ミャンマー軍事政権「以後」の眺望 「力の空白」における紛争防止
三兄弟同盟(AA、MNDAA、TLNA)、カチン、チン、カレンニ、カレン、ラカインの民族武装組織はいずれも、国軍を前に異例の勝利を収めている。
一方、数千人の国軍兵士が逃亡しており、士気の低下と軍事政権長官ミン・アウン・ラインの統制維持能力への疑念を示している。
仮に国軍政府が崩壊した場合、少なくとも6~7個の武装組織がそれぞれの利益を主張することとなる。現政権の崩壊は、内戦の終結を意味しない可能性が高い。第二次世界大戦後、無政府状態となった旧日本軍占領地域では、数々の紛争が勃発した。
内戦の根底と勢力間協調
ミャンマーの長期にわたる内戦は、民族分離運動に根ざしており、軍事政権に対する武装闘争のみではこれを解決できない。現在は、「共通の敵」の存在によって、武装組織間の対話プラットフォームが成立しているが、「共通の敵」の排除に成功した場合、その後の武力紛争を防ぐ手立てはあるのだろうか。
現時点で、ミャンマーにはカチン、ワ、アラカン軍、NUG、三兄弟同盟、カレン、カレンニ、および多数の国民防衛隊等によって独自に統治されている地域が散在している。軍から押収された武器と弾薬により、各勢力の軍事力も向上している。
「共通の敵」の存在に基づく連帯のみによっては、恐怖、不安、不満、紛争を根本的に取り除くことができない。国軍が弱体化しつつある中、数十年にわたる国軍との戦いで培われた協議と協調の精神を維持し、より俯瞰的かつ長期的な計画を運用しなければならない。
急進的連邦主義の危険性
英国の植民地支配と、1962年クーデター以来の軍事政権は、人民に恐怖と相互不信を植え付けた。これに対処することなしに、多元的で包括的なミャンマーを実現することはできない。
数十年にわたり武装し、自治を行ってきた勢力の間で、政治的願望は異なっている。各勢力の強い独立性を無視した、市民的・領土的連邦主義は、ミャンマーの実情にそぐわない。このようなアプローチは、スイスやドイツ、カナダから輸入された画一的な連邦主義を性急に主張することにつながり、ミャンマーの現状を無視している。
紛争終結後のミャンマーに関する議論は、関係者の政治的願望の非対称性を無視した画一的なアプローチによって、しばしば台無しにされる。NUGとその援助国は、多面的なミャンマー紛争の万能薬として連邦制を主張する。戦術的敗北の後も全国停戦協定(NCA)を結ぼうとする軍部の主張は、画一的なアプローチがなぜうまくいかないかを示すもうひとつの好例である。
画一的なアプローチは、2012年から2021年にかけて国際的な非政府組織(NGO)が主導した平和構築のための研修でも顕著だった。このようなプログラムの多くは海外から輸入されたものであり、ミャンマーにとってどのような連邦制が最適なのか、民族連邦制か市民連邦制かという議論に煮詰まっていた。このような二元論は、連邦制に関する思考を妨げ、KNUのように「我々は武器を保持する」と暗黙または明示的に主張する憲章のもと、十数もの重武装集団が領土を支配しているミャンマーの具体的な状況について批判的な思考を促進するどころか、他の考えを排除してしまった。同様に、アラカン軍総司令官トワン・ムラッ・ナインはかつて、ミャンマー国内におけるラカイン州の連合体構想を持ち出したが、これはアラカン軍が領土と武器を保持する能力を反映している。だからこそ、さまざまな民族やコミュニティ間の独自性や非対称性を認識することは、平和的かつ民主的な方法で将来の戦争を防ぐ基盤を築く上で極めて重要なのである。戦争か非戦争か、チョコレートかバニラアイスかという問題ではない。
急がば回れ
急速に変化するミャンマーにおいて、硬直的なロードマップは存在すべきではない。そこでは、ベンチマークとなる目標を定めた抽象的な直線計画が達成されるかどうかではなく、いかにして武装勢力を将来の戦争から離脱させるかが最初の問題となるだろう。それでも不可欠なのは、ミャンマーの近隣諸国、ASEANなどの地域主体、そして国際社会からの支援である。米国と中国も革命勢力と建設的に関わる必要がある。しかし、どのような和平・統治プロセスも、外部のドナーよりもミャンマー国民に対する説明責任を優先させなければならない。課題は、これ以上戦争に頼ることなく、ミャンマーにおける統治を達成することである。それは、互いに話し合い、互いの不安、恐れ、不信、政治的願望を理解することである。そのためには、ひとつの解決策が最良の解決策であると主張する古い習慣を捨て去り、代わりに平和と紛争に反対する集団的コミットメントを構築するための相互支援的プロセスを開始する必要がある。性急と無謀は、このようなプロセスの敵である。