10月5日刊行・K-BOOK PASS 06『空間の未来』(ユ・ヒョンジュン著)ためし読み
日本語版序文より
この本は、新型コロナウイルスの勢いがピークに達した時期に書かれた。現在は日常生活でマスクを外せるほどコロナの影響から解放されつつあるが、ここに書かれた内容はポストコロナ時代にも読まれる価値があると思う。ある人の本性を知るためには、危機に晒された時の様子を見るべきだといわれる。緊迫した危機の状況で本来の姿が現れるからだ。建築と空間、そしてその中の人間と社会も同じだ。コロナ禍のような危機に直面した際に見られる姿が、私たち人間と社会の断面を如実に見せてくれると思う。この本はそうした断面を見ようと努力した、一人の建築家の観察日記だ。私は二十歳の頃からずっと、空間と人間の関係について考え続けてきた。建築空間は人間の姿を映す鏡と同じだ。建築空間を見ると人間の姿を類推することができる。建築空間が変われば人間は変わり、同じく人間と社会が変われば建築空間も変わる。新型コロナウイルスによって新たに知ることになった人間の姿と、よりよい社会を作るためにどのような空間が必要なのかについて、私の考えをまとめたのが本書だ。
はじめに「感染症は空間を変え、空間は社会を変える」より
感染症、人類、都市
人類史において2020年は、新型コロナウイルスが全世界を吞み込んだ年として記憶されるだろう。「ニューヨーク・タイムズ」のコラムニスト、トーマス・フリードマンはイエスが誕生した年を起点に、イエス誕生以前を意味するBC(Before Christ)とイエス誕生以降を意味する紀元後AD(Anno Domini)を、これからはビフォーコロナを意味するBC(Before Corona)とアフターコロナを意味するAC(After Corona)に替えなければならないかもしれない、といった。それほど新型コロナウイルスは全世界的に莫大な影響を及ぼした。コロナによる感染症の衝撃は凄まじいが、五千年の人類史からすれば、感染症はさほど新しいものではない。文明が発生するには都市が必要だ。人口密度の高い都市を作るには、感染症の問題を解決しなければならない。最初の文明はメソポタミアやエジプトのような乾燥帯に発生した。乾燥気候は感染症の伝播が最小化する条件だったからだ。中世が終わってルネサンスが始まったのには、ペストという感染症の影響が大きい。ペストがヨーロッパを揺るがす過程で、千年間ヨーロッパを支配してきた教会の力が衰えたからだ。ある者は1919年の三・一独立運動*も、1918年に朝鮮半島を揺るがしたスペイン風邪により疲弊した環境が触媒になったかもしれないと主張する。このように感染症はつねに人類史に影響を及ぼしてきた。コロナによる感染症も反復する歴史の一つであるにすぎない。このような見方が、冷静にコロナ禍に対応する出発点だと思う。
コロナは今後、社会進化の方向を15度ぐらい変えるかもしれない。が、コロナによって未来が180度変化するようには見えない。多くの専門家はコロナによって既存の社会変化の方向が変わるのではなく、数十年間進行してきた変化の方向と同じ方向に加速度が増すだろうと予測している。既存の変化の方向とは非対面化・個人化・断片化・デジタル化を指す。現在の非対面消費のような変化は、1990年代のインターネットの普及以来30年間進行してきたもので、コロナはその変化の速度を加速させている。過去数十年間オフライン空間でなされてきた多くの行為がオンライン空間に移行し、変化はコロナによっていっそう早まっている。世の中の変化にゆっくり反応しがちだった教育部〔日本の文部科学省に相当する行政機関〕と大企業も遠隔授業や在宅勤務を実行した。
今後、オンラインショッピング・在宅勤務・オンライン授業・遠隔診療の比重は増え、産業構造や都市空間構造の再構成が促されるだろう。テレコミュニケーションの発達により対面しなくても人に会えるので、感染症の危険を避けて大都市は解体されるだろうと予測する人もいる。しかし私はその意見には同意しない。デパートはオンラインショッピングやコンビニに代替され、学校の教室も減るだろう。在宅勤務・オンライン授業・遠隔診療が拡大すれば、閑散とした郊外に引っ越す人たちも出てくるだろう。自動運転が実用化すれば、郊外への人口流出はもっと増えるだろう。しかし、インターネットから情報を得てSNSやビデオ通話を通して他人とつながっても、人間はオフライン空間で多様な人たちに会えるチャンスを諦めないと思う。オンライン上だけの関係より、オンラインとオフラインのチャンスを同時に握る方が有利だからだ。恋愛している時にビデオ通話をすることができるからといって、手を握られるデートを諦める人がいるだろうか。同じくビジネスにおいても非対面方式のみよりは、非対面と対面の二つのチャンスを持った企業の方が有利だろう。だから今後もつねに大都市を好む人はいると思う。
経済的な理由だけではなく本能についても考慮しなければならない。私たちはしばしば人間が動物でもあるという事実を忘れている。数十万年間進化してきた遺伝子に刻印された動物的特徴は、意思決定のほとんどの過程で決定的な影響を及ぼす。人間には遺伝子に刻印された交尾の本能がある。コロナ禍の中でも人で混み合うクラブや相席屋〔異性と相席できる居酒屋やラウンジなど〕を見れば、なぜオフライン空間が必要なのかを理解することができる。身体を持っている人間がオフラインで人に会わなければならない理由はさまざまだ。だから過去五千年間そうであったように、今後も人間が集まろうとする傾向はさほど変わらないだろう。もちろん一四世紀のペストのように、どうしようもないレベルの感染症が発生したら話は違う。しかし私たちは一四世紀より進化したバイオテクノロジー(BT)を有していて、これから各国の政府と研究所などの連合対応システムもいっそう整うだろう。
