「カリオストロの城」と「天空の城」と宮崎駿
先日、日本テレビの金曜ロードショーでで放送された『ルパン三世 カリオストロの城』をご覧になっただろうか。この作品こそが宮崎駿氏の初監督作品である。
宮崎アニメはいつ見てもいい(=何度見ても飽きない)とよく言う。落語や歌を聞く感覚に近いのかもしれない。
さらに、宮崎アニメは毎回違う見方もできる。
『カリ城』『ラピュタ』新発見
カリオストロには、大公家と伯爵家がある。大公家は光を、伯爵家は闇を司るという。この2つの家は遠い昔に分かれたというが、伯爵は2つの家をふたたび1つにと考えていた。クラリスは指輪のために必要だった。
『天空の城ラピュタ』のラピュタの王族は2つに分かれた。のちにシータは飛行石を、ムスカ大佐はラピュタの秘密を受け継いだ。ムスカ大佐もまた、2つの家を1つにと考えていた。シータは飛行石のために必要だった。
2つの映画の類似点が見えてきた。
また、青井汎氏によれば、宮崎氏はいつも大地にメッセンジャーの役割をさせているという。大地というと抽象的な表現だが、宮崎アニメの物語を動かすカギは必ず地下などに隠されているという。その証拠に、ルパンと銭形警部が発見する偽札製造所はカリオストロの伯爵の城の地下にある。
宮崎アニメの中の大地
『風の谷のナウシカ』の腐海の下はどうなっていただろうか。猛毒の胞子を放つ菌糸によって汚染されている腐海だが、その下はどうなっていただろうか。
『天空の城ラピュタ』でパズーとシータは廃坑で何をするだろうか。
『となりのトトロ』でメイがトトロの寝床へ行くあのシーンは『不思議の国のアリス』のようだったが、なぜなのだろうか。
宮崎アニメの人間
宮崎アニメの登場人物は、単純な線で描かれているようで、ちゃんと人間味がある。———そこにしっかりと人間味が感じられるようにできている。言葉を選ばないならば、“ちゃんとエロい”と言うべきであろうか。
このようなこだわりを持って作られているという見方で一度作品を見ていただくと、宮崎アニメの良さがまた1つわかるのではないだろうか。
アニメと少女に関する考察・1
なぜ日本人は少女を好んで描き、なおかつ人としての生々しさを表現するのか———日本には「巫女」という文化がある。人間と神の取り継ぎをするのは常に少女であった。
生活の根源、生命の息吹、明日への希望———それを芸術作品に写しとった(写しとっている)のではないだろうか。(※自説)
ヨーロッパにも大昔はあったのかもしれないが、キリスト教の流行によって跡形もなく無くなっているのではないか。だから、どこぞの外国の機関のように、アニメの少女文化を少女趣味とか性差別、児童虐待という言葉で片付けるのは大きな間違いである。