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宇宙戦艦ヤマトと日本のアニメ

『宇宙戦艦ヤマト』という作品は、日本のアニメ史の中で極めて重要な役割を果たしている。むしろ、『宇宙戦艦ヤマト』こそが、アニメをアニメたらしめているのではないか。

 ディズニーやピクサーのアニメを見れば分かるだろうが、海外のアニメは、そのほとんどが子ども(小学生以下)向けに作られている。男の子はアメコミのヒーローに憧れ、女の子はディズニー・プリンセスに憧れる——子どもたちの童心を満たす存在、それが海外のアニメーションの存在意義である。対して日本のアニメは、子どもから大人まで楽しめる、巨大な大衆文化だ。

 日本のアニメは幅広い世代を巻き込む大衆文化となった——それは、『宇宙戦艦ヤマト』が初めて放送された1974年にはすでに運命づけられていたのかもしれない。アニメが単なる玩具ではなく、万民の趣味として確立されるためには、中学生以上の視聴者を取り込む必要があった。


 『宇宙戦艦ヤマト』が画期的だった点は、ひとえにその緻密なメカニック・デザインにあったと言っても過言ではない。ご存知のように、『宇宙戦艦ヤマト』は第二次世界大戦中に建造された旧日本海軍の戦艦大和やまとを土台に造られている。当時、世界一の大きさを誇る巨大戦艦で、「世界三大無駄遣い」の1つに選ばれている。姉妹艦に「武蔵むさし」があるが、こちらは長崎で造られ、「大和」は呉で造られている。呉にある大和ミュージアムには、10分の1スケールの「大和」の模型(レプリカ?)があるので、実際に見てその壮大さを感じてみることをお勧めする。イラスト等でも構わないが、「戦艦大和」を見れば男子たちがなぜ『宇宙戦艦ヤマト』に魅せられたか少し分かるだろう。西崎義展にしざきよしのぶ氏や松本零士まつもとれいじ氏らは、それを理解した上でこの作品を作ったのではなかろうか。
 あえて言っておくが、『宇宙戦艦ヤマト』は断じて戦争アニメではない。ガミラスの遊星爆弾ゆうせいばくだんにより放射能に汚染された地球を救うコスモクリーナーDを手に入れるために、ガミラスの攻撃を突破しながらイスカンダル星を目指す宇宙戦艦の物語である。有名な波動砲はどうほうは、惑星をも消滅させる威力を持った兵器であるが、これが核兵器を暗喩あんゆしていることは明らかである。

アニメファンの登場

 かくしてアニメの熱狂的なファンというものが誕生する。当時はインターネットなんていうものはないので、テレビで放送されたものをカセットに収録し、それをコレクションするということが今でいう「オタ活」である。もちろん少年たちの心を興奮させたのは『宇宙戦艦ヤマト』だけではない。1979年には『機動戦士ガンダム』の放送が始まる。また1954年のゴジラや66年のウルトラマンなど、特撮ブームもオタ活と関係があるといえる。
 そんなアニメや特撮に囲まれて育った世代は大体1960年代の生まれである。その少年たちの1人に庵野秀明あんのひであきがいる。

新風! 庵野秀明と『新世紀エヴァンゲリオン』


 1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』は言わずと知れた国民的大ヒットアニメである。エヴァンゲリオンや兵器や第3新東京市のデザインは、「ヤマト」や「ガンダム」で研究されてきたメカニックデザインに他ならない。
 『新世紀エヴァンゲリオン』は、自分とは何か、他者とは何かを考える哲学であるから、大多数の人がこの作品を初見で理解することはできないであろう。しかし、この頃大衆に普及し始めたインターネットという環境が、新たなファン活動の形態を生む。それが考察、ネット上でのファン同士の交流である。


発展するアニメ文化

『宇宙戦艦ヤマト』と『宇宙戦艦ヤマト2199』



 『宇宙戦艦ヤマト』が生んだ日本のアニメ文化は、作り手の文化から受け手の文化、受け手から担い手が生まれ、発展していった。その様子がよく分かるのが、『宇宙戦艦ヤマト2199』である。これは、2012年に放送された、『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク版である。