空間の解体と再構成、権力の解体と再構成
私たちが目撃する多くの権力は、空間が生み出す見えない手によって作られる。一般的に視線が集まる場所に立っている人は権力を持つことになる。たとえば、教室で椅子はすべて黒板に向かって置かれている。教室で椅子に座れば、数十名の生徒は前を見ることになる。この場合、前に立っている教師が権力を持つことになる。学校は知識の伝達という機能を持つ。知識を得るために生徒たちは教室に集合しなければならないし、知識を伝える黒板と教師を眺めなければならない。学校の建物や教室はこのような機能に合わせてデザインされている。ところがこうして作られた空間は付随的に、教師に権力を与える。整列して座っている子供たちは〈授業時間〉という時間的統制だけでなく、空間的にも動けないよう制約を受ける。私たちはこのような時間的・空間的制約から容易に逃れられない。その際の空間的制約が、つまり社会システムだ。空間から作られた社会システムが与える制約は、見えないところで人を操縦する。この時、空間が作る権力の大きさは、集まる人数に比例する。より多くの人が集まっているところでは、空間によってより大きな権力が作り出される。ところが感染症が蔓延している状態で、大勢の人が集合することはできない。生徒たちは学校に行く代わりに家で授業を受ける。教室で教師を眺めることとオンライン授業で教師を眺めることは、教師を眺めるという点では同じ行為だ。しかし、モニター上の教師を一人で眺めることと、教室で数十名のクラスメートと一緒に眺めることとは、空間構造が作り出す権力という観点でまったく異なる。一人で眺める場合、教師の権威は縮小する。もう一つの違いは、オンラインの講義動画には時間的制約がないということだ。いつでも自分が受けたい時に受ければよい。人に時間的・空間的自由を与えれば与えるほど、管理者の権力は縮小する。したがってコロナ以降変化する授業形態は、既存の学校の建築空間が作り出していた権力構造を壊すことになると思う。
場合によっては今後、学校機能の多くは、オンラインとオフライン空間に分けておこなわれるだろう。このように再構成された空間は、異なる形態の権力構造を作り出すだろう。インターネットのデータ通信速度が早くなるとスマートフォンが開発され、ケーブル放送が持っていたメディア権力が、ネットフリックスのような、インターネットを介して映画・ドラマなど各種映像を提供するOTT(Over-The-Top)企業やユーチューバーへ移行したのと同じだ。メディア権力の移行は広告の収益をどちらが多く占めるかによって明らかになった。2019年秋に放送された韓国ドラマ『ストーブリーグ』が視聴率一位だったのに、広告収益の面では赤字だったという事実は衝撃だ。すこし前にユーチューバーたちの間接広告〔映画やドラマなどに商品を登場させて間接的に広告するマーケティング手法の一つ〕が大きな問題になったことも、道徳の問題を超えて、変化する世界における既存のメディアとニューメディアとの権力闘争の葛藤のように見受けられる。空間構造が変われば権力構造も変化する。私たちは今後数年間、急激に変化する権力構造の再編成を目撃することになるだろう。
このような変化をただ受動的に見物していてはいけない。明確な目標の下で、空間構造を再構成してデザインする必要がある。私たちの目標は何か。それは、より多くの人が幸せになる社会を作ることだ。そのためには明確ではないにしろ未来に関する青写真を思い描き、そうした世界のためにどのような空間構造が必要になるのか、準備するよう努力しなければならない。20世紀はじめにデパートやオフィスビルといった新しい建築様式が現れたように、ポストコロナ時代にふさわしい新しい建築様式が発明されなければならない。都市のスケールでの空間構造の変化も同時に起こる必要がある。あちらこちらで都市の再生や再建築も実施されなければならないだろう。全般的な空間のリモデリングが始められる時点に来ている。空間のデザインが変われば社会も変わる。この本を読みながら、どのような空間づくりがどのような社会づくりにつながるのか考えていただきたい。
BOOK INFORMATION
『空間の未来』書誌情報
ユ・ヒョンジュン著|オ・スンヨン訳
2023年10月5日刊行
ISBN 978-4-910214-48-1
2,200円(2,000円+税)
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著者プロフィール
ユ・ヒョンジュン(兪炫準)
人文建築家。
弘益大学建築都市学部教授。ユ・ヒョンジュン建築士事務所、およびスペース・コンサルティング・グループ代表建築士。
韓国の延世大学で学士号を、MITとハーバード大学大学院で修士号(建築設計)を取得。その後、世界的な建築家リチャード・マイヤーの設計事務所での勤務を経て現職。
主要な作品として、マグハクトン(Mug Hakdong)・アチウル住宅(PLAIT VILLA)・世宗サンソン教会(The HUG)などがある。またInternational Architecture Award Chicago Athenaeum、German Design Awardなど、国内外で40以上の建築賞を受賞。
建築と社会についてさまざまなメディアで発言するとともに、テレビ番組や自身のユーチューブチャンネル(シャーロック・ヒョンジュン/ 셜록현준)への出演でも注目されている。
著書『都市は何によって生きているのか』『どこで暮らすべきか』『空間が作った空間』『空間の未来』は、韓国の人文社会分野では異例のベストセラーとなった。