野心の建前と本音

現職に就いてから早、数年。昇進の機会があり、挑戦してみることにした。

実は、人事異動に伴う機会であったため、ほぼ決定事項だったと思う。それでもなお、正式なプロセスを踏んでアジア統括本部の社長・技術部長・人事部長とインタビューし、市場分析と成長戦略について20分程度プレゼンテーションをすることとなった。過去、この段階で落ちた人がいたと事前に聞いていたので、それなりに準備して挑んでみた。

アカデミックで経験したプレゼンテーションとは異なるものの、ストーリーを紡ぐ観点では及第点以上を得られたようで、質疑も順調に進み、とても和やかな雰囲気の中、事なきを得ることができた。(もちろん、すべて英語)

さて、もうインタビューも終わりかとおもったその時、アジア統括本部の社長が「こんな若くて優秀な君は、どんな野心を抱いているのかな?」と聞いてきた。"Such a elite, young man,  what are your ambitious for the future?"アジア人が西洋人の真似をしている姿に映ってしまい、自分の穿った見方に反省していたら、回答のテンポが遅れてしまった。


ビジョンやミッションからトップダウンで人生を設計し伝えることで、責任の裏付けとするロジックは、何度見ても苦手である。随分昔から、この手の手法はあったとも思うが、自分が意識しだしたのは、スタートアップや起業推進の流行があった2015年くらいからかもしれない。当時から自分には、できそうもないことだなと思っていた。

というのも、トップダウンの窮屈さに耐えられないという自分の性格が主な要因だが、同時にトップダウンがすべてではないということも経験しているがゆえに、若干頑固な思想となっているのだと思う。無駄に風呂敷を広げようとしない、という”ゆとり世代あるある”という説もある。いずれにせよ、自分は、この野心なりビジョンなりといったものから、ブレークダウンして人生を紡いでいくタイプの人間ではないのだ。むしろその野心などという信念体系は、存在しないだろうとすら思っている。

とはいってもインタビューでは、大人にならなければならない。適当にざっくりと「意思決定者になりたい」とだけ伝えた。社長になりたいとか、プレイヤーとして生きていきたいとか、社会貢献したいといったきれいごとは一切言わなかった。これは、だれもが理解できる、建前。ちなみに、この発言は引用元があり、それは前職の社長の起業ストーリー。そういえば社長、こんなことを言っていたなと印象に残っていて、思い出しての発言だった。意外とすんなり言えたと思う。

しかし、そのあとつい、我慢できずに彼らに問うてしまった。「さっき野心を持つべきって言ったけど、考えてみてほしい、野心から細分化したロジックを信用の根拠とするのか、目の前の現実から積み上げた計画や議論を責任の根拠とするのか。投資家として考えたときに、どちらがよいか。野心を責任の根拠として詰めていく先に、幸せがあるのか?」

個人の信望を根拠にして詰めていく先には、人格の否定に近い挫折リスクがある。スタートアップ界隈を知っていると、そんなことを連想しながら、より敏感になってしまう。ビジョンや野心なんてことより、半径5mから考える事実を積み上げて、市場を見ながらボトムアップで身体が向く方向を変えていくほうが、幸せになりやすいだろうと考えている。これが、ホンネである。野心が全く必要ないという話ではなく、見える範囲の到達点から先を紡いでいく、というだけである。

資本家に利益を還元するビジネスというゲームを理解していない、ナイーブな(バカな、ウブな)表現になってしまうのは、仕方がない。経済成長しない日本人の悪い思考傾向を凝縮したような考えなのだろう。ただ、だからといって自分の意志で決めている話なので、未熟さなど微塵も感じないのだ。自分は割と、このような考えを多様性の素養だと考えている。自分の身体にあったロジックなのである。それ以上、それ以下でもない。

ちなみに、先ほどの問いの答えは「両方」という、割と大人なものだった。飽きれて、知るかという態度だったかはわからないが、雑談の中だったので何も問題はなかった。むしろ技術職の日本人でここまで議論ができた点が評価されたようで、本当に平和に終わったのだった。まぁ、どうでもよい些細なことだったのである。

今、改めて思えば、この「意思決定者になる」という建前の発言は、後の本音を伝えた態度と何ら相違ないものかもしれない。くしくも、当てずっぽうで発言した建前が、ふと自分の振舞にかさなるようなものになってしまった。とはいえ、実際に彼らが期待していたような回答…グローバルリーダーになる、アジアエリアで売上トップを達成する、アジアとヨーロッパをまたにかける人材になる、などといったものからは、だいぶかけ離れたものであったことに、変わりはない。

しかし、それで人目を気にすることはもう、ない。自分が数字を作っていくうえで、余計なノイズに流されないためには、本音も建前も必要だろう。ただ、頑なに固持する態度には、それなりの考えがある。ここが、変に捉えられないよう、気を付けていかねば。






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