答えがない問題に弱い人たち
最近身の回りを観察していて、考えたことがあった。皆、答えがない問題に弱い。
例えば「オーディオの修理」と「客先の接待」でいえば、前者を選びがちだし、後者になったとたんに落ち着きがなくなる。 なぜって、修理には答えがあるから。正しく動作する製品と比較したり、図面と照らし合わせて故障箇所を切り分けて、部品を交換すれば故障は直る。取り組めばいずれ終わるし、終わりさえすれば責められない。
しかし、客先の接待にはコレという答えがない。相手を想像して忖度したり、雰囲気あるお店を選んだり、サプライズを図ったり、予算の調整したり、商談で握る部分を決めたり。それでいて、キリがない。相手が喜んだとしても、それは唯一の結果ではないゆえに、批判できてしまう。そういう性質があるからか、答えがない問題というものを皆、なるべく関わらないようにして扱っているように見えた。
答えがない問題に対し、消極性をもって危険を回避する未熟さも、併せて指摘したい。 仮に、接待してこいという業務命令があったとして「僕は楽しいと思わないんで、参加しません」とか「やる必要がないと思うので、やりません」などと言い訳を立てる。これは、接待の是非の話ではなく、僕が必要ないと思うんでやりません、というロジックで自ら答えが出せない苦手なものから逃げ続ける退避行動を問題視している。で、意外と自分達世代以降は、そういう人が多いのも事実だと思う。
かつて、滝本哲史氏の「武器としての決断思考」と「武器としての交渉思考」を読んだことがある。その経験から思い出されるのは、意思決定に対する教養の無さだ。そして、答えがない状況で最善の解を探る方法論と同じくらい、失敗に対する恐怖と業務経験に対する関心の無さが際立っている。
「ここから先は、私の仕事ではないので、決めてください。決めてくれたら、取り組みます。」
「この結果は、僕の私のせいではありません。うえが決めたことですから」
答えがある仕事,,, ルーチンワークに拘るこの態度は、職責を守るというよりむしろ自ら清貧の道を志すのであって、決して業務評価を上げられるものではない。それがビジネスだと、キャリアアップしていくうえでは皆、理解する必要がある。
転職市場は、いかに勝ち馬に乗るかという風潮になってしまったが、かなりコモディティ人材が増えてしまったように感じている。交換可能な人材も増えれば数の暴力となる。答えがない問題に取り組めるような動機づけと、意思決定の方法論をいかに業務内に組み込むのかを検討するのが最近の課題だということだろう。