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『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』ためし読み(3)


「翻訳者より」:どうしてそこに行ったのかって? 三人の子どもの父親だからです/キム・ヘヨン

 

セウォル号、その後

 セウォル号沈没事故が起きたのは二〇一四年四月十六日早朝のことだ。
 全員救助の報。多くの人々がホッとして仕事に戻った。事故現場に向かった被害者家族たちも同じだった。ところがそれは誤報だった。傾き始めた船はどんどん沈んでいく。救助のために駆けつけた海洋警察の船やヘリコプターもいるのに、沈みゆく船を目の前に何もできなかった。テレビカメラはその様子をとらえ、私たちは三百四名が海に飲み込まれていくのを、映像を通して目撃してしまった。眼の前で起きていることが信じられなかった。
 なぜ、助けられない? なぜ、こんなに急に沈んでしまったのか? そもそも事故はなぜ起きたのか? 船長はなぜ真っ先に逃げたのか? 高校生たちはなぜ船内に置き去りにされたのか? なぜ、なぜ?
 これはもう事故ではなく事件だった。事件である以上、その真相は解明されなければならない。多くの若者たちを死なせてしまった自責の念で皆が茫然自失となっている中、いち早く立ち上がったのは被害者の遺族たちだった。私たちの子どもたちが、どうしてこんなに不条理な目に遭ったのか。その真相を明らかにしてほしいと訴えた。
 ところが政府や警察の対応はしどろもどろで、さらに七月に入って遺体の捜索も打ち切り、ボランティアで集まった民間ダイバーたちに撤収が命じられた。海洋警察は沈みゆく船から誰一人救助できなかっただけでなく、遺体捜索もすべて民間ダイバーに頼っていた。それにもかかわらず、当時の韓国政府(朴槿恵政権)は、その民間ダイバーたちの誠意すらも踏みにじった。
 それから二年余りの時間を経た二〇一六年末、無責任の極みだった朴槿恵政権はついに打倒され、その後に誕生した新政権は「徹底究明」を約束したが、まだすべてが明らかにされたわけではない。「なぜ沈んだか」の原因までは明らかになったものの、「なぜ救えなかったのか」がきちんと説明されていないのだ。
 光化門に「真相究明と責任者の処罰」を要求する遺族たちのテントが立てられたのは、事故から三ヶ月後の二〇一四年七月のことだ。その後にろうそく革命、政権交代、さらに新型コロナによるパンデミック下の厳しい行動制限などもあったが、テントは「セウォル号、記憶の空間」に姿を変えて、今も遺族たちの訴えは続いている。「本当のことが知りたい」、その願いは十年経った今も同じだ。

※続きは本でご覧ください


プロフィール

著者:イ・ジンスン
財団法人ワグル理事長。
1982年にソウル大学社会学科入学。1985年に女子として初の総学生会長に選ばれる。20代は学生運動と労働運動の日々を過ごし、30代になってから放送作家として〈MBCドキュメントスペシャル〉〈やっと語ることができる〉などの番組を担当した。
40歳で米国のラトガーズ大学に留学。「インターネットをベースにした市民運動研究」で博士号を取得後、オールド・ドミニオン大学助教授に就任し、市民ジャーナリズムについて講義をした。
2013年に帰国して希望製作所副所長に。
2015年8月から現職。市民参与政治と青年活動家養成を目的とした活動を展開している。

訳者:伊東順子
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。
2017年に同人雑誌『中くらいの友だち 韓くに手帖』(皓星社)を創刊。近著に『韓国 現地からの報告 セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)、『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』『続・韓国カルチャー 描かれた「歴史」と社会の変化』
(共に集英社新書)、訳書に『搾取都市、ソウル韓国最底辺住宅街の人びと』(筑摩書房)などがある。

BOOK INFORMATION

『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』
イ・ジンスン著、伊東順子訳
2,200円+税

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