 まず前作と異なるのが、CG技術が使用されている点である。CGというと、コンピューターが大部分の映像を作ると勘違いする人もいるかもしれない。しかしそれは、フルCGという別のジャンルで、日本のアニメーターにとってCGは単なる“画材”であり、映像を完成させるのは、あくまでも人である。
 それはそうと、CGが導入されたことによって、より迫力のある映像が作られ、閃光もより繊細な表現ができるようになった。

 日本のアニメ史に花を添えるのが男女の恋を描くシーンである。それを少し面白く描くアニメのジャンルが“ラブコメ”である。1981年の『うる星やつら』をはじめ、長い歴史の中で既に体系化されている。これはアニメの発展とともに、より多くの日本人に愛される作品が生まれてきた。ミえステリーアニメの二大巨頭の1つ『名探偵コナン』も、ベースはラブコメである。ただ探偵ものとして内容がとても濃いというだけである。 また話が脱線してしまったのだが、つまりは原作に少なかった恋愛シーンが多くなったのである。『宇宙戦艦ヤマト』の主人公は古代進こだい すすむ、ヒロインは森雪もり ゆきであり、その他の人物の男女の関係に関して描かれることはなかった。これは、設定だけ存在した人物が多かったからである。 『宇宙戦艦ヤマト2199』では、森雪に加え原田真琴はらだ まこと岬百合亜みさき ゆりあら女性乗組員が少なからず登場し、男女の仲を描いたシーンが多い。 受け手が担い手になり、作品がより親しみやすいように進化した結果だといえる。


 また、これら女性は、原作の松本零士のデザインから、現在より好まれているデザインに変更されている。瞳の描き方だけでなく、制服は原作よりもBWHを強調するものなっている。原作では、松本零士がウォータースーツをもとにデザインしたとされているのだが、このデザインもまた、アニメの歴史の中で進化してきた。多くのSFアニメの女性の衣服に似たようなデザインが採用されているのは事実である。例えば、『新世紀エヴァンゲリオン』の中で、いかりシンジや綾波あやなみレイらが着るプラグスーツは、そういった”進化”の過程で生まれたものと言える。


『宇宙戦艦ヤマト』へのリスペクト


 2021年には「ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ」の最終作『シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版:||』が公開されて、庵野秀明らが作った一連の「EVAシリーズ」は26年の時を経て完結した。作中で葛城ミサトが作戦につけた名前が、「ヤマト作戦」。言わずもがな、これは『宇宙戦艦ヤマト』から来ており、この作戦が『宇宙戦艦ヤマト』(正確には劇場版の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』)をオマージュしていることは明らかである。これには、『宇宙戦艦ヤマト』へのリスペクトが感じられる。

改めて文化としてアニメを見る

日本の伝統文化「茶道」と日本のトップ・サブカルチャー「アニメ」


 私は、アニメが茶道と同じような日本文化であると確信している。 茶の湯はただお菓子を頂き、お茶を飲むティーパーティーの文化と思われがちだが、そうではない。私は茶道が日本文化の集合体だと思っている。茶碗をはじめとした焼き物、竹や木で作られた茶道具、床の間にかけられた書画、生けられた茶花、びを意識した茶室(いおり)、炉から漂うお香の香り、庭に設けられた客をもてなすためのさまざまな仕掛け……などなど。これら全ては、亭主が客をもてなすために用意するものである。時には亭主自ら粘土を練り、竹を削り、茶碗や道具を作る。侘茶を大成させたのは名高い千利休せんのりきゅうであるが、利休に至るまでに茶の湯を茶の湯に発展させた人たちもいる。村田珠光むらたじゅこう武野紹鴎たけのじょうおうである。彼らが客をもてなせば、その客がまた茶の湯をやりたくなる。その客が担い手となり、多種多様な趣ある茶碗や道具が作られたり取引されるようになる。織田信長や豊臣秀吉、古田織部ふるたおりべもそういった担い手の1人だ。茶碗や茶器、釜などをコレクションするのが担い手のステータスとなる。そういう人は、「数奇者すきしゃ」と呼ばれた。”変わり者”という意味である。

「アニメ」と「茶の湯」の共通点


 アニメファン、オタクもそうではなかろうか。そういった人は変人扱いされ、避けられるような風潮にあった。しかし、現在アニメファンを公言しても、あまり煙たがられることも少なくなっているのは、アニメが、真に独立した文化であるからではなかろうか。
 そして江戸時代になると茶の湯は大衆に広まっていった。アニメも同じ道を辿たどってると言えなくはない。

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