「できそう」という感覚を奪うのは、今時とても罪深いことなのだろう
前回の投稿に続き。
若手育成において「できそう」という感覚を失わせてしまうことは、今時とても罪深いことなのだろうと思っている。なぜなら、できそうという感覚を奪うことは、当人の成長の機会や労働の動機を奪うことであり、さらに、労働の動機付けや成長の管理までもがチームマネジメントに求められるようになってしまったからだ。
「できそう」という感覚や伸びしろ、遊びしろがあるからこそ、期待を抱きながら目の前の業務に取り組めるのだろう。その期待は、今時、強い動機付けなのだ。本来、個人の責任の範疇にあったものを企業が管理することで、競争に打ち勝つのがマネジメントであるという具合に。
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