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Sky❗️〜毎日1回空を見上げよう!@武漢『江漢路/黎黄陂路』
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Sky❗️〜 每天仰望一次天空!@武汉 『江漢路/黎黄陂路』
<江漢路>
1.漢口に生まれた「租界」とは?
まずは漢口租界に関して簡単に説明します。漢口は、武漢市の一部で、揚子江(長江)と漢江が交わる交通の要所です。古くから商業の中心地として栄えていて、上海に次ぐ中国第二の貿易港とも言われました。特に清朝末期から中国近代化の波に乗り、多くの外国人が訪れるようになりました。1842年の南京条約をきっかけに、中国は外国に対して租界地の設置を認めざるを得なくなりました。漢口も例外ではなく、イギリス、フランス、ドイツ、日本などが次々と租界を開設。
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2.江漢路歩行街
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歴史的な観点では、以前は新盛路として知られていた江漢路は、武漢で有名な100年前の商店街であり、1927年に江漢路に改名されました。
近代史では、1980年代半ば、武漢で最初のナイトマーケットが江漢路に現れ2000年2月末、政府は江漢路をショッピングとレジャー観光を統合した新しい商業歩行者専用道路に変えることを決定。歩行者専用道路は2000年9月22日に正式に開通し、当時の漢口で最も繁栄した地域の1つになりました。また、イギリス租界のメイン通りで、租界時代の建物を活用したショッピングモールに成り、顧客の流れが多く、衣料品、電化製品、食品、商品などの完全な品揃えを販売する400を超える店舗があります。中国銀行、中国工商銀行、中国民生銀行、その他多くの金融機関を収容する金融保険地区の3つの地区に分かれています。国内外の有名ブランドを販売するフランチャイズ店、小さなブティック、宝石店、カフェが溢れるスペシャルショップ地区。そしてデパート地区には多くの大きなデパートがあります。夜は営業外の銀行も、営業しているショップもライトアップしています。昼間より多くの人がショッピングに出かけ飲食したり、近くにクラブ(旧DISCO)もあり不夜城的な場所です。
ここは、武漢の中心部で、私の住居から近く週一で訪れていました。週末の夕方からや夜間にかけてはものすごく混雑します。
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<黎黄陂路>
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1.黎黄陂路概要
詳細はウィキペディアを見ていただくとして、その中のロシア租界エリアに長江沿いの汉口江滩からの黎黄陂路という歩行者街が有名になり5年位前から武漢の観光スポットとして定着してきました。
2.歴史的背景(ロシア租界との関係)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、武漢は急速に発展し、外国の租界地が設置されました。1896年、ロシア帝国は武漢に租界を設置し、ロシア租界は現在の武漢市江岸区の一部、特に黎黄陂路の近辺に広がっていました。
ロシア租界は、現在の黎黄陂路から沿江大道までのエリアを含み、経済活動や貿易拠点として利用されました。
このエリアにはロシア人商人や貿易業者が多く集まり、銀行や倉庫なども建設されました。
ロシア租界では、正教会やロシア風の建築物が建てられ、特にこの地域の建築スタイルに影響を与えました。
3.現在の黎黄陂路と歴史的建築物
現在の黎黄陂路には、19世紀から20世紀初頭に建てられた歴史的建築物が多く残されています。これらの建物は、西洋建築の影響を強く受け、特にロシア租界の影響を色濃く反映しています。
①巴公房子
ここは、黎黄陂路の西側、洞庭街に位置しますが、ここの三角のマンション?の一角がとても有名になりました。ロシア風建物の雰囲気とそこでのパフォーマンスなどがヒットしたくさんの人が訪れるようになりました。SNS受けもgoodです❣
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②黎黄陂路
上海と似たような西洋風の建物、おしゃれなカフェなどがあります。
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