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耐える必要性

先日、
少しおサボりしていた
鍼の施術を受けにいきました。

久しぶりですねー、からの
わー!凝ってますね!!!
に少し照れながらも
疲れや滞りを背負っている私に
寄り添ってもらえた安堵と、
日々頑張ってきた言わば勲章のような
それを認めてもらえたような
そんな照れ臭さを感じながら
処置は始まりました。

今回は顔と腰背中、を中心に
お願いしたのですが。

久しぶりということもあり
痛いのなんのって。

でも、
これで良くなる!のような
快感にも似たような
効いている感?満足感?を得て、
もっとガンガン攻めてください。
みたいなMっ気が飛び出す始末。。。

施術は終わり
爽快感と達成感を感じたのですが。


帰り道に妙なことを
思い出しました。



私の患者さんで、
歯石を取りに来られた方が
痛いと言いながらも
もっとやってくれとその痛みを受け入れ、
術後の爽快感を得ている姿を。


そこで
あることに気がつきました。



この痛みを耐える努力には
どのくらいの価値があるのだろうかと。。

本当は
ここで痛くならないような状況を
自ら日々作り上げなければ
この痛みを無駄にすることに
なるのではないかと。

痛みを耐えて
じっと我慢して施術を受けている状態。

自分で努力していることといえば
予約を入れそれに動いたこと。
くらいしかないようにさえ思えた。

何事も
良くするためには
自分自身で動くことが大切なんだよね、
と、
この痛みを耐える、という
努力。というか、
忍耐?は、
本当に必要なことなのだろうか。
と。

プロの施術。
というのは、
効率的に改善するためには
大切なことではあるが、
日々の自身の努力に
勝ることはないのではなかろうか。と。


凝った腰に一番良いのは
鍼を施術して痛みに耐えることではなく、
日々のストレッチ、や
凝り固まらないよう動かすこと。

歯周病にならないために
一番良いのは
炎症の強く出た歯肉を触れられる痛みに
耐えることではなく、
日々のブラッシングを
的確に行えるよう学び、
意識と時間をついやすこと。

結局のところ、
本人の行動努力が何より大切で
痛みを耐えることが
努力のメインとなってはいけないように
思えた。


言い方をかえるならば、
定期的にプロにお願いしているから
大丈夫。
というのは少し違って、
ましてやそこで得る痛みを我慢することが
努力と言えるかといえば
疑問が残った。

現状を良くすることは
痛みを耐えることではなく
日々の生活を
自分の行動で変えることなのではないか。
と。

そんなことを思いながら
また次回の予約をしてみました。
私の牛歩の努力より、
やはり格段によくなるもので。。。


でも、次はもう少し
痛みを感じずにいられるよう
日々のストレッチを心がけねばなぁと
思いました。


まぁ、
簡単にできないのが
また
自分の弱みですね。。。



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