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選択肢のないロヒンギャ、ミャンマーとバングラデシュからボートで脱出・死者数急増にもかかわらず

2024年2月1日、インドネシア・アチェ州・東アチェ・クアラパレックに上陸したロヒンギャ(AP Photo/Husna Mura)

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2023年、約4,500人のロヒンギャ(2/3は女性と子ども)がミャンマーとバングラデシュの難民キャンプからボートで脱出した。うち569人がベンガル湾とアンダマン海を横断中に死亡または行方不明となり、死者数は2014年以降で最多となった。渡航を試みたロヒンギャの8人に1人が渡れなかったことを意味する。

しかし、そのような危険にもかかわらず、ロヒンギャの移動が弱まる兆しはない。2024年2月1日、インドネシア当局は、ロヒンギャ難民を乗せた別の舟艇が同国北部のアチェ州に上陸したと発表した。

地元の部族漁業コミュニティのリーダーであるマルズキ氏によると、船に乗っていた131人のロヒンギャのほとんどが女性と子供であり、部族の漁師から食料と水が提供された。

ロクスマウェの海軍基地司令官であるアンディ・スサント中佐によると、このロヒンギャ難民船は先月からエンジンが故障し、洋上を漂流していたという。

「東南アジアの海域は、世界で最も過酷な海域のひとつであり、命を落とした多くのロヒンギャの墓場でもある。救助されずに海で死んでいくロヒンギャの割合は、非常に憂慮すべきものだ。」とUNHCRのアジア・太平洋担当のババール・バルーチ報道官は述べる。

2017年、ミャンマー軍による攻撃を受けて75万人以上のロヒンギャ族イスラム教徒が流入したバングラデシュの難民キャンプでは、環境がますます劣悪になっている。海での死の恐怖さえも、インドネシアやマレーシアを目指して船出する人々を止められない。

「我々は危険な道のりを選ばなければならない。国際社会がその責務を果たせなかったからだ。」

ムハンマド・アイユーブ氏は語る。彼は、バングラデシュからインドネシアまでの1,800キロの道のりを渡る人身売買業者の木造漁船に乗るための資金を貯めている。

ロヒンギャの危機に対する世界の無関心によって、過密キャンプで苦しんでいる人々は、逃げるという選択肢をほとんど失っている。バングラデシュはロヒンギャの就労を禁止しているため、彼らの生存は食料配給に依存している。

ロヒンギャを攻撃したミャンマー国軍が2021年に政権を奪取したため、ロヒンギャがミャンマーに安全に帰還することは非現実的である。そして、ロヒンギャに大規模な再定住の機会を提供する国・地域は未だ無い。

一方、キャンプでは過激派グループによる殺害、誘拐、放火が急増し、住民は命の危険にさらされている。そして、飢えと恐怖に怯え、選択肢を失った難民はボートに乗る。

アイユーブ氏は、治安も衛生状態も悪く、希望さえ乏しいこのキャンプで、6年以上も蒸し暑く窮屈なシェルターで暮らしてきた。子供たちのための学校教育もなく、お金を稼ぐ手段もなく、祖国に帰る見込みもなく、ギャングの暴力が渦巻く中、家族の安全も確保できない。

「もちろん、船旅がどれほど危険なものかは理解しています。船旅の途中で死ぬかもしれない。でも、それは私たちの運命次第です。たとえ危険でも、キャンプに留まるよりは危険な道を選んだ方がましなのです。」

2023年11月にバングラデシュを出航した1隻の船に乗っていた200人のロヒンギャが、死亡または行方不明となった。付近を航行した目撃者がAP通信に語ったところによると、乳幼児や子供、その母親達で混雑していた難民船は、難民が助けを求めて悲鳴を上げる中、嵐の中で難破する以前に故障し、水をかぶっていたという。それ以来、この船は目撃されていない。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が沿岸諸国に捜索・救助活動を要請したにもかかわらず、沿岸諸国は出動を渋った。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のバロッチ報道官は言う。「ミャンマーでもバングラデシュでも、ロヒンギャの生活に希望が戻らず、救助活動が行われないのであれば、悲しいことに、命を救うために行動できる沿岸当局の監視の下、東南アジアの海で絶望的な死を遂げる人々がさらに増えることになる。」

11月に消息を絶ったボートには、ムハンマド・タハルの15歳の兄、ムハンマド・アミンと、タハルの3歳と4歳の甥を含む6人の家族が乗っていた。彼らの最終目的地は、ムスリムが多く、多くのロヒンギャが比較的安全と考えるマレーシアだった。

タハルさんと彼の両親は、寝ることも食べることもままならず、親族の消息に苦悩する日々を送っている。タハルさんの母親は占い師に会い、親戚はまだ生きていると言われた。一方、タハルさんは、ボートが岸に着き、親戚が学校に避難して温かいお湯につかることができたという夢を見たという。しかし、彼にそのような幸せな結末を信じ込むことはできない。

彼は、陸上での生活がどんなに耐え難いものになったとしても、ボートに乗らないよう皆に伝えることを誓った。

「私はこの困難な道のりから、決してボートでは離れない」とタヘルさんは言う。「(マレーシアなどの)目的地に着いた人たちはみんな、ボートでの旅は恐ろしかったと言っています」。

しかし、そのような警告はしばしば無駄になる。アイユーブ氏は今、娘の宝石を売って船旅の費用を工面しようとしている。船に乗れなかった人たちの話に怯える一方で、船に乗れた人たちの話にはやる気を起こさせられる。

「もっといい機会があれば、誰も危険な船旅に出ようとは思わないでしょう」と彼は言う。「幸いなことに、目的地にたどり着き、より良い生活を手に入れた人もいる。私は、アッラーが私たちを救ってくださることを信じています。」

Out of Options, Rohingya Are Fleeing Myanmar, Bangladesh by Boat Despite Soaring Death Toll - Laotian Times

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