自分
自分
自分について考える
若い頃は自身の悪いところばかり
目について
並べては落ち込んだりもした
同時に
強がりからか
得意なこと
負けたくないことを列挙して
自信に満ちているかのように振る舞った
今はどうかといえば
些細なことなどどうでもよくなるくらい
身体も心も重心が低くなった
謝ることができるのは
新人の時だからこそ
と言う人がいるけれど
今の私は
間違えました、ごめんなさい、
知りませんでした、すみません、
と
割と自由に言える気がしている
それは
開き直りでもなく
諦めでもなく
ただ
自分の核とか芯とか
自分の特性とかを
自信に変えて
持ち合わせているからかとも思う
ぶれないものがあれば
謝ることも
直すことも
新しくやり方を変えることだって
できる
そう
芯があれば
自由なのだと
そう思う
ごめんなさいの一言で
失うものよりも
認めて広めることができる
すなわち
得るものの方がよほど多いということを
知る
人生の後半では
そんな人が大きく伸びるのではないか
という期待も込めて
気張らずに
ありのままで
登るべき山は
自分で決める
他人を羨ましがり
他人の山を美しいと洗脳されて
必死に登ろうとせずに
今美しいと思う山の
地図を手にしたいと思う
その先には
きっと
誰かの
あなたの
笑顔があるはずだから
自分だけの
地図があるから
自分にとっての
特別が
きっとそこにある
明日もまた
一歩
進めますように
その一歩が
回り道でも
立ち止まるより
よほどいい
そこには
立ち止まっては見られない
景色があるから
あなただけの
景色が
私だけの景色が
そこにはあるから
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