雪残る山奥での初詣、お祈りと奉仕で感じたこと~新年のご挨拶
2025年が明けました。
今年は今までにないくらいスッキリとした氣分でお正月を迎えました。
個人的には、
去年一年は心身に抱えていたたくさんの「重さ」を解放する大浄化の一年だった氣がします。
あれだけたくさん出し切って、意識も書き換わってきたので、
タイムラインが大きく変わったのかな。
ここ10年ほど、お正月はほぼ毎年、
魂の仲間たちと一緒に滋賀の山奥のとある聖地に行き、
感謝の祈りとご奉仕をしにいきます(わたしにとっての初詣)。
ここでは、
もし人間の姿をした大地の精霊さんがいるとしたら、
こういう人たちのことをいうのだろう、としか思えない光輝くヒトたちが、
早朝3時から夕方まで、祈りと奉仕(山仕事や家づくり、護摩木作りなど)だけをして暮らしています。
定住している人たちは10数名ですが、
あとは、全国から泊まり込みや通いで、
祈りとご奉仕をしにくる人たちがたくさんいます
(毎月ある護摩焚きの日には、全国から多い時で100人ぐらいの人と15万枚ぐらいの護摩木が集まってきます)。
俗世間という言葉がありますが、
おそらく日本でここ以上に俗世間とは無縁な場所はないのじゃないかと思います(時の流れ方も下界とは、全然、全然違います)。
女性でも70代以上の高齢者の方でも、
下界では考えられないぐらいのキツい体力仕事を軽々とこなしておられます。
数年前までは、
雪かきをしたり、重たい木を運んだりするのに、
わたしは一時間作業したらもうバテバテになっていましたが、
今回は、今までと違って体が軽くてあまりバテる感じがない。
肉体年齢は重ねているのに。
今年は確かに、これまでのわたしとは違う、というのを感じました。
身体が軽い、というのは、
一つは、
身体の使い方がよくなってきたということがあります。
緊張した身体をバラバラな状態で使うと、
一部に負荷がかかるために、筋肉疲労が起こります。
ボイスエンライトメントでも提唱しているように、
緩んだ身体の全体がつながって、
連動するように使えると、ダメージが少ないのです。
ダメージが少ないだけでなく、
体の使い方のよっては、
氣が巡り、細胞が活性化してきて、
作業前よりもむしろ元氣になる感覚さえあります
(ここに住む人たちも、1年ぶりとかにお会いすると、
「あれ、前より若返ってる!?」ということがあるので、
実際にエントロピーが減少して蘇生していくのだと思います)。
もう一つは、
思いが軽くなったことかな。
思いって=重い、のです。
思いって何かというと、
思考パターン、観念、信念、価値観、常識、カルマ、エゴ。
無意識に抱えているもの。
実は、「思い」はエネルギーで、
それは、
自分たちが思っている以上に身体や心を重くします。
そして「思い」は設定なので、
「これだけの重労働をしたら疲れる」
「年だから無理」「女性だから無理」
「寒くて辛い」
「みんなよりできない」
「朝は苦手」
「お金を稼がないといけない」
そういう「設定」があるから、
その通りになる。
わたしたち人間の「思い(設定)」は、そのほとんどが、
恐れに基づいていていて自分を制限するものだったりします
(すべての病気も、”思い”が作ります)。
それで、「宇宙神ありがとうございます」ってお祈りをしながら作業をしたら、
「思い」が消えていく(設定が外れていく)、
そしたら宇宙全体と一体になって、
自分の力だけじゃない無限の力が働いて、
できないことも軽々とできてしまうし、
”我”が消えてみんなとも自然に連帯感ができて、
全体で早く効率的にできるよ、と教えていただいたのです。
奉仕の作業も祈りと同様、「思い」を消すためのもので、
それぞれの時や人に合った、必要な作業が宇宙から用意されるそうです。
だから、例年に比べものすごく積雪量が多くて、雪かきがめちゃ大変だった年もあったけれど、
それはその年にたくさんの集合的な「思い」を消す必要があった、
ということなのだそうです。
個人の”思い”と、みんなの”思いの結集”は、相似形になっていて、
一人一人の”思い”を消す働き(祈りや奉仕作業)が、
自分の思いだけでなく、全体の思いを消すことにもつながっているのです。
それは、
この場所にいる人たちだけの話ではなく、
今地球に生きている人の”思い”だけでもなく、
肉体を持たない人たちの”思い”、先祖たちのもすべて含まれます。
ここで感謝の祈りの意味や、ご奉仕の意味をみんなに教えてくださったM先生は、
もう肉体を離れてしまわれたけれど、
肉体を離れるときに、
「もう大丈夫や、よかったよかった」とおっしゃって2018年の2月頭に、
座りながら眠るように去って行かれました。
そう、人間は自分たちの思い(設定)で、身体健康を壊し、心を壊し、人間関係を壊し、地球環境を壊してきて、
もうこれ以上持たないね、というぎりぎりのところまできてしまった、
それは昨今いろんなところで見聞きする情報。
思い=重い、だから、
あまりにたくさんの思いが乗っかっていると、
積載量オーバーの船と同じで沈没してしまう。
いわゆる”覚者”と呼ばれる人たちは、意識が3次元だけに限定されず、
もっと広範囲の次元まで広がっている人たちのことを言いますが、
そうすると、今この世界に“思い”の総量がどれぐらいあるのか、
というのも感知できるわけです。
亡くなる前のM先生の、「もう大丈夫や、よかったよかった」というのは、
このままいけばなんとか沈没しないぐらいの量にはなったよ、
ということだったのでしょうか。
確かに、自分も年々軽くなっているし、
満たされ感がふえているし、
周りの人の人生もめまぐるしく良い方向に変わってきているし、
それが、現実(社会や世界や地球や個人の人生)に投影されるのだとしたら、
「もう大丈夫」というのもちょっとは理解できるような氣がします。
滋賀県の山奥のその場所では、
毎日人が祈り、感謝し、奉仕することで、
常に”思い”が消されていく特別な場所なので、
そういうところに出向いて、祈りや奉仕作業をすると、
自分の意識も共鳴しやすい。
ところが、山を下りて普段の生活に戻って、
同じような心持ちで仕事や生活をしようと思っても、
日にちが経つとやはり”思い”が出てきてしまうし、
集合意識の”思い”ともすぐに共鳴してしまう。
もっともっと軽くしていくためにも、
定期的にそういう聖地のような場所に赴いて、
お祈りや身体を使った作業をして、
心と体をゼロにリセットすることは大事だな、
と改めて思った2025年の年明けでした。
昨年は、noteをスタートし、
メンバーシップまで開設し、
みなさまと多くの学びや氣づきを共有させていただきました。
カウンセリングのセッションや、
ボイスエンライトメントのグループor個人レッスン、
トーション・ハーモニック・クワイア、
自然農シェアハウスを通しての活動、
「いのちの地球1000人合唱プロジェクト」、
魂職コンサルグループ、
エジプト香油、
いろんな活動を通じてご縁を深めてくださっている皆様、
いつも支えて下さり心からありがとうございます。
今年も、新たな取り組みにたくさんチャレンジしていこうと思っていますので(すでにアイデアがいっぱい)、ぜひ楽しみになさってください。
2025年もどうぞよろしくお願い申し上げます。