![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104800956/rectangle_large_type_2_ea32e9d00c1d00b959ce453ba3e3661c.png?width=1200)
『名探偵コナン』の灰原哀
林原めぐみ氏が演じる灰原哀、本名:宮野志保について記述する。
アニメ第699話『灰原に迫る黒い影(前編)』の冒頭のシーンで灰原は、APTX4869の解毒薬をせがんだコナンに「所構わず巨大化するラブコメ探偵」と言っている。これは、『名探偵コナン』はラブコメですよーって言っている、ある種の皮肉のような表現だと思っている。まだ事件が起こる前の団欒とした会話の中の発言だから、視聴者を笑わせるためのジョークだと考えられる。それでいいのか、コナン!的な自虐表現と捉えることもできるが。
ただ、そこに隠されているものがまだあるはずである。「らァああああああああああん!!!!!!」「新一!」———と、毎回映画で叫ぶ、これをコメディーと呼ばずしてなんと呼ぶ———この姿を灰原が羨ましく思っているとすればどうだろうか。灰原の中身は18歳、それもただの18歳ではなく、”彼ら”によって普通の青春を奪われずっと孤独だった18歳なのだ。ラブコメを羨むのも頷ける。
もう1つは、彼女はコナンのことが好きというのは既知の事柄ということを踏まえた上で考えたことだ。「ラブコメ探偵」というのは一見軽い表現に見えるが、実は深く重い表現なのではないかと。
「ラブコメ」というのは、作品の1ジャンルである。だから、彼女はコナンが主人公のこのラブコメの1視聴者であると。この作品のコナンと蘭の間には自分は入れていない、もういっそ、このまま終わってくれれば楽なのに———そんな思いが込められた言葉と捉えることもできるのではないだろうか。実に悲しく切ない。
いつぞや阿笠博士が「哀」じゃなくて「愛」にすればいいのにと灰原に言ったと言っていたことがあった。彼女は自分に合っているのが「哀」だと言っていたし、両親も姉も亡くした哀れな身の上ということから、理解できる。ただコナン(新一)への想いを抱えながらいる彼女のことを思うとますます哀しくなっていく……。
『名探偵コナン 黒鉄の魚影』
今回の『名探偵コナン 黒鉄の魚影』は、「ついにヒロイン交代か!」と思わせる演出もあった(流石にそれはないか……)。灰原哀の良さがよく出ている映画だった。報われてはいないのかもしれないが。
ここからは、一部『名探偵コナン 黒鉄の魚影』の内容に触れながら話を進める。
今回の映画の主役は『名探偵コナン』の第2のヒロイン、灰原哀だった。というより今回の映画については“第1の”が適切かもしれない。
原作に典拠を持つ小ネタが散りばめられた映画だった。あからさますぎて、オタク気質に溢れた作品だったと思う。
“オタク気質に溢れた”———この表現が適切かどうかはわからないが、なんとかこう表現するに至った意図を汲んでいただけると嬉しい。
![](https://assets.st-note.com/img/1683297601221-464SrElxal.png?width=1200)
まず、物語の前半、灰原にコナンが眼鏡を渡すシーン。これはアニメ第176話でコナンたちが黒の組織と接触した時のことから来ている。そして灰原がその時のことを回想している部分がある。
「これを掛ければ、ゼッタイに正体がバレないんだぞ」というコナンだったが、その時、灰原は組織の一味であるピスコに捕まっている。この映画では灰原が捕まるという宣言だろう。
そして、クライマックスのあのシーン。言うまでもなく、あれは『名探偵コナン 14番目の標的』のコナンが蘭を助けに行くシーンそのものだ。コナン(新一)=蘭という関係の中で描かれた行動をコナン=哀で再現して見せたのだ。
それも、『14番目の標的』では、コナンが水底で動けなくなった蘭を助けに行ったのに対して、今回は、海中で作戦に出たコナンが危ないと思った灰原が、事が起こる前に漁船から海中に飛び込んだのである。事前に。
「事前に」が重要なのではないかと思っている。コナンが海中に潜ったこと(実際は赤井秀一による狙撃の援護のために潜った)を聞いただけで、コナンのことを心配し、海中に潜った。まさに、コナンと灰原が最高のコンビ(相棒)であると感じられた。
劇場版クライマックス 『キミがいれば』
この場面で劇場版恒例の『キミがいれば』が流れる。『キミがいれば』を単なるBGMだと侮るなかれ。この歌は、ただのメインテーマとメロディーが同じ曲ではない。
例えどんなアレンジで流れようとも、その歌詞を思えばこそ、コナン映画の感動は頂点に達する。
いつもなら、コナンと蘭のシーンで流れる。おそらく歌詞も新一と蘭の関係を念頭に置いて書かれたものではないかと思われる。
しかし今回はそれが、コナン=哀(ファンの間では『コ哀』)のシーンでかかった。コ哀の切なさが倍増する。
今回、赤井秀一や安室透に比べ、正直存在感が薄かった水無玲奈(キール)が活躍したという点でも、新鮮さがあった。
彼女はCIAから黒の組織に潜入している諜報員である。前から思っていたが、彼女は状況を判断するのが得意らしい。
そんな彼女の声を演じるのは、三石琴乃氏である。
最後の最後、灰原は倒れたふりを続け、蘭が近寄ると蘭にキスをする。
一瞬何が起こったかわからなかった。新手の百合ドラマが始まるのかと思ったほどだ。
しかしその後にコナンに囁くではないか、ちゃんと返したわよ、と。
ああ、なんと切ないことなのだろうか。
灰原が『名探偵コナン』で果たす役割がこんなに大きいとは、コナンのファンになった頃はまだ知らなかった。まだまだ灰原哀(宮野志保)の魅力については語り足りないところだが、今日はこの辺にしておこう。