです。
本人は全くそんな自覚はないかもしれませんが。

依存することが悪いとか、正しいとか間違ってるという議論をしたいわけではないです。

問題は、
そこに留まり続けることが本来の目的でしたか、ということです。

先ほども書いたとおり、霊的な分野を探究していくそもそもの目的は、この地上(分離世界)では得られるはずがない自由や安心感や充足感、一体感を得る、ということだったはずです。

しかし、霊的依存状態,つまり霊的ヒエラルキーや見えない世界のストーリーに囚われてしまうと、得られるはずの自由、安心感、充足感、一体感がいつまでたっても得られないということになります。

それはなぜかというと、
地上でみんなが当たり前のように持っている
「分離感覚→一人一人が全体と切り離されて個として存在している」を現実に投影していることには変わりないからです。

この分離感覚こそが、
恐れの正体、罪悪感の正体、
孤独の正体、自己否定感情の正体です。

恐れと罪悪感と孤独と自己否定感情(ひっくるめてエゴ)が人を依存状態に向かわせます。

つまり、地上においてであろうと霊的であろうと、依存状態にあるということは、恐れ(エゴ)が常に根底で働いているということになります。

依存状態の人は、発作のある世界の住人でもあります。

※「発作」とは、脳の過剰な電気興奮のことで、それが起こると人格障害を起こしてしまう。
発作が起こると、自分の感情や思考をコントロールできなくなる。


サイキック能力とエゴ

問題は、
霊的依存状態にあっても、サイキック能力は開発できる、ということです。

そのことは、
覚醒者の葦原瑞穂さん(故)の【黎明】にも詳細に書いてあります。

(サイキックな能力は)スポーツの得意な人やピアノの上手い人、料理の腕の良い人や絵が上手に描ける人、計算の早い人や記憶の正確な人等、色々な能力の違いがあることと同じです。
色々なトレーニングの結果としても現れてきますが、そこには必ず霊性の進化という主目的があるべきで、サイキックな能力の開発自体をトレーニングの目的とすることは、色々な面で問題があることを特に警告しておきたいと思います。
(中略)
意識の未熟な段階では個人が存在すると思い込んでいますから、他人に対して優位に立ちたいとか、個人的な欲望を満足させたいというような、利己的な動機でサイキックな能力を使用する可能性があり、このような場合には,その人に与えられた能力を誤用したわけですから、大きなカルマを造ることになります。

【黎明】上巻第14章「潜在能力」より

なぜ今回このことを題材に書いているのかというと、
最近わたしの身に、このテーマについて考えさせられる現象が起こったからです。

最近とある人の紹介で、霊能者の女性Yさんに出会って、
霊視とヒーリングと過去世の因縁の解消をしてもらったんです。

自分の体感から、
彼女のサイキック能力はなかなか出会わないレベルの、相当なものだと感じました。

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